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アジアの夜

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Episode.8



 それからはまるで夢のような時間だった。
 シャトルボートに乗り込み、陸地に散りばめられた見事な夜景を眺めながら、静かな夜の河を渡る。到着したのは巨大なナイトマーケット。僕が襲われたあの古めかしい昔ながらのバザールとは大違いの、倉庫跡地を開発したという近代的な巨大商業施設。旧王朝時代の再現をテーマに、四つの地区に分かれて構成された、雑貨・カフェ・パブ・シアターなどの充実ショップが満載のナイトマーケットだ。そこでさんざん遊び、疲れた僕と彼女は、河を一望できるエリアのベンチに座って一息つく。

「ふう……楽しかった。やっぱりひとりで来るよりふたりのほうがずっといいわ」
 ベンチの背に勢いよくもたれかかって、大きなため息をつく君は相変わらず子供っぽい。そんな君を嬉しそうに見ている僕のほうが大人になったような気がして、苦笑する。
「よくここに来るんだ」
「そうね。最近出来たばかりの人気スポットだから。それにたくさんの人ごみにまぎれていると、ああ、自分はひとりじゃないんだなあって思えるの」

 僕の肩に彼女の小さな頭がすとんと落ちた。熱気と河の水分を含んだ風になびく黒髪が、まるで柔らかな天使の羽根のようにふわりと僕の頬を撫でる。
 わかってるよ。
 僕は君の暇つぶしだってことぐらい、そんなことはわかってる。仕事で忙しい旦那。慣れない異国での生活。満たされない心。はちきれんばかりの淋しさと孤独。話題の人気スポットにもたった独りで来るなんて。笑顔に隠された彼女の素顔はきっと、もろもろの負の感情に押し潰されそうな少女の泣き顔そのものなのだろう。
 だけど……お願いだから僕で遊ばないで。これ以上誘わないで。でないと僕はこみ上げてくる衝動が抑えられなくなりそうだよ。

「お礼してもらってもいい?」
「え?」
「助けてあげたお礼」
 耳元に唇を寄せそっと囁く。熱い息が注ぎ込まれるリアルな感覚に全身に痺れが走る。
「家がすぐ近くなの」
 僕はごくりと唾を飲んだ。心拍数が一気にはねあがる。
 誘われている。君は僕を確実に誘っている。
「お願い」
 感触を覚えたばかりの、汗でしっとりとしたあの細い指が再度僕の指を求めてくる。鼓動が激しく連打し、頭の中でガンガンうるさく鳴り響く。君の圧倒的な魅力に、汗をはらんだ甘い体臭に、耐性皆無のたった十七の僕がどうして抗えるだろう?
 そうだよ、もう抑えられない。さっきからこみ上げてくるこの不埒な衝動を。
 僕は顔を逸らしたままゆっくりと頷いた。
 その瞬間、君の指がまるで逃すまいというように、また僕の指に固く絡みついた。

作品名:アジアの夜 作家名:凛.