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松田ナオユキ
松田ナオユキ
novelistID. 38215
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金切り声をあげたような車のブレーキの音が聞こえた。
青年はそちらを一瞬振り向いたが、次の瞬間全身に衝撃が走り、目の前で火花が散った。
再び後頭部にとてつもない大きな衝撃が走った時、意識がぷつんとなくなった。
青年は会社のビルの入り口から向かいのビルに移動しようとした際に、走ってきたタクシーに轢かれたのであった。
全身を強く打ち、即死だった。頭蓋骨は骨折し、脳髄が流れ出していた。

 青年が目を覚ますとそこは何もない白い四角の部屋で、真っ白い雲のじゅうたんのような、ドライアイスの煙のようなものが充満していた。
まるで映画かドラマで良く見るような光景であった。

 そっと顔を上げて見ると、そこには白い装束をまとった老人が立っていた。
「ここは…どこですか?」青年が尋ねると、
「お前は死んだのじゃ。」と老人が答えた。
「そんな…」嘘だ、と叫びたかった。果てしない絶望感と悲しみが青年の心にこみ上げて来た。

「お前は車に轢かれて死んだ。ほれ見えるじゃろう、あれがお前の姿じゃ。」
老人が顎で指した向こうには、確かに青年の無残な死骸が道路に横たわっていた。青年は生まれて初めて見る自分の無残な姿に愕然とした。

「僕が…死んだ?そんな…」青年の心に深い悲しみがこみ上げてきて、涙をこらえ切れなかった。とめどもなく涙があふれてきた。
「そうじゃ。死んだのじゃ。」動揺する青年に対して老人はこう続けていった。
「しかし、お前は本当はここで死ぬ運命ではなかった。わしの一世一代の不覚、間違いじゃった。」
「不覚?間違い?」
自分は間違いで死んでしまったのか、そう思うとまた絶望感がこみ上げてきて青年は大きな声を出して泣き叫んだ。

 青年が泣くのが治まってから老人は、
「わしは神じゃ。人間の運命はわしらが司っておるのだが、稀にこういった間違いがある。そう、前に起こったのは百年ほど前じゃったかな。
そのぐらいの確率では発生する事なのだが…まあ、そういう事はいいとして。」そう前置くと
「お前を助けてやろう」と青年に言った。
「お前が間違ってここで車に轢かれたのには原因がある。その原因さえ取り除けば大丈夫だ。」

 青年ははっと顔を上げた。瞬く間に希望の光が差し込んできた。
「その原因とは何ですか、神様。」まるで昔から信仰深い信者のような顔で老人を見上げ尋ねると、
「石じゃ。」と老人は答えた。
「石…ですか」
「そう、石じゃ。ここから一キロほど離れたところにある小さな石にあるご婦人がつまずいて転んだ。
たまたま横を通り過ぎようとしていたタクシーが減速して止まってしまった。ほんのわずかな時間だが、
距離にして十メートルほど遅れて進んでしまったことになる。まさにこれは想定外の事じゃった。」

「ではその石を取り除けば…」
「そう、お前は車に轢かれずに済む」
「本当ですか。あぁ神様。是非その石をすぐに取り除いてください。」青年はこれまで神に祈った事は一度もなかった。これが初めての祈りであった。
「まあ、あわてるな。実はな、神である私はそれをする事ができないのだ。」
「どうしてですか」
「うむ、やはりたくさんの人間の運命を司っている以上、自分でズルをすることは神である私の沽券に関わる。」
「ズルって…」全くあきれた言葉であった。
自分で神と名乗りながら「ズル」などとそんな俗世間的なこだわりに支配されているなど、青年には信じられなかったが、青年は助かりたい一心である。
「そういう事言わずに助けてくださいよ、お願いしますよ。神様ぁぁ」青年の顔はもう涙と鼻水でぐしょぐしょであった。

「その代わりに、お前を三十分前の時間に戻してやろう。わしの代わりにその場所へ行って石を取り除いてくるのだ。
きっかり三十分、無事取り除いた時には自動的に現在に引き戻される。それを過ぎたら残念だが…お前は車に轢かれて死ぬ。

これがその場所の地図だ。印をしてある所に石がある。
また、ちょっと注意事項がある。

一、誰にも知り合いに会わぬ事。 
二、故意に器物を損壊したり自然を破壊したりしない事。
三、目的地以外の場所には決して立ち入らない事。

これをやると歴史が変わってしまうのでな。肝に銘じてくれ。」

 老人の言葉をそこまで聞くと「わかりました。」と青年は悲壮な面持ちでそう答えた。
「そのご婦人が石につまずく前に石を取り除けばいいのですね。」
老人は青年の顔を見て黙ってうなづいた。
「それでは準備はいいか。」そう言って老人が杖をドンと突くと、再び青年の意識は遠くなった。

 再び目を覚ますとそこは青年の会社のすぐそばの路地裏であった。
ポケットを探ってみると老人から渡された地図が確かにあった。
「どうやら夢ではなかったようだ。」青年はそう言うと時計で時刻を確認した。
今から三十分後までに任務を遂行しなければならない。地図を確認し目的地に急ぐことにした。

 目的地は青年が通う街にある静かな公園の一角であった。ここならば土地勘もある。充分に間に合うだろう、そう確信した。

路地を出ると、最悪な事に前方から会社の上司の部長が歩いてくるのが見えた。
全く嫌な奴である。こういう所でもやはり嫌がらせをするのか。自分をみつけたらしつこく仕事をサボるなと怒鳴ってくるに違いない。
幸いな事にまだ自分の事を気づいていないようだ。青年はひとまず身を隠した。

「早く行けっ。」三十秒かそこらの時間がまるで一時間にも二時間にも長く感じられた。
しかし部長は事もあろうに会社の前の自動販売機の前で立ち止まった。コーヒーを買うと、タバコを取り出してそこで一服しだしたのだ。
「くそっ、人にはサボるなと言っておいて!」五分ほどの時間が経過しただろうか、タバコを一本吸い終わると満足げに部長は会社の中へ入っていった。
「ちくしょう!随分ロスしちまった。取り戻さなきゃ。」青年はもう駆け足で目的地へ向かった。

 だが日ごろ通い慣れた街である。ここで知り合いに会わないというのは奇跡に近い。
電信柱の陰に身を隠し、犬には吼えられ、時には地面を這いながら青年はほうほうのていでどうにか公園までたどり着いた。

すでにもう二十分が経過していた。

 青年は再び地図を取り出し確認した。印がついているのは公園の一番向こう側の端である。
青年がそこに向かおうとすると、向こうから見慣れた顔の女性が歩いてくる。長年付き合っている彼女だった。
「よりによって!」青年は愕然としたが、その理由はここで遭遇した事だけではなかった。彼女の横に青年の見知らぬ若い男性の姿があったからである。
その男と彼女は白昼堂々、仲むつまじく腕を組んで歩いていた。誰の目に見ても二人は恋人同士に見える事は間違いなかった。
「チクショー、あいつ浮気してやがったのか!」果てしなく怒りがこみ上げてきたが、とにかく今はどうしようもない。
公衆トイレの陰に身を隠し、二人が通り過ぎるのを待った。
「生き返ったら、絶対許さないからな。」そう捨て台詞をはき、目的地へ向かった。

「よし、ここだ。」印の場所に到着した。時間を見るとあと五分しかない。
作品名: 作家名:松田ナオユキ