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我的愛人 ~我的愛人~

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第二章



 璧輝は冴えた月明かりの下、同じ敷地内の主に居住宮である緝熙楼へと車を走らせる。別に徒歩でも構わないのだが、いざという時の為すぐにこの場から立ち去れるように、そのための車なのだ。
 何故なら、今宵自分は禁忌を犯そうとしているのだから。
 エンジンを止め、キーを抜く。そして車から降り足早に正面玄関へと向かう。
 レンガ造りの西洋風の重厚な建物。新国家誕生の際に新築されたわけではない既存の建造物であったので、一国の元首が住まう宮城としては何とも質素でお粗末なものであった。

「熱河安国軍総司令金璧輝。満洲国執政夫人婉容様に建国一周年の祝賀のご挨拶に参上した。お取次ぎを」
 守衛に敬礼をし、用向きを伝える。守衛は「熱河安国軍総司令」という肩書に安心したのか、直ぐに取り次ぎ、扉の中から女官らしき地味な旗袍を着た中年の女が璧輝を邸内へと招き入れた。
「奥様はご気分がすぐれないご様子で、大変申し訳ないのですがどうぞお引き取りを」
 がらんとした広大な邸内に乾いた女官の声が響き渡る。予想通りの答えに璧輝は苦笑すると、馴れ馴れしく女官の肩を抱いて、その手に幾らかの金を握らせた。
 軍帽から垣間見えた璧輝のあまりにも端正な顔立ちに、女官は年甲斐も無く思わず顔を赤らめ、ついてこいと言うのか踵を返して黙って歩き始めた。暗黙の了解で璧輝もその後に続く。

 階段を上がり左に曲がった、二階の一番奥の部屋。歩く度に腰に差した軍刀がカチャカチャと耳障りな音を立てる。普段は気にならないその音さえも、この死人が住むようなこの屋敷全体に鳴り響いているような錯覚に陥る。
「奥様、お客様でございます」
 女官はそう告げると璧輝に一礼して立ち去ろうとする。その腕をぐいっと掴んで、
「このことは内密に。もし誰かに知れたらお前の命は無いからな」
 低く凄むと女官は慌てて逃げ出した。

 室内に入るとすかさず璧輝は扉の内側から静かに鍵を掛けた。
 そして足を一歩踏み出した瞬間、この部屋の異様な空気を感じ取って思わず顔を顰めた。
「婉容……?」
 歩みを進めるにつれ、さらに濃度を増してゆく鼻に衝く香りと重苦しい闇。それをかき分けて顕㺭は部屋の主を捜し求める。
「……どな……た?」
 遠くから届く、微かなか細い声。
「僕だ」

 奥の寝室。垂れこめた深い闇の中、手探りで足を進めるその先に幻のようにぼんやりと浮かぶ淡い灯。白い煙が漆黒の空間にぼやけたアラベスクを描いて、幾筋も幾筋もゆっくりと湧き立っては消えてゆく。目指す部屋の主を認めた瞬間、璧輝の両膝が力無くがくんと折れた。
「そんな……」
 むせかえるようなこの香り、全身に絡みつく紫煙。
 深紅のつややかな絹が張られたソファに身体を投げ出し、クッションに頭を深く沈め、ぐったりと仰向けになって長い煙管を銜えた婉容の姿がそこにあった。
 艶めかしい半開きの唇から白い煙が吐き出される。純白の旗袍には七色の絹糸で婉容の好きな蓮の花の刺繍が施され、乱れた裾から露わになった大腿の、あまりの青白さに目を奪われる。細いうなじにもつれる黒髪、潤んだ瞳の焦点は定まっておらず虚空を見つめたままだ。
「……まさか阿片なんて!」

作品名:我的愛人 ~我的愛人~ 作家名:凛.