雪割草
〈50〉怖い場所…
結局、助三郎は早苗から逃げきれずにとっ捕まった。
「…お前、足が速い。疲れた…。」
「はぁ、走るからだろ?…殴る、わけじゃない。」
「悪かった。ちゃんと、言わんとだめだったな。」
「そうだ。あんな危ないとこ行って、何かあったらいかんからな。」
「水もらって来よう…。要るか?」
「俺はいい。水腹になるからな。店で飲みすぎた。」
一息つき、光圀に今日の報告をした。
「…残念ながら仇の名は聞き出せませんでした。」
「それは良い。弥七が調べたからの。播州、明石藩奉行の田村隼人。茜さんの父親は藩主の側用人だったそうじゃ。」
「え?なんだ…。最初から弥七にさせるなら言ってくださいよ。」
「良いではないか。楽しんだのであろ?おなごを二人で取り合って。」
「そんなことはしません!ご隠居、今日かかった経費は藩に請求しておきますので。よろしくお願いします。」
「堅いの…。面白みがたらん。それで、兄の方もわかったのであろ?」
「あぁ、忘れていました。島原の『養花楼』に入って行くところを確認しました。」
「そうか。その店は田村も贔屓にしてるらしい。兄はやはり仇討ちの好機を狙っておるな。」
「そうですね。」
「そうじゃ!ちょうど良い。今晩お前さんら二人に良い仕事を与えよう。」
何かをたくらんでいるような光圀の顔に早苗は不安を感じた。
「なんです?楽な仕事にしてくださいよ。もう夕方なんですから。」
助三郎は、疲れたらしく乗り気でなかった。
「らくらくじゃ。息抜きついでの仕事じゃからの。」
「そんな仕事、あるんですか?」
やっぱり怪しい。
「島原で一晩遊んで来なさい。」
「は!?」
早苗は驚いた。さらに、両手を上げて喜ぶと思った助三郎が浮かない表情だったことに驚いた。
「もちろん。遊ぶだけではいかんぞ。一人は田村の馴染みの女、もう一人は茜さんの兄の馴染みにいろいろと聞き取って来るのじゃ。」
「あの、茜さんの兄上には馴染みは…。」
「遊郭で用心棒しておいて馴染みが居らんわけがない。弥七!調べてきてくれんかの?」
「へい。」
「ご隠居。私はイヤです。弥七にやらせればいいじゃないですか!」
イヤだ。遊廓なんて怖いところになんか行きたくない。
「あれはそういう遊びに興味がないらしい。若いお前さんら二人の仕事じゃ。」
「イヤです!」
早苗はひたすら拒もうとした。
「なぜじゃ?良いではないか。藩の金で遊べるんじゃぞ?」
「それなら、お得だな。どうだ?息抜きついでに。」
やっぱり助三郎は男だった…。
「私は行きません!」
「なぜじゃ?あぁ、お前さんおなご嫌いであったな。」
早苗はおかしなことをいう光圀の耳元で訴えた。
「…何をおっしゃるんです!私は男ではありません!」
「…良いではないか。男の姿でしかできない経験、貴重じゃぞ。」
「…何の経験ですか!?」
やっぱりふざけていた…。姿が男だからって、面白がってる…。
「よいよい。楽しんで来なさい。ついでに新助も良いぞ。ワシも行きたいの…。
ついて行こうかの…。よし、決めた。わしも遊ぶぞ!由紀はお銀と好きにさせよう。」
「さては、ご隠居、つてを使って太夫でも買うおつもりですか?」
「あたりまえじゃ。吉原では花魁買ったからの。どちらが上手かこの目で確かめるのじゃ。」
「ほう。贅沢ですね。うらやましいことで。」
やっぱり、ご隠居も男だ…。
もうイヤ…。周りに男ばっかで味方がいない…。
女の子に泣きつくしかない…。
早苗はその場から退いた。
その足で由紀のところに逃げた。
「どうしたの?」
「由紀…。助けてくれ…。」
「なによ。大の男が女の子に助けてなんておかしいわよ。」
「お願いだ。死にそうなんだ…。」
「わかったわ。人に聞かれないところに行きましょ。」
二人で宿の狭い布団部屋に籠った。
「遊廓?とうとう格さんも行くことになったのね。楽しみ?」
親友は慰めてくれなかった。
「なわけない!あんなとこ行きたくない!怖い!」
「良いじゃない。きれいな女の人いっぱいいるわよ。
せっかく男なんだからいちゃいちゃしてきなさいよ。良い経験になるわよ。」
「いやだ!怖い!仕事でも怖い!」
「ねぇ、なんでそんなに怯えてるの?」
「怖い所だって母上から聞いてる…。スケベな男が行く所ってのも。」
「まぁ、当たってるわね。」
「俺は男じゃないしスケベでもない。行きたくない!」
「あら、本当かしら?まぁ、いいから遊んで来なさいよ。」
「なぁ、遊ぶって言うけど、何するんだ?」
「え?」
いきなりの言葉に由紀は驚いた。
「赤い柵の中で女の人がおいでおいでしてるんだろ?それ見るのか?」
「…知らないの?」
「へ?だって、そういうことしか聞いたことないぞ。」
「あそこで、男が女を抱くのよ!」
「なんだ…遊びじゃないな。それにそこまで怖くはないな。」
何かおかしい。助さんも言ってたけどこの子、やたらにこういう話題に疎い気がする。
寝るの意味も取り違えたままだった。
「ねぇ…、助さんに抱かれたことある?」
好きとも言えてない奥手なんだから、まさか…。
「…まだ抱かれたことない。一回抱き締められただけだ。」
やっぱり。まぁ。祝言前だから当たり前か。
この子、抱きしめると、抱くの違いはわかるのかな?
「はぁ…助三郎にギュって抱き締めて貰いたいな…。」
可哀想に、欲求不満か。
あれ?
…でも、なんで男に抱きしめてもらいたいの?
男の姿なんでから、女の子を抱き締めたいとか思わないの?
なんか変…。
それに、今、男女二人で狭い部屋にこもってる。
普通だったら、襲われてもおかしくない。
なんで、この子、何にもしないんだろ。
でも、一回襲われそうになった。
こんな場所じゃ、もっと恐ろしいことになるかも。
少し怖くなった。
「なんだその顔は?普通だろ?好きな男にギュってしてもらいたいの。」
「…その格好のままでそういうこと言うと、端からみたら完璧な衆道よ。」
不安を追い払うつもりで口を開いたら、悪口になってしまった。
「もう!衆道ってなによ!これならいいでしょ?」
突然、女に戻った。
由紀の不安はおさまった。
「あんまり大きな声出したらだめよ。」
「わかった。」
「ねぇ、抱くって意味ちゃんとわかってる?」
一応確認しないと。
「ギュって抱き締めるんでしょ?それとチュってして…。」
だめだ、やっぱり、全く分かっていなかった。
怖がって、損した。
「…赤ちゃんってどうやったらできるか知ってる?」
「さっきわたしが行ったことすればできるんでしょ?」
「…早苗、本当にそう思ってるの!?」
「え?それで出来ないの?赤ちゃん。…あぁ、だから由紀、与兵衛さまにチュってしてもらったのに赤ちゃんできてないんだ。」
一月もたってないうちに懐妊がわかるわけがない。
まして、口付はしてもらったが、本来のそういうことしはてないから子ができるわけがない。
「…ダメだわこれは。」
全く知識がなかったから、襲ってこなかったんだ。
「なんで?どうして?」