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われてもすえに…

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しかし、怒りは収まったが初音の苦しみと悲しみは収まらなかった。
 黙りこくる絢女を一瞥し、初音はつぶやいた。
それは娘を責め、自分も責める言葉だった。

「小太郎。ごめんなさいね。こんな非情な姉上を育てた母上が悪かったわ。ごめんね、小太郎……」

 そう言うと、初音は袖で顔を隠し、泣きはじめた。
声を押し殺し、必死に涙を止めようとする姿に絢女は居たたまれなくなった。

「……失礼します」



 絢女は、母を置いて一人自分の部屋へ向かった。
しかし、通り道の小太郎の部屋の前で足が止まった。
 ふと気付くと、ふすまに手をかけ、部屋の中に足を踏み入れていた。 
絢女は小太郎が出仕するようになってから、一度も訪れたことが無かった。
 あまりにがらんとした部屋の光景に、絢女は愕然とした。
 ほとんどの物が持ち出され、もぬけの殻になった部屋。
ほんの少し残っている物と言えば、使えない物ばかり。さながら物置のようだった。
 子ども用の刀、着物、袴。今の姿では絶対に使えないし、着られない。
ふと思い立ち、絢女は一着を手に取った。すると、小太郎の声が聞こえるようだった。
 目を瞑ると、小太郎が現れた。

 去年の春、どこからか大きな桜の枝を手折って来て、絢女の膝の上に乗せた。
『姉上、これあげる!』

 去年の夏、怪談話を聞かせたら怖がって一人で寝られなくなった。
枕を手に、絢女の部屋にやってきた。
『……姉上、一緒に寝ていい?』

 去年の冬、風邪で寝込んだ小太郎の為に雪でウサギを作ってあげた。
熱で苦しみながらも、ニコッと笑った。
『姉上、大好き……』


 それはすべて小さな、元服もしていない前髪のままの小太郎だった。
くっついて来てなかなか離れない。減らず口を叩いても、生意気だと思ってもつい許してしまう。
 可愛い、女の子みたいな小太郎だった。

「小太郎……。今、何してるの?」
 
 あの日、可愛い弟が突然変わった。
『男の子』だったのに、自分より背が高く、声が低く、がっしりした『男』に変わっていた。
 突然の出来事で、驚いた。しかし、最初は普通に過ごせた。
しかし、弟の裸を見たとき、おかしくなった。怖くなっていた。
 心のどこかで、いつか大人になるとわかっていたし、小さいまま、弱いままではいけない、強く逞しい男になってほしいと願っていた。
 しかし、あまりに違う姿、元とはかけ離れた姿に驚き、恐怖のあまり後先考えず拒絶してしまった。

「ごめんね、小太郎……」

 すぐに許しを乞いたかった。
しかし、会えばまた弟を拒絶してしまうのではという不安が絢女を苛んでいた。
 笑顔で迎えられない。絶対にひきつった顔になる。弟を弟として見られない。
『男』として見てしまう。恋愛対象ではないが男……。
 ギュッと抱きしめるなんてもってのほか。できるわけがない。そんな心持の姉に会っても、小太郎がさらに傷つくだけ。

「こんなお姉ちゃん、許せないわよね……。ごめんなさい……。良鷹」

 絢女は着物を箪笥にしまうと、部屋を後にした。



 

 その頃江戸では、絢女よりもさらに深刻な悩みを抱えている娘がいた。
屋敷の奥深く、人もほとんど立ち寄らない部屋の奥で脇息にもたれかかり、その日何度目かわからない溜息をついていた。

 京風の着物に身を包み、身の回りもすべて京風。
武家風を一切拒み続け、江戸に来てからもはや二月になっていた。
 傍に置く京から連れてきた少女の侍女にも京風の身形をさせていた。
その侍女は、主の溜息に気付きこう聞いた。

「姫さま。なぜ浮かない顔されてるのです? なぜそのようにため息ばかり?」

「彰子《あきこ》は寂しゅうないのかえ?」

「なにがです?」

 侍女は彰子という名前だった。あまりに陰鬱な主の気分を和らげるため、香を焚くことにした。
これも京から持ってきたものだった。
 香をたく準備をする間も、姫は嘆いていた。

「こんな田舎に連れて来られ、野蛮な東武士との結婚。妾はイヤじゃ。いくら家が貧しくとも妾は帝の親戚ぞ。……御母様《おたあさま》、御父様《おもうさま》に二度と会えぬと思うと悲しゅうて。
京の都が懐かしい。友もみなあの地に……」

 香に火をつけ終わった彰子は、すぐさま主の傍に寄り、その日何度目かわからない慰めの言葉をかけた。 

「彰子がいます。何時でも姫様の味方でございます」

「……ほんに彰子は強いの。まだ子どもなのにの」

そう言うや否や、彰子は顔を赤らめ怒った。

「子どもではありません! これでも列記とした筆頭侍女でございます」

 一人しか侍女が居ないせいで、彰子は筆頭格になっていた。
最も、姫が江戸の女中を受け付けず、彰子しか傍に近寄れないという状況もあった。

「すまぬ、そなたは子どもというとすぐ怒るの」

 少し、表情が穏やかになった主に安心した彰子は、愚痴を漏らした。
まるで、誰かと同じような望みを口にした。

「子ども扱いは嫌です。大人になりとうございます」

 その言葉に、いったん和らいだ姫の表情は再び暗くなった。
脇息に再びもたれ、どこか遠くを眺めていた。

「子どもの方が楽じゃ。今にわかる。あぁ……」

 そんな意味はわからない彰子は、姫の気分を良くするために部屋を見渡した。
見つけた物は、部屋の外の空。綺麗な夕暮れだった。

「姫さま、夕日がきれいです。ご覧ください」

 その言葉に、姫は立ち上がり、窓に近づいた。

「どれ? 明日は晴れか?」

 姫はそこにねぐらに帰る鳥の群れを見つけた。
綺麗に列になり、鳴きながら帰る雁の群れ。

「綺麗でございましょう? あの鳥も」

 子どもの彰子には綺麗に見えたが、姫には悲しく映った。
ある言葉が頭の中に浮かんだ。

「……籠の鳥」

「姫さま、鳥はおイヤですか? 鸚鵡《おうむ》というのは綺麗でかわいい上におしゃべりするそうでございますよ」

「綺麗に着飾っても、意味はない。人を喜ばす言葉など喋りとうない。
あの鳥のようにここから逃げたい。家に戻りたい……」

「いつか帰れます。わたくしの母者も申して居りました。頑張れば帰れると」

 幼い彰子は理解してはいなかった。
一度嫁したら元の家には戻れない。まして身売り同然で連れてこられた姫は、帰るなど到底無理。
 公家の身分の女というだけで欲しがられる自分が恨めしかった。
『帰れる』などという嘘を教えた彰子の母御を、姫は恨んだ。まだ自分を売った際に泣いて詫びてくれた父母の方が優しいのではと思っていた。
 
「……二度と家には帰れぬ。親にも会えぬ。野蛮な武士になぶり物にされる。飾り物、置物にされる。生き地獄じゃ……」

 絶望した都落の姫はその日何度目か解らないが、泣き崩れた。
畳に突っ伏し、涙を流し、自身の身の上を恨んだ。
 
 それを侍女の彰子は為す術も無くただ見守るだけだった。
 
作品名:われてもすえに… 作家名:喜世