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敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の一

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 母お郁が敬資郎の身代わりとなって生命を失ったあの日からほどなく、尾張大納言徳川連(つら)久(ひさ)が原因不明の病で逝去した。連久は世間的には病死と公表されたものの、内実は将軍直々の命で切腹したのだという噂がまことしやかに流れた。
 連久は徳川将軍家とは最も近しいとされる御三家筆頭の当主であり、尾張藩の藩主でもあった。その母は前(さきの)将軍の妹姫、従って家連と連久は血の繋がった従兄弟になる。
 連久は家連より数歳若かったが、万事につけ、〝無能〟とされる将軍よりも秀れているといわれ、現実に国許でも見事な為政者ぶりを発揮し、数々の施策を打ち出し国を富ませ〝中興の英主〟と領民に至るまで尊崇を受けた。
 果たして連久自身が大それた野心を抱いていたかどうか―、今となっては知るすべもない。しかし、こういった人物を自分たちの旗印として担ぎ出そうとする人々はいつの世にもいるものである。
 ゆえに、連久にその気があるかということは大した問題ではない。ただ、彼の存在自体が家連にとっては大いなる脅威となっていたのは疑いようもない事実であった。加えて、家連には都合の悪いことに、連久は国許はむろん、江戸表でも少なからぬ人望を集め、幕府の中枢においても彼を支持する声が高かった。
 お郁を殺した(本当は敬資郎を殺そうとしたのだが)輩たちは実に愚かな行動に走ったのだといえる。その企てに連久が拘わっていたならともかく、連久本人の意思が全く反映されていないのだとしたら尚更、愚挙であったとしか言いようがなかろう。
 かねてから、この俊敏な従弟を眼障りだと思っていた家連に、連久排除の絶好の口実を与えたのだから。それでなくとも、家連はその頃、とみに疑心暗鬼になっていた。我が子ばかりか、ついには我が身の生命までが取られるのではと夜もろくに眠れず、うなされる日々が続いていたのだ。
 そんなときに、大切な一粒種を預けていた泰膳の妻が殺害されたのだ。しかも、敬資郎の生命を狙おうとする不逞の輩から敬資郎を守るために、自ら盾となって。そのような経緯があれば、連久の死の真相がどこにあるかも自ずと見えてくるはずだ。
 家連の八人の子女を手にかけた下手人とお郁殺害の犯人が同一人物なのかまでは判らない。
―尾張大納言さまがお亡くなりになられたからといって、安心はできぬ。大納言さまはけして世俗の名誉に固執されるお方ではなかったが、闊達で明朗なお人柄は多くの者を惹きつけて止まなかった。人物としては真に惜しいお方を失くしたが、将軍家のゆく末を考えれば、かえって良かったのやもしれぬ。今後も、第二、第三の大納言さまやその後ろ盾となり、その方々を次の将軍にと擁立しようとする不心得者どもが次々に現れよう。敬資郎、そなたはただ一人の将軍公子だという自覚を持ち、己れの生命は自分のものだけではないと思え。
 泰膳は、連久に叛意はなかったと暗にほのめかしていた。そして、連久が亡くなっても、けして油断はできないのだ。また、いつ、似たようなことが起こらないとは限らないのだ。だからこそ、自分の身は自分で守らねばならない。そのためには剣の腕を磨くようにとも諄々と言い諭された。
 あれから十四年の星霜を重ね、敬資郎は二十一になった。泰膳の望みに応えるかのように、通う町の道場でも師範代を務め、一刀流の免許皆伝の腕を持つ頼もしい若者に成長した。
 上背のある涼しげな眼許の面立ちは、どこまでも端整で、しかも精悍さと優美さが程よく調和している。道を歩けば、若い娘なら、誰もが振り向かずにはおれないような好青年ぶりだ。
 十四年の歳月が敬資郎を凛々しい若者に変えたように、将軍家連をもまた、六十七歳の老人に変えた。ちゃんとした後嗣がいれば、もうとっくに息子に将軍職を譲り隠居している年齢である。しかしながら、表向きには家連には、後嗣たるべき男子がいないことになっている。
 次の将軍候補には御三家筆頭の連(つら)範(のり)、紀州藩主連(つら)方(まさ)と名が挙がっている。連範は亡き連久の忘れ形見であり、連範、連方共に二十七歳、十八歳と若い。
 血縁上から見れば、連範は家連の従弟の子であり、比較的近しいゆえ、幕閣の中には連範を推す声が多い。また、まだ十代の連方に比べて、二十七歳の連範は分別盛りだ。人柄も亡き父連久の闊達さを受け継ぎ、将軍としての器も十分備えている。
 家連がなかなか次期将軍を指名しないのには理由があった。言わずもがな、稲葉泰膳に託した敬資郎の存在である。昨年、敬資郎は父泰膳から、いでたちを改め直ちに登城するように言い渡された。あまりにも突然のなりゆきではあったものの、父の命には逆らえない。
 気の進まぬまま登城してみれば、待っていたのは〝父〟との対面であった。むろん対面は拝謁という形でひそかに行われたのである。ゆうに十数畳はあろうかという大広間のはるか下座に平伏した敬資郎に対してかけられた声は、二十一年ぶりに初めて対面する父親のものとは到底思えないものであった。
―稲葉の労苦のお陰にて、世継がそのように立派に育ったことは望外の歓びである。
 科白の割には実に淡々とした口ぶりで言われ、次いで、早々に敬資郎の存在を公にし、天下万民に広く知らしめんといった内容のことを伝えられた。
 しかし。敬資郎は即答しなかった。これには家連も想定外であったらしい。
―少し考えさせて頂きたく存じまする。
 そう応えた直後、しばらく続いた沈黙は家連の愕きを伝えるのに十分すぎるほどであった。
―考えるとは、いかなることか?
 ややあって返ってきた問いには流石に天下人、いささかも動じる様子は感じられなかったものの、不機嫌さを隠すつもりはないようだった。
 敬資郎は平伏したままの体勢で言上した。
―刻(とき)を頂きたいのでございます。私ごとき若輩者が天下の将軍職を継ぐなど、到底、俄(にわか)には信じがたいことにございます。このお話をお受けするにせよ、ご辞退申し上げるにせよ、性急にご返答申し上げられるべき類の話ではござりませぬ。
―されど、そちは稲葉から、いずれは自分が次の将軍位を継ぐべき身なのだとよくよく言い聞かせられていたのではないか? そなたにその覚悟と心得を促すことこそが、稲葉の役目であったに。
 暗に泰膳の怠慢、落ち度だと言わんばかりの態度に、敬資郎は込み上げてくる怒りを抑えられなかった。
 泰膳から二十一年前の状況は幾度も聞かされ、理解したつもりではあった。八人もの子女を次々と喪い、何とか末子の敬資郎だけでも生き存えさせたい―、子の無事をひたすら願い、最も頼りとする泰膳に託した家連の苦衷も十分に察せられる。
 しかし、この二十一年間、家連が一度でも、親らしい情をかけてくれたことがあったろうか。それに引きかえ、育ての父泰膳はすべてを犠牲にして、敬資郎の養育に当たったのだ。
 敬資郎を託されさえしなければ、妻お郁を失わずに済んだのに、愚痴めいた科白を一度として口にしたことはなかった。四十七歳という働き盛りの年齢にあって、将軍の勘気を蒙ったという実に不名誉な名目で隠居し、人生のすべてを敬資郎を守り育てることだけに捧げて生きてきたのだ。