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伊藤ヘルツ
伊藤ヘルツ
novelistID. 22701
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眠り姫は堕天使の夢を見るか?

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真夜中の学校。廊下の窓から差し込む月明かり。その光を正面から受け、佇む私。まるでセリフを忘れた舞台女優の気分。言葉は何も生まれない。私はただ立ちつくす。
 淡い黄金色の光に、微かな色彩が含まれていることに気付く。消えてしまいそうな色。微妙な角度が織りなすストライプ。それは、私のすぐ側にある緑の非常灯と消火栓の赤ランプのせい。
 突然湧き出た衝動。赤ランプのすぐ脇にあるボタンを押す。けたたましく鳴り出す非常ベル。月の光が差し込むこの場所には全くそぐわない。
 制服のスカートを押さえながら、全力で駆け出す私。突き当たりを右へ曲がり階段を駆け下りる。蒼冷めた下駄箱を横切り、また階段を駆け上がる。廊下、階段、廊下、階段。赤い点滅に支配された校内。
 そして渡り廊下を駆け抜け、自分の教室へ飛び込む。と同時にその場にしゃがみ込む。胸に手を当て、貪るように酸素を取り込む。背中を伝う汗。破裂してしまいそうな心臓。静脈から動脈へ、フル稼働で血液を押し出す。
 やがて非常ベルは鳴りやみ、校内は元の静けさに包まれる。息が整うとともに、頭の中が静寂の音で満たされてゆく。
 そこで私は気付く。整然と並べられた机。窓際の一番後ろの席に誰かが座っていることを。月明かりに照らされた女の子。顔を机に伏せているため誰かはわからない。でも、その人物は紛れもなく私自身。なぜならそこは私の席だから。
 足音をたてないように、ゆっくりと私自身へ近づく。眠っているの? リノリウムの床からは、隠しきれない私の足音。けれど私自身は身動き一つせずに机に伏せている。
 シルクのような髪。微かな呼吸と共に上下に揺れ、キラキラと反射している。なだらかな肩。その肩から伸びている白くしなやかな腕。手首に巻かれた小さな腕時計が、控えめに時の流れを主張している。
 そして、その肩にそっと触れる私。と同時に、私の肩も誰かに掴まれる。ゴツゴツとした岩のような感触。グローブの様に大きな手。
 振り向くとそこに、蒼白い光に照らされた父がいた。

 1 イカロスのネックレス

 ベッドから起きあがる私。白いレースのカーテンが揺れる。窓からは穏やかな風。純白の世界に包まれた室内。天井も、壁も、シーツも、何もかも白い世界に溶け込んでしまっている。お互いが反射し合い、まるで自分が宙に浮いているような錯覚。失ってしまいそうな平衡感覚。私は子猫のように眩しさに目を細める。
 窓から聞こえる音。これが私の目覚めた原因。渋滞気味の車、ノロノロと動くバス、すれ違う人達、連なる店とビルディング。そして散乱したゴミと、それに群がるカラス。機械的な日常が今日も繰り返されている。何の疑問も抱かずに、そして少しの狂いもなく今日をこなす人々。
 それに引き替え、ここはどうだろう? 真っ白で、限りなく無に近い世界。優しい風が頬を撫でるだけ。まるで時間が静止しているよう。私は白い世界を漂う。漂いながら下界を見下ろしている。そこにあるものは、いつもと何も変わらない退屈な風景。
 窓とは反対の方向へ目を向ける。白いプラスチックのトレイに朝食が用意されている。二つにカットされたトースト。その隣には、色鮮やかなサラダ。カップに注がれたスープからは、白い湯気が上っている。コンソメの香り。でもあまり食欲がない。それはきっとこのメニューのせい。
 そして手元に置いてあった縫いぐるみに目を落とす。ボロボロの小さなテディーベア。腕や首の部分には、決して上手くはない修繕の後。体を大の字に広げて眠っている。ううん、目を開けてるから起きているはず。私は確認するために縫いぐるみを抱いてみる。微かに鼓動を感じる。そう、私の胸に……。

 ノックの音とともに、白衣を着た女の人が入ってくる。私のベッドの縁に座り、微笑みながら私を見つめる。でも私には微笑み返す理由が見つからない。確かに顔見知りではあるけれど、それだけの理由で顔は綻ばない。
 先生は無表情の私を気にすることもなく、笑みを保ったまま私に体温計を差し出す。そして私の父の話を始める。
 先生の口から父の話題はよく出るけれど、その度に気分が悪くなる。胸の中心が、更に中心へと収縮して行くような……後頭部の髪の毛を後ろへ引っ張られているような……そんな気分。記憶の底から湧き出る黒い嫌悪感。それがオレンジ色に発光して、私の中を支配する。
 ふと先生の胸元へ目が行く。珍しいネックレス。大きさは三センチくらい。ディープブルーの石に、男の人の顔が掘られている。そして顔の両側に誇示された大きな翼。それらにゴールドの塗料が流し込まれている。
 私は父の話題を中断させるために、その奇妙なネックレスについて質問してみる。
「イカロス」と先生が一言呟いた。
 ラビリンスに閉じ込められたダイダロスとイカロス。脱出を試みるために鳥の羽を蝋で固めて翼を作り、そして空へ飛び立った。しかし太陽に近づきすぎ、太陽の神であるヘリオスを怒らせたイカロスは、翼を溶かされ大海原へと落ちて行った。
 先生が何かを喋るたびに、その石は微妙に角度を変え、室内の光にキラキラと輝く。
 いつしか話題は父の話に戻っていたけれど、その石を見つめていることで、不思議と私の気分は紛れた。
 やがて先生は私との距離を更に詰めた。そして私の頬に触れる。ひんやりとした手。私を海底から海面へ引き上げるような手。親指が涙を拭うように目の下をなぞる。
 私は泣いていたの?

 2 セラピー

 騒がしい教室。いくつかのグループに分かれて、楽しそうに雑談をしている生徒達。一番後ろの窓際の席で眠っている私。飛び交う言葉は一旦私の耳に入り、私というフィルタに断片化されて、開け放たれた窓から、春の校庭へと逃げて行く。
 それらの言葉と入れ違いに、優しいそよ風が舞い込む。そして私の髪を揺らし、頬をくすぐる。それは目が覚めてしまう一歩手前の心地良さ。
 私はクラスメイトに『眠り姫』と呼ばれている。それは決して良い意味ではなく、私が一日中眠っているから。
 退屈な授業、退屈な休み時間。退屈な登校、退屈な下校。私の眠りは時と場所を選ばない。微睡みが顔を出したかと思うと、たちまち深い眠りの国へと誘われる。誰もが、私の眠たげな顔しか知らない。私の霞んだ瞳しか知らない。

 チャイムが鳴り、静かになった教室。三時間目の授業。教室を支配している教師の声。気怠くも支配的な言葉。私を更なる眠りの底へと引き込む。
 シャープペンシルとノート。黒鉛の芯がリズミカルに薄片の上を滑る。まるでモールス信号のよう。生徒達の無言のやり取り。私には関係のない秘密の会話。解読不可能な暗号。
 私は眠る。支配的な言葉とモールス信号に包まれて。私の腕時計から紡ぎ出される時間の音を聞きながら。やがて私は、外部とのアクセスを絶つ。誰も私の眠りを妨げようとはしない。なぜなら、私は『眠り姫』と呼ばれているから。

 突然誰かに肩を掴まれた。岩のようなその感触。否応もなく眠りの国から引き戻される。不透明な意識のまま、前髪を掻き上げ体を起こす。そこには、スーツに身を包んだ父が立っていた。