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An empty angel─信頼の意味─

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「不思議だな」
不意に耳に飛び込んできた声に、彼はびしりと背筋を伸ばしたまま、「何がでしょう」と問うた。
だが、彼より年下でありながら軍の位は上である少女は、印象的な金色の瞳を彼に向けなかった。大きく空を切り取った窓の傍らで、下を見下ろしている。
「何を見ておいでですか」
「卒業式」
少女は半ば放心しても見える。答えは返らないだろうと予測して問えば、意外なことに、短い答えは即座に戻った。だが内容が不明確だ。
首をかしげつつ、彼も窓の側に近寄った。
「ああ、成程」
同じく見下ろして首肯した。
「士官学校の卒業式は本日でしたか」
「そのようだ」
彼と彼女の見下ろす先には、式典用の真白の制服を身に纏う、初々しさというよりもまだ幼さの抜けない少年少女達が固まっていた。
新たなる門出の日を迎え、今日この日ここまで共に学んできた友人達と、声高にはしゃいでいるようだ。
それはとても平和な光景に見えた。……皮肉な程に。
「不思議だな」
「何がですか?」
静かな少女の言葉に、彼は内心、眉根を寄せながら問い返した。
少女はすぐに応えない。形の良い唇を僅かに歪ませた。
「少佐?」
「同期、か。私には縁のない言葉だから、尚更に不思議だな」
「少佐」
困惑を声に出さないようにしながら、彼は目の前の少女の階級を呼んだ。それは華奢な姿にひどく似つかわしくない厳めしい響きでもって、場に響いた。
少佐と、彼は彼女を呼ぶ。
それは誤りではない。確かに目の前にいる小さな少女が身に纏うのは、この国の軍において“少佐”の地位にある者の軍服。彼女がその地位にあることは事実。
だが、服の意味はさておいて、纏う中身である少女自身に目を向ければ、大きな違和感が生まれる。
彼の目の前にいるのは、まだ幼い頬と肢体の少女。彼女が見下ろしていた士官学校の卒業生達と同じか、それよりも年若に見える。
見えるだけでない。確かに彼女は、本来ならば未だ大人の庇護下にあり甘やかされていていい筈の年齢であった。
だが、決して彼女は“子供”ではない。
だから彼は、彼女を“少佐”と呼んだ。
「中尉」
暫く眼下の子供達を目で追っていた少女は、不意に飽いたように面を上げて、彼を真っ直ぐに見た。
金色の瞳が印象的な顔立ちは、まだ愛らしく甘く、けれどきっちりと結い上げられた金の髪と同じくらい硬く見えた。
「は。何でしょう」
「貴方の同期は、当時、何人いた」
「確か、246人でした」
「で、今は」
「……118人です」
「ふぅん」
軽く肩をすくめると、少女はそれだけ呟いた。
そこに何を読み取るべきか。彼は一瞬だけ考え、放棄した。詮無いことと判断したのだ。
士官学校は軍人を育てる場だ。建前上、そういうことになっている。育てられるのは、あくまで士官。本来ならば軍という官僚組織の上位に立ち、人を支配する方法を習うべき人間達である。
それは人材が十分に満ち足り安定した社会での話だ。
既に何十年という長き年月に渡って隣国と争い続け、物理的人的損害を日々増やし続けている祖国にあって、その前提は脆くも崩れる。
人は使い捨ての駒だ。
士官学校を卒業し、夢と希望に燃えて社会へと送り出された筈の子供達であっても、現実は変わらない。
彼らが行き着く先の殆どは醜い戦場。待ち受ける運命、自らの命と未来とは、己自身の手で掴み守るしかない。
残酷な情景を見ることを免除されるのは、本当に一握り。特権階級の子供達のみだ。
その真実を知る者が少ないのか多いのか。彼には分からない。
ただ一つ理解できているのは、彼の目の前で少佐の位を得ている小さな少女が、そんな運命の歪みのただ中に立つ珍しい程の成功例である。それだけだった。
生きた戦術兵器として、幼年学校すら出ていない内から戦場に立ち、幾多、功績を挙げた者。その後、混乱した戦線の中に姿を消し、戦死とされながら数年を経て帰還した。
彼女の父は軍部において高い位を得ている。だが、今の彼女の地位は本人の実力でもって与えられたものだ。
最初は胡乱げに見ていた周囲も、実力で持って口を噤まされた。結果、小さな少女は少佐と呼ばれる。
彼女は、彼を見ながら、もう一度「不思議だな」と呟いてみせた。
「一時、共に学んだくらいのことで、何故、同期などと特別に言葉を設けて括らねばならない?」
「例え一時のことであっても、絆とはなり得ますから」
「成程? 例えば、一時、戦場で共に戦ったことで、戦友なる括り方をするように?」
いかにも納得したかのように頷いてみせる少女。
だが、その唇は変わらず歪んだままだ。彼は、彼女が言葉通りには思っていないことを、否応なしに知らされた。
それも無理はないと思う。
常人とは明らかに異なる人生を、選択肢も与えられず歩んで生きてきた少女にしてみれば、常人の感性など思いの外にあるのだろう。それは理解できる。
だが、言葉に含まれた棘が些か鋭すぎる。彼は「ですが」と、思わず抗弁した。
「戦場において己の背中を預けた相手です。信頼し、特別なとらえ方をするのは、不思議なことではないでしょう。……友などとは申し上げられませんが、少佐の部下達は皆、戦場における少佐を信頼しています。そのようなものとお考えいただければ」
「……笑わせる」
「は……少佐?」
少女は低く小さな声で、吐き捨てるように呟いた。彼は首をかしげた。
そんな彼から目線を外し、再び窓の外を見た少女は、「笑わせてくれるね、中尉」と、唇に浮かべた笑みを消さぬまま答えた。
「信頼か。……まったく」
「何か問題がありましたでしょうか」
「さあ、どうだろう」
こつり、と。細い指先で窓枠を叩きながら、少女は首を小さく振った。
「だが、人は何故、考えない。何故、疑わないのだろうね?」
「何をでしょう」
「たとえば、この国が明日、二つに割れるとして」
「少佐!?」
「……例え話だよ。中尉」
人の耳に触れれば糾弾されかねない台詞をさらりと吐く少女に、彼は思わず声を荒げた。彼女はそのまま受け流し、「もし、そうなったとしたら」と言葉を続けた。
「貴方の言う同期、戦友達。彼らのうち何人が、今度は背を狙うただの敵と化すのだろうね」
「それは極論ではありませんか?」
「そうかな」
少女はゆるりと首をひねった。どうだろうねと、口の中で呟く。
「命は一つだ。身も一つ。どうしたって、選ぶのはたった一つなのだよ。……何故なら、人の脳は一つしかないからね」
「少佐?」
「だから心は一つ。選ぶべき者は、自ら選ぶしかない。儚い絆などに縋るより先に、己の背など自分一人で守るしかないと割り切る方が、よほど賢いというのにね」
「……それは。ですがそれは、あまりに残念なお言葉です。少佐は我々を信頼して下さらないのですか?」
謎めいた、だが明らかに周囲を突き放す少女の言葉に、彼は思わず反論していた。
彼女のここまでの生を鑑みれば、無理もないと考えるべきなのだろう。そして同意すべきなのだろう。
だが、彼は彼女の采配と彼女自身を信じていた。部下としての忠誠を抱いていた。同じように彼女の先を信じる目をする部下達を知っていた。
だからこそ、問わずにいられなかった。
「……中尉」
彼女は笑った。
金の瞳は嬉しそうにではなく、むしろ冷たく輝きを宿した。
作品名:An empty angel─信頼の意味─ 作家名:Bael