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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅱ

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「ほら、予はこのように女には手が早い。そなたが思っているほどの聖人君子ではないぞ?」
 笑いを含んだ王の声に、誠恵はしばし見惚れる。
 夜目にも王の整った顔立ちがはっきりと判る。生まれてからこのかた、これほどまでに美しい男を見たことはなかった。
「だが、予が女にだらしなくなるのは、どうやら、たった一人―そなたを前にしたときらしい。他の女に心動かされたことなど一度たりともないのに、そなたを前にすると、私の心は妖しいほど波立つ」
 吐息のように耳に流れ込んできた言葉に、誠恵は小刻みにか細い身体を震わせる。
「構いませぬ」
 幾千もの夜を集めたような深い漆黒の瞳が自分を見つめている。その瞳に吸い込まれ、落ちるところまで落ちてゆきたい。
 そんな想いに、ふと、駆られた。
「他の女人にそのように仰せなのは嫌にございますが、私だけならば、よろしうございます」
 月光に浮かび上がった可憐な少女の顔が一瞬、妖艶な色香漂う女へと変化(へんげ)する。
「緑花、―好きだ」
 再び押し当てられた男の唇は今度は先刻の冷たさが嘘のように熱かった。
 息をつけぬほど狂おしく奪われる。一旦離れたかと思うと、また重なり、角度を変えた口づけは果てしなく続く。
 息苦しさに胸を喘がせた隙を狙ったかのように、男の舌が口中に忍び込み、逃げ惑う舌を捕らえた。舌と舌が絡み合い、唾液が混じり合う。淫猥な音が夜陰に響き、その淫らな音は誠恵の身体中に得体の知れぬ妖しい震えを漣立せた。
 誠恵の眼尻からひとすじの涙が流れ落ちる。
 どれくらい経ったのか、漸く口づけを解いた王は誠恵の涙を見つけ、ハッと衝かれたようであった。
「どうした、何故泣く? やはり、嫌だったのか?」
 誠恵はかすかに首を振った。
 自分でも正直なところ、判りかねたのだ。殺すべき相手に恋してしまった自分への哀憐の涙か、それとも、獲物をまんまと油断させ、自分の魅力の虜にしてしまったのが嬉しかったのか―。
 だが、計画どおりに事が運んだというなら、泣く必要はないはずだ。
 どうして、こんなに哀しいのだろう。
 どうして、こんなに泣けてくるのだろう。
 どうして、人生はこんなにも残酷なのだろう。十五年の生涯で初めて好きになった男が自分の殺さなければならない相手だなんて。
 まるで幼児をあやすかのように、光宗が優しい手つきで誠恵の背を、髪を撫でる。
 どこからか、夜風に乗って芳香が漂ってきた。そういえば、鮮やかな大輪の薔薇が池の畔に咲いていたのを今更ながらに思い出す。
 対岸に咲き誇っている花の匂いが水面を渡る夜風に乗って流れてきたのだろう。
 闇に咲く鮮やかな一輪の黄薔薇。
 誠恵の眼裏に、月華楼で見たあの光景がありありと甦る。
 薔薇を手にした領議政はこう言った。
―暗闇に艶やかに咲き誇る花となり、その色香で若き国王を虜にし、意のままに操るのだ。―そして生命を奪え。
 思わず両手で耳を塞ぎたい想いを堪(こら)え、誠恵は歯を食いしばる。
 私の任務は、この男を殺すこと。
 懸命に自分に言い聞かせる。
 一陣の風が二人の間を吹き抜け、薔薇の甘い香りがひときわ強く香った。
 今はただ何も考えず、この至福の一瞬に身を委ねていたい。
 誠恵は眼を瞑って王の逞しい腕に抱かれていた。

 すべては、誠恵の目論見どおりだった。若き国王光宗は、無垢な少女のふりを装った誠恵に夢中になっていった。
 二人の逢瀬は、ほぼ毎夜のように続いた。或るときは無人の殿舎の一室で、或るときは庭園の池に面した四阿で、忍び逢いはひそやかに熱く重ねられた。光宗には中殿はむろん、側室の一人もいなかったため、後宮の殿舎は空いているところが多かった。人気のない空き部屋で、二人は狂おしく唇を重ね合った。
 幾ら当人同士が内密しておこうと、こうした噂はすぐに広まるものである。誠恵が女官として上がってからひと月が経つ中には、既に誠恵が国王殿下のお手つきであることは後宮はおろか、宮殿中にひろまっていた。
 ある夜、誠恵は一日の仕事を終え、いつものようにそっと自室を抜け出した。
 いつも待ち合わせる場所までいそいそと翔るように急ぐ。
 そこは後宮の殿舎の一つで、先代永宗の時代には貴人の位にあった妃に与えられていた。現在は空いており、住む人とておらぬ淋しい様相を呈している。
 両開きになった扉越しに、淡い明かりが洩れている。
 誠恵は周囲に人気がないのを確かめてから、用心して音を立てぬよう扉を開け中にすべり込んだ。
「おいでになっていらっしゃったのですね」
 大抵、光宗の方が先に来て待っていることが多い。誠恵は女官としての仕事をすべて終え、一旦自分の部屋に戻る。更に刻を経て周囲が寝静まったのを見届けた後、人眼を忍んで来るのだ。必然的に遅くなるのは、どうしようもない。
「今宵は、もう来ぬのかと思い、よほど予の方からそなたの許に訪ねてゆこうかと思ったぞ?」
 冗談半分、本気半分といった様子の王に、誠恵は頬を膨らませた。
「酷(ひど)い、殿下がそのような意地悪を仰るとは、今日の今日まで私も存じ上げませんでした」
 と、王は破顔する。
「戯れ言などではないぞ。本気も本気、恋しいそなたの顔を見たさに、そなたの部屋に忍んでゆこうと思うていた」
 刹那、誠恵は狼狽えた。
「なりませぬ、そのようなこと、絶対になさってはなりませぬ。誰かに見つかったら、大変なことになります」
「どうして? 予がそなたを寵愛していることは、既に知らぬ者がおらぬらしいではないか」
 誠恵は唇を噛み、うつむいた。
「それでも、私は嫌でございます。噂はあくまでも噂にすぎませぬが、現場を実際に他人(ひと)に見られるのとは違います」
「判った、判った。先刻の言葉は、そなたがどんな顔をするかと思うて、口にしてみただけのことだ。そなたが予に部屋に来て欲しくないと申すのであれば、予はゆかぬ」
「―殿下の意地悪」
 誠恵は王を軽く睨んだ。そんな誠恵を見、王は愉快そうに声を上げて笑う。
 シッと、誠恵が人さし指を唇に当てた。
「あまりにお声が大きくては、他人に気付かれまする」
 これには光宗は露骨に憮然とした表情になった。
「全く、あれも駄目、これも駄目。そなたは人眼に立つことを必要以上に気にするが、別に予は誰に見られたとて、一向に構わぬ」
「殿下と私とでは立場が違います。殿方には一時の戯れの恋でも、私は真剣にございます」
 誠恵が訴えると、光宗がつと手を伸ばし、誠恵の手を掴んだ。
「面倒な理屈や話はもう良い」
 引き寄せられ、王の逞しい胸に倒れ込む。
「予はこれ以上、我慢ができぬ。誠恵、今宵こそ、予のものになれ」
 誠恵が小さな手で王の厚い胸板を押し返した。元々、誠恵は少年にしては身の丈も高い方ではない。身体つきも細く華奢で、〝可憐な少女〟になり切るのは造作もなかった。
「なりませぬ、殿方のお心は秋の空のように変わりやすいものにございます」