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凌霄花 《第二章 松帆の浦…》

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〈03〉思惑



 その日の朝早く、助三郎はしゃがみ込んでクロの頭をグシャグシャッと撫でた。
黒い犬は尻尾をちぎれんばかりに振り、喜びを体現していた。

「早苗のお供、しっかりやるんだ。いいな?」

「ワン!」

「頼もしいなぁ。さすが御犬様!」

「ワンワン!」

 早苗はその日、水戸へ発つことになっていた。
その目的は仕事。
 彼女が取り組む大日本史の編纂で江戸と水戸で意見の食い違いが出た。
それを収めるため、彼女は一時帰国をすることに。


 この時既に早苗は旅姿の侍。
 草鞋の紐も結び、準備万端。
しかし彼女は細かく助三郎に指示し始めた。
 彼女の中身は、いまだ助三郎の『妻』だった。

「お夏に頼んでおくから、ちゃんと飯食べるんだぞ」

「あ? あぁ……」

 助三郎は生返事。
クロをくすぐって遊んでいた。
 かまわず早苗は続けた。

「箪笥の着物の場所は教えた場所だ。引っ掻き回すんじゃないぞ」

「わかってるって……」

 彼は尚もクロとじゃれていた。
早苗は顔をしかめたが、小言は言わなかった。
 その代わり、次から次へと注意事項を見つけ口にした。
 さすがの助三郎も耐えかね、ついに立ちあがって早苗をねめつけた。

「お前がちょっとくらい留守にしても、一人で飯ぐらい作れるし、食える。着替えもできる!」

 早苗は彼のその言葉に満足した。

「そうか。じゃあ、最後に一つ」

「なんだ?」

 助三郎は期待を持って、彼女の言葉を待った。

「職場で寝るな」

 助三郎は大きな溜息をついた。
ついに妻から優しい言葉は掛けられなかった。

「わかってる……」

 そんな落ち込んだ夫を笑うと、彼女はすぐに彼に背を向け、玄関を出た。

「さらば!」

 しかし、彼女は直ぐに腕を捕まれ引き戻された。

「……なんだ?」

 助三郎は、腕をつかんだまま俯き加減に口早に言った。

「……早苗に、一目でいい。会いたいんだが、ダメか?」

 早苗は奥手な夫に噴き出しそうになったが、ぐっと堪えた。
そして、何も言わずに彼の言葉に応じた。
 妻の本来の姿を認めるや否や、彼は彼女の眼を見つめた。
 
「……道中、気をつけろ。油断はするな」

 彼を安堵させようと、彼女は微笑んだ。

「……わかってます。貴方も、羽を伸ばし過ぎないようにね」

 彼は彼女の顎をすっと掬い上げた。

「……早く帰って来てくれ」

 静かに唇を重ねた。






 二日後の夕暮れ、早苗は水戸の佐々木家に到着した。
先触れのクロのおかげか、家では下男下女の暖かな出迎えが。
 道中の疲れと埃を取った後、彼女は姑と夕餉を共にした。

「仕事は一段落ついたの?」

「いえ、相変わらず…… こちらで少し仕事した後、江戸に戻ります」

 すると、気丈な美佳もさすがに少し寂しげな顔をした。

「そう…… 大変ね……」

 すぐに早苗は手を突き謝った。

「義母上さまを一人家に残し、申し訳ございません……」

「気にしなくて良いわ。しっかりこうやって顔見せに帰って来てくれているでしょう?」

 嬉しそうにそう言う姑に早苗は胸を撫で下ろした。
しかし、姑の怒りの矛先は嫁ではなく息子だった。

「……それより、助三郎はしっかりやっているの?」

 相変わらず彼女は、早苗より助三郎にうるさかった。
世間一般の姑は息子に甘く、嫁にうるさい。
 嫁を本当の娘のように可愛がり、息子を叱ってばかりいる美佳は奇特だった。

「……はい。毎日、忙しく働いています」

 しかし、美佳は何もかも見透かしたような口調で言った。

「それは、格之進に叱られるから」

 早苗の誤魔化しはすぐにばれた。

「わかっています。あの人は格之進に言われないと真面目に仕事をしない」

「そうかもしれません……」

 母は妻よりも男のことを把握しているのかもしれない。
まだまだ未熟な自分を少し反省した早苗だった。


「でも、貴方のお陰。大分真面目になった。これからも頼みますよ。格之進殿」

「はっ」

 冗談交じりで早苗は男のように返事をした。



 夜が更け、早苗が寝所に向かおうとしたとき、美佳から声を掛けられた。
 
「……明日は朝から仕事?」

「はい」

「どれくらいで終わりそうか解るかしら?」

 早苗はその問いかけに、何か引っかかるものを感じた。
 
「日暮れには終わるかと…… なにかご用事でも?」

 しかし、美佳は何も言わなかった。

「いいえ。こちらのことだから、気にせずにお仕事頑張りなさい」





 次の日、早苗は出仕した。
久しぶりに顔を合わせる職場の面々に挨拶をし、世間話も少々。
 しかし、重要なのは会議。
 すぐさま本題に入った。
 しかし、なかなか思うように行かず煮詰まった。
そこで昼過ぎに一旦解散、続きは明日ということに。
 家に帰って家事でもしようと思っていた早苗を、上司の後藤が呼んだ。

 彼は彼女を奥の茶室へと招き入れた。
茶室は密談の格好の場所。
 それ故、何か重大な話でも有るのかと、少し緊張の面持ちで部屋の隅に座った。

 しかし、茶室は茶をたしなむ場所。
後藤は悠々と茶の仕度を始めた。
 彼の御点前を黙って見ていると、
 
「……あの事件はどうなった?」
 
 後藤は茶杓を手にそう聞いた。
早苗はすかさず答えた。

「……佐々木が中心になって調べております。今の所、赤穂侍が本懐を遂げる為の具体的な行動に出てはおりません」

「そうか。難儀な仕事だな。何年続くか解らぬのに……」

 棗を開け、中の茶を茶杓で掬い茶碗に入れた。
そこには綺麗な緑色の山が出来上がった。

「早く終わって、お前がこっちの仕事に専念できれば良いのになぁ……」

 柄杓で釜の湯を椀に注ぎながらそうぼやく上司。
そんな上司に、部下は謝るしかない。

「申し訳ございません……」

 後藤は笑った。
 
「まぁ、良い。お前の才を見込んでの殿の下知だ」
 

 二人の会話が途切れた。
 茶室に響くのは、茶筅の音だけ。
 心を落ち着かせ、早苗はその音に耳を済ませた。
 少しすると、後藤は点てた茶を彼女の前に置いた。

「頂戴いたします」

 彼女は作法どおり、その茶を頂いた。

「結構な御点前で……」

 後藤は満足げにうなずいた。

「やはり、早苗殿。飲み方に艶がある……」

「……そうでございますか?」

 初めて聞く褒め言葉に早苗は驚いた。
後藤は彼なりの評価を述べた。

「佐々木は荒っぽい。あれの良さは、その豪快さだ」

 彼は江戸にいる部下に思いを馳せ、茶室の隅の花瓶の花を眺めた。
 そこには、小さな姫百合が生けられていた。


 茶道具を片付けながら、後藤がおもむろに口を開いた。

「……ところで、佐々木とは、どうだな?」

「はっ。毎日必ず話し合い、仕事の内容は必ず共有しております」

「そうか…… で、あれの夜はどうなっておる?」

 早苗は至極真面目に答えた。
 
「酒は飲ませすぎないよう、気をつけております」

 しかし、上司が欲しかった答えとは違ったようだった。
 彼は苦笑いした。

「……『渥美格之進』はそっちに関しては本当にニブイな」

「……そっち?」