二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

凌霄花 《第二章 松帆の浦…》

INDEX|16ページ/31ページ|

次のページ前のページ
 

〈06〉一時



「お袖がしくじった……」

 夜更け、佐々木伊右衛門はそう吐き捨てた。
そして、彼は墨に筆を浸し、紙に書いた『早苗』の二文字を真っ黒に塗りつぶした。

「忌々しい女め……」
 
 しかし、彼は早苗を諦めてはいなかった。
不吉な笑みを浮かべながら、彼は下男を見やって言った。

「……助三郎が留守の間に、片付けろ」

「はい」

 彼が去ると、伊右衛門は先ほど塗りつぶした紙を傍の灯に差し出した。
それは真っ赤な火を上げた後、灰と化した。





「ごめんなさい……」
 
 早苗は助三郎に頭を下げていた。
すでに出立の準備を終えた助三郎は溜息ばかり。

「……さて、あと何回謝る? クロも聞き飽きたってさ。な?」

「ワン!」

 クロは一声吠えるとどこかに走り去ってしまった。

「でも、本当に……」

 彼女は朝になって初めて、夫と同じ布団で寝ていたことに気付いた。
本来の女の姿だったにもかかわらず、昨晩の出来事を思い出し、彼に謝り続けている。

「もう言うな……」

 そう言って助三郎は彼女の口を手で覆った。

「さっきも言ったろ? 格さんとだと狭かったから、早苗に戻して一緒に寝たんだって」

 早苗は夫の手をひきはがした。

「だから、さっきから聞いてるでしょ? どうやってわたしを戻したのよ?」
 
 助三郎は目をそらし、ぼそっと言った。

「……内緒」

 その様子を見た早苗ははっとして、彼にこう聞いた。

「……まさか、あの由紀が跳んで喜ぶ『あんな事』じゃないでしょうね?」

 助三郎はニヤッとした。

「……あ、してほしいのか? 格さん?」

 早苗はこらえきれず、叫んだ。

「絶対にイヤ!」

 おかしな妻を見て彼は笑った。

「……『格之進その二』は大喜びするのに、早苗はイヤか。変だなお前ら」

「へ? 何か言った?」

「いいや、なんにも。とにかく、それだけは絶対に無い。安心しろ」

 そう言う夫を見て、早苗はほっと一息ついた。

「よかった…… でも、それだったらなんで教えてくれないの?」

 助三郎は慌てたように再びはぐらかした。

「ん!? 秘密だから! 内緒だから、言えないんだよ」

 早苗はいらだちを感じ、膨れっ面。

「意味わかんない!」

 助三郎はそんな彼女をからかった。

「河豚みたいだ」

「もう!」

 彼は妻の頬を引っ張った。

「ほら、歯出して笑え。な?」

 早苗はしぶしぶうなずいた。

「……うん」


 助三郎が発たなければいけない刻限が迫っていた。
彼の手は、彼女の頬から頭に移動していた。

「すぐ帰って来る。俺の留守中に、あっちの仕事には首を突っ込むな」

「はい……」

「新助と与兵衛さんには気をつけてくれるようにって言ってある。何かあったら頼るんだ。それに……」

 いつになく細かいことを言う夫を早苗は笑った。
 
「大袈裟ね、大丈夫よ」

 しかし、彼は真剣な眼差しで念を押した。

「油断だけはするな。いいか?」

「はい、はい」

 明るい妻に戻ったことに満足した助三郎は、出立した。

「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 早苗は夫を明るく送り出した。





「……細っそい女だなぁ」

 彼女を物の影から眺め、そう呟いた者がいた。
直介だった。

「なんであんな女に助三郎様は固執してるんだ? 山と縁談あっただろうに……」

 直介の好みに、早苗は当てはまらなかったようだ。
しかし、彼はニヤリとした。

「ま、若いのが取り柄だ。さてと。暇でも潰しますかね!」

 直介はその場を後にした。





 その夜遅く、早苗は突然眼を覚ました。
何者かが部屋に侵入してくる気配を感じた為だった。
 布団から身を起こそうとしたが阻止された。

「静かにしろ……」

 男の声とともに、彼女の口は大きな手で塞がれていた。
そしてその手は、彼女を布団に押しつけた。

 男は馬乗りになった。
そして懐に手を入れ、何かを取りだした。

「……大人しくしねぇと、痛い目みるぜ」
 
 部屋に差しこんできた月の光でそれがきらりと光った。
 小刀だった。
驚いた早苗は、自分を襲った男の顔を確かめようと、眼を凝らした。
 しかし、その顔に見覚えはなかった。

「そうやって大人しくしてるんだ、いいな?」

 ニヤリと彼は笑った。




 朝早苗を見張っていた直助は、早苗をそのまま見張ることなく、遊んでいた。
主から貰った金で、飲む買う打つの遊び放題。
 そして頃合いを見計らった今、闇にまぎれて早苗の居る役宅に侵入したのだった。

「そのまま、そのまま……」

 早苗は、もがくのをやめた。
そして冷静に、今何をすべきかと考えた。
 暴れても、勝ち目はない。

「……ふん。所詮こんなもんか」

 抵抗を止めて大人しくなった早苗に気付いた直助は、小馬鹿にしたように笑った。

「さて、貴女様はどれだけの値打ちでございましょう?」

 早苗を舐めるように品定めし始めた。

「武家出身、学問芸事一流。これで売り込めば、けっこうな高値になると思いますがね…… 身請けできないぐらいの……」

 直介は、ちらつかせていた刀を懐にしまうと、待ってましたとばかりに早苗に覆いかぶさった。

「貴女様の身体がいかほどか、まず調べないといけませんね……」

 そして、彼は早苗の襟許に手を忍ばせた。





「……ん?」

 彼の手に触れたのは、柔らかな女の肌ではなかった。
 違和感を感じた直助は、組み敷いた筈の早苗に眼を凝らした。
 月明かりで垣間見えた身体の下の人物は、女ではなかった。
 
「何だこれ!?」

 直助はとっさに身を起こし、逃走を図った。
しかし、間に合わず。
 身軽になった早苗は、すぐに身体を起こすと彼を蹴飛ばした。

「うぐ……」
 
 うめき声を上げて転がった彼の胸倉を容赦なくひっつかみ、顔を向けさせると、冷徹な笑みを浮かべた。

「……男がそんなに珍しいか?」

 直助は最初恐怖したが、すぐに疑問の表情を浮かべた。

「……なんで? ……どうしてお前がここに? あ! まさか!?」

 何かに気付いたと見える彼の言葉に驚き、早苗は手を離してしまった。

「……お前」

 自由の身になった直助は、得意げに言い放った。

「お初にお目にかかります。佐々木助三郎様御内儀、橋野早苗様。……いや、渥美格之進殿!」

「くそっ……」
 
 己を知った男。己の変化の瞬間を見た男。
早苗は動揺した。彼は大叔父の回し者に違いないという考えが、彼女を焦らせた。
 
 こんな危ない男を、のこのこ水戸に返すわけにはいかない。
 早苗は再び直助を捕縛しに掛かった。
 しかし、焦りが祟ったか、彼に手を伸ばしたとたん、彼女の視界は閉ざされた。

「う、眼が……」

 直介に隙を突かれ、目くらましの粉を掛けられた。
眼が見えぬのであれば、身動きは取れない。

「は、ははは…… ざまぁ、ねえな……」

 一時の安堵で彼は笑い始めた。
その笑い声に不快感を露わにした早苗は、見えぬ眼で敵を睨んだ。

「おのれ…… 下郎……」

 しかし、直介にもはや怖いもの無し。
軽口を叩いた。