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My Godness~俺の女神~【終章Birth誕生】

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♯Pray(祈り)♯

 運命のその日は、足音すら立てずにやって来た。
 十二月半ばのある日、実里はF駅から私鉄電車に乗り、隣町のI駅で降りた。これまでなら迷わず車を使うところだけれど、四月のあの事故以来、車は乗っていない。
 車を運転すると、どうしても、あの日のことを思い出してしまうのだ。なので、どこに行くにも交通機関を必然的に利用することになった。
 I駅で降りると、結構な道程(みちのり)を歩かなければならない。駅前の寂れた商店街を抜け、しばらく行くと、だらだらと上ってゆく坂道がある。坂の両脇には静かな住宅街が並び、その長い坂道を上りつめたところに広い墓地があった。
 頂上の墓地からは遠くはるかに海が見渡せた。蒼い、どこまでも果てなく続く海は、お腹の子を宿したと知ったばかりの頃、潤平のマンションで見た紫陽花の色にも似ている。
 あれで本当に潤平とは終わりになった。風の噂によれば、彼は予定どおり九月初旬、ニューヨーク支社に赴いたという。何と愕くべきことに、空港からロス行きの飛行機に搭乗する彼の傍らには美しい妻が寄り添っていた。
 その妻は潤平の直属の上司の姪で、それでなくとも出向から戻ってくれば栄転は間違いなしといわれている彼のこれからの輝く前途を約束しているかのようだった。
 どうやら、ニューヨーク行きが正式に決まった少し前には、上司を通じて縁談が持ち込まれていたらしい。潤平は流石に確答は避けたものの、かといって、はっきりとも断らず、上司の姪とは時折逢ったり、メール交換をしていた。
 つまり、潤平は両天秤をかけていたことになる。実里との結婚を望みながらも、万が一に備えて逃げ道をこしらえていた。それを良いように勘違いした上司は潤平が姪との結婚を決めたと思い込み、出向の話を進めた。
 もっとも、潤平が仮にこの縁談を断った場合、姪可愛さのあまり、怒った上司が出向の話を白紙にしたであろうことも十分考えられる。狡猾で貪欲な癖に、そこまで頭が回らないのが彼らしいといえばいえた。
 考えてみれば、潤平の妻になった女性も哀れではあった。夫の狡賢い本性などついぞ知らないのだから。
 所詮、実里は彼にとって、その程度のものにすぎなかったのだ。あの時、潤平のプロポーズにYesと応えなくて良かったとしみじみと思うのだった。
 既に九ヶ月めに入り、実里のお腹ははち切れんばかりになっている。傾斜は緩やかとはいえ、けして短くはない坂を登り切るのは、今の身体では至難の業といえた。
 苦労してやっと頂上に辿り着くと、しばらくは蒼く輝く海を眺めながら呼吸を整えた。
今日は殊の外良い天気で、陽光が蒼海を照らし、海は眩しく煌めいている。
 実里はしばらく海を眺めながら休むと、今度はまたゆっくりと歩き出した。広大な墓地の一角に小さな十字架がひっそりと立っていた。
 十字架の前には枯れた百合の花が忘れ去られたように放置されていた。実里は腕に抱えてきた真新しい百合の花束をそっと墓前に供えた。
 十字架はまだ真新しく〝SAKI MIZOGUCHI 1988~2007〟と彫り込まれている。
―許してください。
 実里はしゃがみ込むと、両手を合わせて黙祷した。
 実里はクリスチャンではない。だから十字は切らなかったけれど、心から亡き人に祈りを捧げた。
 あの事故以来、こうして月に一度、時間の許すときに早妃の墓参りに通い続けている。 柊路から早妃が百合の花が好きだったと聞いたので、大抵は百合の花を持ってきた。いつも白ばかりでは淋しいだろうからと、今日は華やかなオレンジ色の百合と優しいピンクの色合いのスプレーカーネーションで花束を作って貰った。可愛らしいピンクのリボンで束ねられている。
 この十字架の下に永眠(ねむ)っているのは早妃だけではない。早妃のお腹には、ついにこの世の光を見ることなく儚く逝った赤ん坊もいたのだ。
 自分がもうすぐ出産を控え、実里は今なら早妃の気持ちが痛いほど理解できた。母となる歓びを指折り数えながら待っていたのに、突如として生命を奪われてしまった。どれだけ悔しかっただろうか。生きたいと願っただろうか。
 今日、カーネーションを花束に入れたのは、母となることを望みながらも不幸にしてなり得なかった早妃へのせてもの手向けの意味もあった。
 実里は長い間、その場に跪いていた。海に面した高台の墓地は吹きすさぶ風もいっそう冷たかった。臨月も近くなったというのに、風邪を引いてはまずいと思い、そろそろ帰ろうと立ち上がったときである。
 腰に鈍痛を憶えて、思わず顔をしかめた。
またいつもの腰痛だろうと腰をさすってみたが、痛みは治まるどころか余計に烈しくなるばかりである。
 ふいに激痛が腰から腹部にかけて走り、実里は小さなうめき声を上げて頽れた。
―痛い―。
 腹を押さえながら、実里はその場に倒れた。
 痛みはひっきりなしにやってくる。まるで波が寄せるように、少し楽になったかと思えばまたぶり返しながら、確実に強くなっていった。
 やがて、生暖かいものが下腹部から溢れ出し、太腿をつたい落ちてゆくのが判った。
―まさか。
 実里は蒼褪めた。初産なので知識でしか知り得ようがないが、これは陣痛の始まりではないのか。今、ほとばしるように下肢を濡らしているのは、破水なのかもしれない。
 どうしよう。
 実里は懸命に身を起こそうしたが、痛みは増すばかりで、身動きもできない。その間にもひっきりなしに痛みが襲ってきて、実里はパニックに陥った。
「―誰か、誰か来て」
 しかし、こんな真冬の平日に辺鄙な墓地を訪れる人はいなかった。
 このままでは出産が始まってしまう。
 実里は恐慌状態になりながら助けを求め続けた。
 その時、誰かが駆け寄ってきて、実里は逞しい腕に抱き起こされた。
「大丈夫か?」
 この声は―。
「柊路さん?」
 うわ言のように呼ぶと、相手が息を呑む気配がした。
 またひときわ烈しい痛みが直撃した。実里は痛みに顔を歪めながら、必死で訴える。
「お願いです、助けて。赤ちゃんが、赤ちゃんが生まれそうなんです」
 既に意識は朦朧としていた。
「おい、しっかりしろ、眼を開けろ。眼を開けてくれ」
 声は若い男のものだった。この人が親切な人ならば良い。もしそうなら、病院まで連れていってくれるだろう―。
 そこまで考えて、実里の意識は完全に闇に飲み込まれた。

 時間はこれより少し前に遡る。
 悠理はこの日、実里に遅れることわずかで墓地に辿り着いた。ここは海沿いで眺めも良い場所だし、陽当たりも良い。わずか十九歳で逝った早妃が永久(とわ)の眠りにつくにはふさわしい場所だ。
 悠理自身は無宗教で、父は小さな仏壇を祀っていたから、実家は仏教なのだろう。だが、短い人生で色々ありすぎたせいか、神仏に頼るという思考など、とうに棄てた。
 早妃は個人的にキリスト教を信奉していたし、時には近くの教会の礼拝にも参加することもあった。それなら、彼女の望むやり方で葬式をしてやれば良いと思った。
 早妃の墓の手前まで来た時、彼は墓前に先客がいることに気づいた。相手は悠理の存在には気づいてはおらず、一心に祈っている。