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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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(一) 無在


 秋本番。
 紅葉とはよく言ったもので、山を彩る秋の葉はまさしく“紅(べに)”であろう。
 麓や遠所、高所から眺めるも良し。緑を放つ葉もあれば、黄に染まった葉もある。文字通りに紅の葉もあり、空の青きも白きも、いずれも山を彩る“紅(=化粧品)”となる。夕暮れ時の空色などは、言うまでもない。
 山中にて近く触れるも良し。風に吹かれひらと舞う葉もあれば、地にあって彩を添える葉もある。目を閉じ口を閉じ、秋の音、秋の香りを感じるのもまた、一つの愉しみ方となる。
 麓から小さな冠木門(かぶきもん)に至るまで続く石段の道。決して広いとは言えず、さりとて狭くもないその道は、ある者には退屈で過酷な道となり、またある者には疲れを感じることのない心を癒す道となる。
 美しいものがあって、美しさを感じるのではない。美しいと感じる心があって、美しさが生まれるのだ。

 冠木門を抜けた先にある広大な屋敷。麓の近隣住民にも建てられた時期を知る者はおらず、屋敷の存在さえ知る者はほとんどいない。
 そのため、訪ね来る者は皆、屋敷主の関係者である。ただし、その関係者の多くは玄関を利用することは無い。
「お師匠はん、おられまへんのんかー?」
 今、その数少ない玄関利用者の一人が、玄関先で声を発した。

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十四歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。
 いつもは無造作に纏めているだけの髪が、今日は丁寧に編み込まれており、頭の形に添うように小さく纏め上げられていた。
 その理由は、彼女が小脇に抱えている物体を見れば、まさしく一目瞭然となる。
 葵は今日、師のお下がりであるKLX250を受け取りにやって来たのだ。一応説明しておくと、KLX250はバイクの名称である。
 今朝方、バイクを取りにおいで、との連絡を受けた葵は、大学の講義を終えた昼下がりに師の屋敷を訪れたのだ。
「なんや、留守かいな」
 葵は、ふぅ、と一つため息を吐いて、庭へと向かった。
 じゃり、と地を踏みしめるその所作は、浮かべられた満面の笑みとは対照的に、緊迫を含んでいた。
 いつもは、薄(すすき)を始めとした師の操る式のいずれかが、ひょい、と視界の隅に顔を出してはすぐにいなくなる、という“お迎え”を受けるのだが、今日はそれがなかった。葵が見逃したのではない。視界に入り込むというのは、いわば意識に割り込むようなものであり、意図して意識から外していない限りは、気付かないなどは有り得ない。
 一切の気配を感じないという初めての経験に、葵は身を固くしているのだ。
 屋敷に住んでいるのは一人だが、中からは複数の気配を感じる――普段ならば、だ。この気配の無さは一体どういうことなのか。葵の脳裏には、いくつもの仮説が浮かんでは消えていった。
 庭に到着した葵は、改めて屋敷内の気配を探る。
 だが、何も在りはしなかった。
 庭に面した部分は、いつもの通り開け放たれており、雨戸は勿論のこと、障子や襖はおろか、簾さえも垂らされていなかった。
 屋敷は、完全に無人であった。
「メット抱えて電車とバスを乗り継ぐ気持ち、少し考えてみなはれやっちゅうねん」
 葵は濡れ縁に腰掛けた。
 そうして庭を見渡すも、肝心のバイクは見当たらない。尤も、バイクだけがあったところでどうなるものでもないのだが。
 物音一つない屋敷にあって、葵は言いようのない寂しさを感じていた。
 いつかはこんな日が来るのだ、と。
 葵にとって、師は師匠以上の存在であった。親代わりでもあった。師の式たちは、兄姉のように、時には弟妹のようにして傍にあった。友人でもあった。
 通常の師弟であれば、師の最期を看取るのは弟子の務めとなろう。だが、それは叶わないことだという確信が、葵にはある。そうであれば、いつか自分の前から姿を消す日が来る、という結論に到達するのは、至極当然のことと言えるだろう。
 葵は、仰向けに寝転がった。
 板張りの濡れ縁は、服越しにもひんやりとした感触を伝える。
 寒色の空は、何かを隠している。けれど、その秘め事は他愛の無い悪戯で。明かされたとき、驚きよりも喜びをもたらすものなのだ。
 閉じた瞼に感じる太陽の温もりが、何よりそれを証明している。
 葵はそのまま眠りそうになったが、玉砂利の庭に来訪者の気配を感じたため、ゆっくりと身を起こした。
 来訪者の影は、悠然と、そして堂々と庭の中央に在った。
 よく見ようと目を凝らせば向こう側が透けて見え、意識せず視界に捉えればこれでもかと存在を主張する。
 見る者を嘲笑うかの如くして揺れ動くその姿に、葵は覚えがあった。
「正眼はん」
 来訪者の正体は、安葉正眼坊という名を持つ天狗である。八大天狗の門下であり、微細ながらも師を通じての交流を持っている。
「ウチしかおりまへんぇ」
「存じております」
「ウチに用が? ほんなら、すぐに香を焚きますによって」
「愚道にそのような歓待は無用なれば」
 正眼坊は立ち上がろうとした葵を制す。
「せやけど」
 俗世の風を長く浴びた天狗は法力を失ってしまう、というのは有名な話である。葵もそれに準じて香を焚こうとしたのだ。
「葵殿が憂慮なさっておられるは、日の浅き天狗に限ったこと。愚道もまだまだ未熟ではありますれど、入山より幾分の時を経ておりますれば」
 すぐに済む用事なのだろうと考えた葵は、余計な手間を取らすまいと身を正した。
「ほんで、どないなご用ですやろか?」
「磐長殿より、こちらをお渡しするようにと頼まれまして」
 正眼坊は、僧衣の懐より桐の小箱を取り出し、静々と差し出した。
「お師匠はんから?」
 葵は訝しげに眉をひそめた。
 普段、こういった届け物などのお使い事全般は、式の薄にすべて行わせている。そうであるのに、わざわざこの正眼坊に頼んだということは、何か裏があるに違いない、と葵は考えたのだ。
「何か、言うてはりました?」
 師の性格を鑑みれば、箱を受け取る手にも自ずと躊躇いが生まれようというものだ。
「いえ、ただ『屋敷にいるだろうからこれを渡しておくれ』とだけ」
 葵は桐の小箱を受け取り、感慨深げに、しかしその実何も考えずに眺めた。
 木箱は細長で薄く、紺の紐で封をされている以外には、如何なる装飾もない。簡素であること自体には何の不思議もない。しかし、如何なる術式の気配をも感じないことに、葵は無意識の警戒を強いられているのだ。
 警戒はすぐに意識するに至り、理性と本能とが競うようにして警鐘を鳴らし始める。
 箱を開けることには、わずかの障害も存在しない。葵の意思で、いつでも自由に開けることができる。開けよとも開けるなとも言われていない。ならば、開けないことも葵の意思であり、葵の選択となる。
 しかし葵には、開けない、という選択肢はない。
 当然それは師も知るところであり、桐の小箱に込められた意思は自ずと限られる。

 ―― これは不可避である。相応の覚悟を持ち、開け。