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アルキュオネ

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「お嬢さん」

 私が自分の部屋にある唯一の窓を開けて陽光を呼び込んでいると、窓枠を越えて入ってきたのは太陽の光ではなくて人の声だった。

「こんにちは、お嬢さん。お菓子はいかが?」

 まるで切り取られた四角の中にいる彼は微笑を浮かべる肖像画のようで、出窓の縁に上体を預けて絵の外側へと少しだけはみ出して来ていた。
 どこからか取り出した右手の、その先に掲げられたハンカチの包み。陽に翳されたシルエットはどうやらジンジャークッキーに似ていた。

「いただくわ」

 本を閉じて手を伸ばせば、菫色のハンカチが掌に載せられる。
 カワセミ色のマントを纏った、黄水晶の瞳の人。年頃は私より少し上くらいで、でも年齢の決まりをどこかで逃れたような落ち着きを持った青年だった。
 彼はいつもこうして私の部屋の窓を訪れる。ビスケットやキャンディ、時にはケーキの一切れをお土産に、一日の貴重な一瞬を私とのお喋りのために費やしてくれるのだ。

「どうしてかしら」

 くすぐったそうに細められた瞳が、澄まして答える。

「君は僕のお菓子を貰ってくれるからね」

 だから私は、唇と尖らせて答える。

「だって、あなたが持ってくるものは綺麗なんですもの」

 宝石に似た砂糖菓子、そのままブローチになる程のジャムクッキー。花弁の曲線が本物めいたチョコレートの薔薇。どれもこれも、部屋の中には見つけられない、うっとりと溜息を零してしまうお菓子達。もったいなくて飾ってあるのよ、と伝えれば、ちゃんと食べてくれないと、と呆れ顔で苦笑する。


「けれど君は、この家から出てはいけないよ」

 きっとあなたがいる世界には、私の知らないものがたくさんあるのでしょう。飴細工の白鳥にじっと魅入れば、あなたが私を嗜める。
 どうして、と、尋ねても答えてはくれないだろうから。
 そっと振り返る鉄格子の扉を、鍵穴すらないドアを、この瞬間だけはさみしく思いながら、あなたが去っていく窓の外をいつも眺めている。
 まるで大きな鳥籠のよう。
 大地はあんなに近いのに、唯一の窓から羽ばたくことは出来ない。
作品名:アルキュオネ 作家名:篠宮あさと