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無関心な僕等の神様 祈るように七題より

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 私と彼の間には、冷たく凍る壁がある。
 もう少しで触れられるはずなのに、まだその時はこない。もどかしくて――つらくて――その想いは同じだと、信じているけど不安だ。
 あと数日だとお互いに言い聞かせているけど、その24時間+αがまるでどろどろの油が流れていくように感じるのだ。梅雨のねっとりした空気がそれに拍車をかけている。この白い建物の中はちゃんと空調がきいていて、そんなもの関係ないはずなのに私の周りだけ外気と同じだった。
『まるで外じゃないのに梅雨みたいだ』
「そうね」
 壁の向こう、口の動きだけで彼が言ってくる言葉に同意せざるを得ない。こうやって、意思の疎通をはかることができるようになるまでは筆談が主だったけど今はそんなことしなくてもよかった。
 手術は成功したというのに、予後が一時最悪に近い状態になったために彼は普通病棟に移る時期が遅くなった。
 どこぞのケータイ小説のように家族以外(普通家族も入れないはずだ)が入り込んで口移しにキャラメルを……だなんて、ふざけた真似なんてできるわけがない。ただ、廊下と病室の間がガラス張りになっているので顔を合わせることができるようになっているのが幸いだったと思う。
 彼には身寄りがない。
 なので、もっとも近しい人が私だというだけだ。婚約者という立場がこんな時に役に立つとは思っていなかった。身寄りがなくても生命保険をかけていたせいで、なんとか入院費用やら手術費用をまかなうことができたんだと以前彼は言っていたっけ。
 本当ならば電話を通じて直接会話をできるとのことだったけれど、運悪くこの数ヶ月前に壊れたそうで……上手くはいかないものね。
 普通病棟に移ってからも、数ヶ月治療に要するそうだけど直接会話ができるならこれほど嬉しいことはない。
『あと少しだね』
「うん、もう少しだね。ちゃんと寝るのよ? 怖い夢、見るかもしれないけど」
 元々それほど口数が多いわけではないけど、状態がよくなっていることもあって彼の顔色は悪くなかった。まだきっと不安だろう。成功したとはいえ、これからが大変なのだ。
 それを助けるのは、私の役目だと思っている。そのために残業だってたくさんしたし、貯金だってした。結婚できないとしても一緒の時を過ごしたいと願った。彼が倒れた時は神も仏もないと思ったけれどどうか助けてと祈ったことだってある。今だって、無事に回復していってほしいと心の奥底ではいつも願い、祈っている。
「明日もまた来るから」
『わかった、待ってるよ』
 そろそろ時間だ。表情を曇らせるのは私も同じだけど、そうもいかない。
 手を振って立ち去ると、身寄りも親戚もない彼の代わりに、私は医者と話をする。

 ゆるやかに彼は回復した。
 一時危なくなってまたあの部屋に戻ることもあった。
 そのバイオリズムは予測できず、私が泣いたのも一度や二度じゃない。
 それでも、あと少しあと少しと思いながら毎日私は病院へ向かう。
 ひとりじゃないからと彼に絶望が忍び寄らせないために。

 三分がゆなんて、普段の生活で口にすることはない。
 彼は痩せた腕にお椀を持って、スプーンでゆっくりとそれを口に運ぶ。
 空調の整った環境だけれど、私はここの空気にまだ慣れない……そして彼の食物がどうしても美味しそうには思えない。病院食なのだから当たり前か。味はともかくとしてまずはバランスを見て作られているのだから。そのことは決して口にしない。食事に関して私はなにも言わない。絶対になにも言わない。
「どう? 大丈夫そう?」
「うん、少しずつよくなってるから胸焼けも今日はしないよ」
 わずかにはだけたパジャマの胸には、痛々しい傷跡がかすかに見える。開腹手術しか使えなかったのだから仕方ない。もっと傷跡が少ない手術じゃないと知った彼は、自分に告知された病を受け止めながら笑ったのだ。君の体じゃなくてよかった、と。
「美味しいかどうかは別としてね、やっと外に出られたーって気分がするよ。ご飯のたびに」
「そっか」
「自分の世界が失われたような気がするんだよ。麻酔から醒めてしばらくは本当につらかった」
 こんな風に彼が入院生活について話すことはさほど、ない。だからこそ私はそれに耳を傾ける。
 わずかに残ったお椀に目を落として、彼はつぶやく。
「いてくれて、ありがとう」
「そんな、今更」
「いやでもさ、親も親戚もいない身としてはなにかあった時誰もきてくれなかったら、つらいよ」
 かすかに口唇を噛んで。
 そっと目を伏せて。
 独り言のように、私だけが聞き取れるような声で彼は言う。
「……もう二度と触れられないと思ってた」
 白く細い手で、そっと私の手を取る。
 かつてガラス越しに手の平を合わせたとしても、その間には冷たく透明な壁があって。
 わずかでも誰かの熱を感じることなんて、彼はできなくて。
 私がなにか伝えようとしても、直接には無理で。
 どんなに夜は長かっただろう?
「大丈夫だから。私、側に、いるよ」
「でも、ウェディングドレスは着せてあげられないかも」
「それでもいいよ。あなたひとりくらい養ってあげる」
 無理に笑顔を作った。
 本音を言えば、年齢的にも親がうるさかったりするけど仕方ない。私はこの人と一緒に時間を過ごしていきたいのだから。たとえなにがあったとしても。
「今更神様やなんかの前で誓うなんて、どうかと思うし気にしてないから。まずは少しでもはやく退院できるようにね」
「神様、ね」
 鼻で笑う彼は窓に目を向ける。
 梅雨から真夏、そして今は初秋――本当に長かったと思う。
 ひらひらと舞う銀杏の色づいた葉が、綺麗だった。
「僕等の神様はきっと色んなことに無関心なんだよ。こうやって愛し合う恋人たちに容赦なく試練ばかり押し付けてくる」
「一体誰の分が押し付けられてるんだろうね」
「わかんないけど……そんなものに誓うより、ずっといてくれる君のほうが神様みたいに思えるんだけど」
「そんな、私はなにもできてないから」
 ふふ、と彼はそれを聞いてわずかに笑った。
 残っていた三分がゆをひと息で食べて、水を飲んでふぅと少し疲れたようなそぶりを見せる。
「次にこの葉っぱが緑になるまでに退院できたらいいな。神様なんかに祈ったって、無関心すぎて聞き入れてくれなさそうだけど」
 そうねと私はうなずきながら、ゆっくりと彼の体を横たえる。回復してきているとはいえ、まだ点滴の針は刺さったままだし無理はよくない。
 少し寝る? と尋ねると笑みを浮かべながらうなずかれた。そしてそのまま私の手を握る。
「どうしたの?」
「無関心な神様より、うるさいくらいの女神様がついててくれたほうがずっといいや」 

 『祈るように七題』2 無関心な僕等の神様 了

 お題配布先;Fortune Fate