小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

尖塔のみえる町で

INDEX|5ページ/23ページ|

次のページ前のページ
 

2 マドリードから・二十六歳・ピラ 五月




 きょうは本当に楽しかった。ケンブリッジに来てから、けっこう楽しい日々を送ってきたけど、今日はまた特別な一日だった。
 ミキ、マユミ、ユージ、テツオ。どうして私は日本人とばかり仲良くしてるんだろう。自分でも不思議だけど、学校にいるスペイン人の生徒とはほとんど話をしない。英語を上達させるにはスペイン語はなるべく使わないほうがいいと思っているためでもあるけど、実際、今の学校には気の合うスペイン人はいない。ミキたちといるほうがずっと楽しい。
 ユージも、マユミも、私が日本人にとても似ているという。容姿ばかりでなく、性格もほかのスペイン人に比べると落ち着いていて控えめなところが日本人っぽいのだそうだ。言葉にしなくても気持ちが伝わる感じがするのだという。生まれてこの方、マドリードではそんなこと言われたことないのに、当の日本人がそう言うのだから間違いないんだろう。
 ユージは「生まれる前は絶対、日本人だったんだよ。それでおれらはみんな、知り合いだったのかも」などと訳のわからないことを言う。日本ではそういう考え方があるらしい。
 テツオはテツオで、遥か昔、日本のサムライがスペインに渡り、そのまま住みついたため、日本人の血をひくスペイン人がいるというおもしろい話を聞かせてくれた。私は聞いたことがないけれど、もし私にもサムライの血が流れているとしたら、なんだかカッコいいな。
 この町で日本人に会うまでは、特に日本に興味はなかった。それが、いまはミキが聞かせてくれる日本の歌がすっかり気に入っている。まねして「どしたの?」と口ずさむと、ミキたちはうまいと褒めてくれる。やっぱり昔日本人だったのかしら。日本語は私には「ころころころ」というふうに聞こえる。なんだか英語よりかわいい響き。
 きょうはこの仲良し四人が、来週この町を去る私のために、スキヤキパーティーを開いてくれた。なんでも日本では、スキヤキというのが家庭でのちょっとしたご馳走なのだそうだ。本当は冬の寒い時季の料理らしいけど、きょうのケンブリッジは風が冷たい寒い日だったから、ちょうどよかったのかも。
 みんなは学校の近くにあるチャイニーズショップで食材を買い込み、私の案内で隣町の下宿先に向かった。隣町に下宿しているのは私だけ。遠いのでふだんはバスで通学しているけど、みんなは自転車を持っているから、きょうは私も自転車屋さんで借りて仲間入り。自転車に乗るのは実は子供のころ以来、おそらく二十年ぶりくらい。案じていたとおり、ちょっと気を弛めるとふらついて危なっかしいことこの上ない。
 私がときどきバランスを崩しそうになるものだから、みんなできゃーきゃー騒ぎながら、チェリーのピンクの花がたくさん咲いているケンブリッジの郊外を北上していった。途中、大きなラウンドアバウトに入るとき先頭の私が右腕を横に伸ばしてふらつきながらも「ターン・レフト」と堂々と叫んだときは、続く日本人四名は右へ行けばいいのか左に行くべきなのか判断しかねて、ユージ、マユミ、テツオ、ミキの順に道の真ん中で急停止してしまった(と後から聞いた)。
 私は端から右へ行くつもりだったので、ラウンドアバウトをなんとか大きく右回りに走ってそのまま直進していったのだが、そこで初めて後方で激しいクラクションとみんなの叫び声が湧き起こっているのに気づいて目を丸くした。
 きっとまたレフトとライトを言い間違えたんだとすぐに思い至った。しばらくして私のもとにたどり着いた四人に向かって、「みんな毎日自転車に乗ってるくせに、ラウンドアバウトも通れないの」ってわざととぼけてみせた。そしたら、ユージが「ターン」と言いながら右腕を横に伸ばした。私がすかさず「レフト」と大声で言うと、みんなは呆れ返り、笑顔で口々に文句を言った。私は笑いながら「ソーリー、ソーリー」とくり返すばかり。
 私がこの四人と行動をともにすると、なぜかたいていこういう展開になるのだ。私はマドリードでは、もっとまじめで、頭の固い人物にみられていたはずだ。オフィスでパソコンを睨みつけるようにして事務仕事をしていたときの姿なんて、みんなには想像できないだろうな。
 スキヤキは予想していたよりはるかにおいしかった。トーフとかいう白くてぐにゃっとした食べ物も悪くなかった。味は全然違うけど、田舎の母がよくつくってくれた煮込み料理を思い出してしまった。母はもう死んでしまったから、あれは二度と口にできないのだけど。
 私はスキヤキを食べるとき、生まれて初めてハシというものを使った。それは中国風の長いもので、日本ではもっと短いのを使っているらしいが、その手つきがすごく自然だといって、みんな私の日本人説にまた自信を深めたようだった。
 スキヤキを食べながら、私たちはいろんな話をした。ユージが私のことを好きなのではないかとマユミが言ったときは心底驚いた。ユージは照れ笑いを浮かべるだけで否定しなかったので、本当のことなのかもしれない。
 ユージが、私のことを? 悪いけど、そんなことまったく感じたことはなかった。それらしい素振りをみせたこともない(と私は思う)。確かに、学校でもよく話しかけてくるけど、彼は私がしゃべるとき人差し指を立てる癖(スペインの学校では授業中発言するときはそういう仕草をするのだ)をまねしてみせて茶化したりするような幼いところがあって、実際歳も五つも下だし、恋愛対象としてみる相手じゃないのだ。ユーモアもわかるし、友だちとしては楽しいんだけど、私はもっと頼りがいのあるホセのような人がいい。その彼とも、別れてもう一年以上がたってしまったけど。
 それにしても、こんなにあったかくて楽しい食事は久しぶりだった。マドリードのアパートで一人暮らしをしている私は、食事はほとんど外で済ませてしまう。みんなスキヤキが恋しくて食べたかったのかもしれないけど、私にも食べさせたいという思いで集まってくれたのがわかるだけに、私はここで本当に幸福な時間をもてたことを主に感謝したい。
 来週、私はミキといっしょにマドリードに帰る。彼女はしばらくマドリードで過ごしたいのだという。まだ十九歳のミキは世間知らずというか自由奔放というか、すこし変わってるけど、妹みたいでかわいい。アパートに泊めて、町を案内してあげよう。会社が倒産し失業中の私には時間はたっぷりある。残念なことにお金には限りがあるけど。
 次は旅行会社で働きたくて、そのために英会話を磨こうとこの町で二か月間勉強してきたわけだが、職探しの厳しいマドリードで、それが果たしてどれだけの効果をもたらすか私には正直わからない。将来の不安は、もちろんある。弟は大学の研究室に勤める堅実な人生を送っているから問題なさそうだけど、父も弟も私のことをとても心配していること、このままじゃ姉として立場がないのも十分わかってはいる。
作品名:尖塔のみえる町で 作家名:MURO