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Slow Luv Op.4

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 朝の部屋に、電話の音が響く。オフは朝寝坊と決めているさく也は、それを無視した。取らずにおけば、留守電に切り替わる。しかし、相手はメッセージを入れずに、電話を切った。
 さく也は薄く目を開け、枕に頭を凭せたまま、部屋の中を見た。南向きの窓から、カーテン越しに光が入っている。時間は午後になっているようだった。構わずに目を閉じた。睡眠は、さく也の趣味の一つである。
 再び眠りの中に入ったさく也を、今度は呼び鈴が起こした。電話の柔らかい機械音と違って、古いアパートのドアベルは、無粋な音で耳を刺激する。
 さく也はベットの上で起き上がった。時計を見ると、午後二時になろうとしていた。いい加減、起きていい時間ではある。仕方なく上着を羽織って、ドアの方に向った。
 覗き穴から外を確認すると、ユアン・グリフィスが立っていた。
「ユアン?」
 チェーンキーをしたまま、ドアを開ける。ウィーンに来る際には、必ずさく也に連絡を入れてくるユアンなのだが、今回はそれが無かったので、さく也は確認するように声を発した。
 ユアンがぎこちなく笑んだ。「入っても?」と、漏れる息が白い。冷たい空気も、細く開いたドアからすべりこむ。さく也は彼を中に入れた。
 ユアン・グリフィスとは去年の八月、日本の仙台音楽祭で会って以来だった。ゲスト・ピアニストとして参加したユアンの真の目的は、エツシ・カノウに会って、その演奏を聴くことにあった。演奏家として、そして生涯のパートナーとして求めたさく也が、断る際に口にしたのがエツシ・カノウの名前だったからだ。さく也はユアンを完全に拒絶するため、その目の前で彼と弾いてみせたのである。それ以後、メールも電話も、寸暇を割いての来墺もなくなった。
 ファンヒーターのスイッチを入れ、着替えるために寝室に戻ろうとするさく也の腕を、ユアンが掴んだ。そのまま引き寄せる。長身の彼の腕の中に、さく也は抱き込まれた。
 ユアンのコートからは、雪の匂いがした。
「そのヴァイオリンは諦める。だけど、君を諦めたくない」
 耳元に寄せられた唇が囁く。軽く耳朶を啄ばんで、離れた。ユアンの腕に力が入り、さく也をきつく抱きしめる。
「愛してる、離したくないんだ」
 青い瞳が、さく也を見つめた。唇が唇を捕らえようした時、さく也の手が遮る。ユアンの腕が緩んだことを見逃さず、さく也は彼の胸を押しのけた。 
「どうして?」
 ユアンは空になった腕の中に呟いた。それから顔を上げ、髪と服を整えるさく也を見る。
「ユアンのことは嫌いじゃない。でも、恋愛感情は持てない」
 さく也は答えると、寝室の方に足を向けた。ユアンの声が、それを追い駆ける。
「彼が…、エツシ・カノウが好きなのか? …ピアノだけじゃなく?」
「着替えてくる」
「待ってくれ、サクヤ。どうして、僕ではダメなんだ? 彼とどこが違う? 年だって、さほど変わらないし、ピアノだって、タイプは違うけど、劣っているとは思えない。だけど、君を愛する気持ちは、僕の方が強いさ。彼は君を友達以上に見ていないぞ」
「わかってる」
「だったら!」
 さく也はユアンを見た。彼はまっすぐさく也を見つめている。その姿は重なった――相手の感情は二の次で、自分の想いを伝えようとする。表現の差こそあれ、加納悦嗣に対するさく也の姿と、どこが違う?
「好きになるのに、理由なんてない」
 ただ好きなだけだ。その気持ちが、さく也を悦嗣の元に向わせる。
 頬が熱くなったのは、温まった部屋のせいばかりじゃない。加納悦嗣のことを思ったからだった。彼とも去年の夏の仙台以来、会っていない。仕事を持つ身に、ウィーンと日本の距離は遠い。時々のメールくらいしか、悦嗣との接点はなかった。国際電話は、口下手なさく也には不向きな代物だったから。初めて悦嗣に国際電話をかけた時、思うように話せなくて、わずか三分で切った。さく也が口にしたのは自分の名前と、「うん」と「それじゃ、また」 そのことを思い出し、彼の口元に笑みが浮ぶ。
「恋愛は相愛になってこそだ…。君はそれでいいのか? 可能性の薄い相手に入れ込むなんて、サクヤ、君らしくない」
 ユアンの声が、その笑みを消した。いつもの表情の欠乏した顔を、彼に向ける。
「君はいつだって、愛されることを望んだじゃないか。相手もそれに必ず応えた。君は成就しない恋はしなかっ…」
 ユアンはハッと、言葉を飲み込んだ。成就しない恋はしないさく也が、成就しそうにない恋をしている。彼の脳裏には、今までのさく也の相手が浮んでいるだろう。父親ほどに年が離れ、それなりの地位を確保した大人の恋人。さく也の選ぶ相手はいつもそんなタイプだった。ファーザー・コンプレックスだと、周りは冗談で冷やかしたが、さく也は否定しなかった。
 ユアンはソファに座り込んだ。長い指を組んで額を乗せ俯く。しばらく彼は黙ってしまった。
「本気なのか、あんなヤツに?」
 搾り出すように、言葉が漏れた。
「…どうして、僕ではダメなんだ、サクヤ…?」
 さく也に向けられているようであり、自問しているようにも聞こえた。背を向けかけたさく也は、彼を見やる。
「ユアンは錯覚しているんだ。俺がYESと言わないから」
 ユアンに口説かれて、NOと言う人間はいない。情熱的に言葉を駆り、『青の中の青』と評される瞳で甘く見つめるられると、たとえ一夜の遊びとわかっていても、その誘いを断ることが出来ない。彼が求めて手に入らなかったことはないのだ。サクヤ・ナカハラは、唯一の例外だった。
 さく也は十七才の夏に、ジュリアード音楽院が開催した一週間のサマー・スクールで、ユアンと出会った。三日目のランチ、学院内のカフェで隣合わせたのだ。さく也は一人だったが、ユアンは五、六人のグループの中にいた。グループと言うより、「ユアンとその取り巻き」と言った風で、その人数は日に日に増えていった。男女問わず、誰もがその華やかなカリスマ性と才能に惹かれて行く。さく也には興味のないことだったので、名前は勿論、顔さえ知らなかった。それはユアンも同様で、隣に座った時も、「ここ、いいかな?」「どうぞ」のやりとりだけで、後は仲間達とのお喋りに入って行ったから、さく也に関心はなかったと思える。
 親しく――これはユアンの視点だが――話すようになったのは、その夕方から。レッスン室が取れなかったさく也が中庭で練習していたところに、ユアンが通りかかったのである。さく也は集中していて、彼が聴いていることに気づかなかった。一曲弾き終わって、目の前に立つユアンに気がついた。興奮した彼が早口で自己紹介して、さく也はユアン・グリフィスの名を知ったのだ。以来、実技講習以外の講義では、ユアンの隣がさく也の指定席になったが、さく也本人が望んだことではない。サマー・スクールの日程が終わった日に、ユアンから告白された。「君のことが好きなんだ」――それが最初で、今に至るまで繰り返し続いている。
「俺は毛色が変わっていたから、ユアンの興味を引いただけだ」
「サクヤ?!」
「相思相愛になってこそ恋愛だと言うなら、ユアンとも恋愛にはならない」
作品名:Slow Luv Op.4 作家名:紙森けい