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敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の二

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「お武家さま―」
 言いかけたまつに、敬資郎は微笑む。
「お武家さまではない、敬資郎と呼んでくれ」
 まつは頷いた。
「敬資郎さま、真に申し訳ございません。私、あの時、嘘を申し上げてしまったのです。私は若松屋の娘などではないのです」
 まつの瞳は深い哀しみの色を湛えていた。
 敬資郎は、そのあまりにも哀しげな瞳に胸つかれた。
「そなたが話したくないのであれば、無理に聞き出そうとは思わないのだ。気にしないでくれ」
 そう言った敬資郎をまつが真摯な眼で見つめる。こんなときなのに、彼は身体がカッと燃えるように熱くなった。
「いいえ。二度も助けて頂いたお方に、偽りは申し上げられません。敬資郎さま、お聞き下さいませ。私は吉原に住まいしております」
「―吉原」
 流石に敬資郎も瞠目した。この可憐な娘が吉原に住んでいる―? しかし、どう見ても、遊女には見えない。
 敬資郎の思惑を見透かしたかのように、まつが続けた。
「うちは春霧楼という遊女屋を営んでおります」
 お許し下さいませと、まつがいきなりその場に土下座した。
「私は自分が女郎屋の娘であることを恥じたことはございませんが、人を売り買いする家業そのものは、かねてから恥ずべきことだと思うておりました。それゆえ、つい、敬資郎さまに自分が若松屋の娘だなどと真っ赤な偽りを述べたのです。私は恥ずかしい。幾ら本当のことが言えなかったからといって、偽の素姓を騙るなど」
「手を上げてくれ、まつどの」
 慌てたのは、かえって敬資郎の方であった。
「私は気にしてなんかいない。偽の素姓とたった今、そなたは言ったが、そのような些細な嘘など、誰しも一度や二度は口にするものだぞ」
 そう言いながら、かく言う敬資郎自身も本当の身分を隠していることに思い至る。将軍の末子でありながら、この身は稲葉泰膳の子として市井で暮らしているのだ。
「では、今宵、そなたがやけに浮かない表情をしてるいのも、そのことが原因だったのか? それとも何か別に心配事でも?」
 え、と、見上げたまつの漆黒の瞳から、やや眩しげに眼を逸らし。
 敬資郎はあらぬ方を見つめて言った。
「私が半年前にまつどのを襲った連中にしつこくつきまとわれてはいないかとお訊ねしたら、随分と浮かない顔だった」
 ふいに黙り込んだまつに、敬資郎が勢い込んで言った。
「もしや、まだ、あの連中が何か悪さをしかけてくるのか?」
 しばらく沈黙があった。先刻までの―これが二度目、しかも一度目は顔を合わせたにすぎない者同士の逢瀬とは思えないほどの和やかな雰囲気は跡形もなく霧消している。
 気詰まりな沈黙は、先刻の質問の応えを何より雄弁に物語っていた。
 では、あの連中―駿太郞とかいった男はまだ、まつを苦しめているのか!
 いきり立つ敬資郎を前にして、まつは沈んだ声音で言った。
「今だから申し上げますが、半年前、私に絡んでいた人―駿太郞さんは、日本橋の扇屋の若旦那です。駿太郞さんは、うちの見世にもよく登楼する常連さんで、私とも初対面ではなかったのです。実は、私は養母から―」
 ふっと言い淀んだその先の科白を、敬資郎は聞きたいような聞きたくないような想いに駆られた。
 まつのか細い声が一段と低くなり、よほど注意深く耳を傾けていなければ聞き取れないほどになった。
「養母から客を取るようにと言われています。扇屋の若旦那が熱心に水揚げに名乗りを上げるので、養母はかなりその気になっているようなのです」
「そなたはそれで良いのか!」
 まつに当たっても仕方ないと思いつつも、敬資郎は吠えずにはいられなかった。この眼前のいたいけな少女をあの蛇のような底光りのする眼を持つ男が組み敷き、好き放題に蹂躙する―、考えただけで、気が狂いそうだ。
「幾ら女郎屋だからって、実の娘を女郎にするとは酷い」
 拳を固める敬資郎を見つめるまつの双眸が揺れていた。
「敬資郎さま、私は春霧楼の本当の娘ではないのです」
「―それは、どういうことなのだ? おまつ」
 訝しげな視線を逸らすことなく受け止め、まつは哀しげに微笑んだ。
「私は十四年前の早朝、春霧楼の前に棄てられていました。赤ン坊だった私を、春霧楼の主夫婦が養女にして育てて下さったのです。捨て子だった私を今日まで育てて下さったご恩は、到底忘れられるものではありません」
「だからと言って、何で、おまつが身売りしなければならない? たとえ自分の血を分けた子であろうと、拾いっ子であろうと、一度でも我が子と呼んだなら、その子は紛れもねえ我が子だろうが! 親が手前の子を育てるのに、恩も糞もあるかよ。お前の親は血も涙もねえ鬼のような奴らだ」
「―敬資郎さま、お願いですから、お義母さんのことを悪く言わないで。お義母さんは五年前におとっつぁんを亡くして、たった一人で見世を守ってきたの。お義母さんにとって、春霧楼は我が子のような大切な存在なんです。お見世を守り抜くためなら、何だってしてしまうのも仕方ないんだから」
 まつの眼に大粒の涙が溢れている。
 その涙の雫をぽろぽろ零しながら、まつは語った。
「私が五つくらいのときのことでした。近所の同じ歳の子たちから〝拾いっ子、親なしっ子〟とはやしたてられ、一人泣いていたんです」
 誰も一緒に遊んでくれる人もいなくて、淋しくて泣きながら家の庭でままごとをして遊んでいた。笹舟のお皿に泥団子を乗せても、食べる真似をしてくれるお客さん役の子もいなかった―。
 哀しくなって、しくしく泣いていたまつの小さな肩にそっと置かれた手。
―どうか、あたしにその団子を一つ、おくれでないかえ。
 弾かれたように顔を上げたまつの瞳に、義母おえんの微笑がいっぱいに飛び込んできた。
―ほら、あたしは赤まんまをお土産に持ってきたから、その美味しそうな団子をご馳走しておくれ。
 おえんが〝ほら〟と差し出した両手のひらには、蓼の赤紫の花びらがたくさん盛り上がっていた。昔から蓼の花びらを赤飯に見立てて飯事に使うことが多い。
 黒い瞳を瞠るまつに、おえんは優しい笑顔で語りかけた。
―お前は誰が何といおうと、あたしとおとっつぁんの娘さ。だから、何を言われようと大いばりで春霧楼の娘だと言っておやり。
 そう言って抱きしめてくれたおえんの背後で、真っ赤な蓼の花が秋の風に揺れていた。
あの日、まつは、おえんの腕に抱かれて思いきり泣いた。穏やかに降り注いでいた秋の陽差し、真っ赤に色づいていた蓼の花。すべてが鮮やかな色彩とあいまって今でも記憶にに刻み込まれている。
「おとっつぁんが先だってしまってから、お義母さんはすっかり人が変わっちまって。でも、私は信じてるんです。いつか必ず、昔のお義母さんに戻ってくれるって」
「そう、か。昔は、そなたにとっても良い母であったのだな」
 自らを納得させるように幾度も頷きながら、敬資郎は言うともなしに言った。
「私もそなたと同じだ」
 え、と、涙に濡れた瞳を向けるまつのありのいじらしさに、敬資郎はふいに手を伸ばした。まつの細い手首を掴み、躊躇いがちに引き寄せる。
「敬―資郎さま?」
 まつの声が一瞬、固くなった。明らかに怯えてさせてしまっている。
「これ以上は何もしないから、今しばらく、このままでいさせてくれぬか」