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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅡLove is forever

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 気遣わしげに莉彩を見つめる崔尚宮に向かって、大妃は少し意地悪げな笑みを浮かべた。
「心配せずとも良い。そなたの大切な主人を取って喰うたりはせぬゆえ」
「崔尚宮、私なら大丈夫です」
 莉彩が眼顔で
―大妃さまのお言葉に従うように。
 と命ずると、崔尚宮はそれでもまだ心残りといった風情で渋々部屋を出ていった。
 崔尚宮だけかと思ったら、続いて孔尚宮まで出てゆき、室内は大妃と莉彩の二人だけになった。人払いをしてまでする大切な話なのだろうか。
 莉彩が不審に思っていると、大妃が手招きする。一瞬、鞭打たれたときのことが記憶に甦ったが、逆らうすべもない。莉彩は大妃の御前に膝を進めた。
「時に、そなたは、たいむとらべらーであると聞いたが、真のことなのか?」
「それは―」
 莉彩は我が耳を疑った。今、大妃は何と言った?
 何故、どうしてという問いが堂々巡りをする。
 混乱する莉彩を前に、大妃は婉然とした笑みを刻む。
「淑容は、どうやら臨尚宮を随分と買い被っているようだ。いや、買い被っているという言い方は適切ではないやもしれぬな。見くびっている―と申した方が良かろう」
「仰せの意味がよく判りかねます」
 莉彩が無難に応えると、大妃は含み笑いをした。
「では、有り体に申そう。臨尚宮が昨日、私を訪ねて参った。何事かと私も訝しんだが、何とも面白き話をしていきおったわ」
 大妃はふと口をつぐみ、真顔になった。
「淑容、私は臨尚宮の話をすべて頭から信じたわけではない。この世にそのような荒唐無稽な芝居じみた話があるなぞ、むしろ信じる方が愚かだとも思う。だが、すべてが真実ではないとしても、そなたがこの国ではなく、別の国―倭国より参ったという話は信じるだけの価値はあろう。出宮していた四年間、そなたが遠い故国(くに)に帰っていたとすれば、その間の消息も手がかりも全く掴めなかった理由も自ずと察せられるというものだ」
 大妃は淡々と話す。
「臨尚宮は私などより、よほど空恐ろしきおなごよ。目的を遂げるためには、およそどのような手段でも使う。宿敵であるはずの私のに許にいきなり飛び込み、そなたの秘密を余すところなく暴露してゆくのだからな、流石の私も開いた口が塞がらなんだわ。淑容、臨尚宮は、そなたをこの国に永遠にとどめておきたいと考えている。そして、その想いはこの私も同じ。それゆえ、あの女は私の心を見抜いた上で、ここに乗り込んできたのだ」
 莉彩は、信じられなかった。淑妍はともかく、この大妃が自分をこの国にとどめておきたがっているなんて、誰が信じられるというのか! あれほど莉彩を邪魔者扱いし、徳宗の妃とは認めぬと言い張った女なのだ。
 フ、と大妃が乾いた笑いを洩らした。
「そなたは、どうも大きな勘違いを致しておるようだ。私はかつて王妃、中(チユン)殿(ジヨン)であった。かつての国母として、私が憎しみよりもまず先に考えねばならぬことがある。それが何か、そなたには判るか?」
 王室の存続。声には出さずとも、莉彩にはすぐに判った。その莉彩の心を見透かしたように、大妃が微笑する。
「利発なそなただ、私の言わんとしていることなど、すぐに判るはずだ。このままでは、殿下にお子の無きままで終わることになってしまう。王族は何人もおるゆえ、王位を継ぐ者が全くいなくなるわけではない。しかし、私としては、亡き先王さまのご意向を尊重し、直系の王子に跡目を継いでいって欲しい。殿下のお心を動かす女が最早、そなたしかおらぬと判った今、淑容を故国に帰してやることはできぬ」
 大妃は溜息をついた。
「そなたにも遠く離れた故国に、親兄弟がおろう。だが、そなたが真に国王殿下を心よりお慕いするのであれば、この際、両親や大切なものと訣別して、この国で生き骨を埋(うず゜)め、朝鮮の土になる覚悟を致すのだ」
「大妃さま、私は」
 莉彩の唇が震える。
 現代と訣別して、莉彩から見れば、はるか過去の世界―徳宗のいるこの時代で生きよと迫られている。
 思いもかけない展開だった。よもや大妃当人から、そのようなことを言われるとは。
 重たすぎる沈黙が室内に降りる。
 莉彩には随分と長い時間に思えた。
 返事を躊躇う莉彩を大妃は冷めた眼で見つめていた。
「口ほどにもない、その程度の覚悟か」
 やがて、沈黙は大妃の呆れ声で破られる。
「殿下もつまらぬ女にのぼせ上がられたものだな。良いか、そなたがたいむとらべらーとやらであろうが、倭国の者であろうが、私にはどうでも良い。私が望むのは、殿下の妃となり、その王子を生むことのできる女なのだ。そなたがこの四年で何をしていたとしても、他の男と通じていたとしても、この際、眼を瞑ろう」
 理由はどうあれ、大妃が自分を邪魔者だと認識しておらぬ今、大妃が莉彩を使って徳宗を脅迫する心配はなくなった。が、徳宗の進む道の妨げとなる愁いはなくなっても、莉彩には、どうしてもこの時、はきと〝諾〟と応えることができなかったのである。
 ただ一人の男のためにすべてを棄てるのが怖かったからではない。莉彩は今の徳宗が怖かったのだ。そこにどのような理由があるにせよ、夜毎、莉彩を荒々しく組み敷き、欲望のままに犯す男が怖くてたまらなかった。
 莉彩が真実を話せば、確かに徳宗は以前の彼に戻るだろう。でも、莉彩は知ってしまった。徳宗がこのような粗暴な一面を持つ男だと。酷薄な表情で自分の身体を貪る男に心から付いてゆけるはずがない。それは、徳宗への想いとはまた別のものだ。
 徳宗のことは好きだ。哀しいけれど、こんなに二人の溝が深まった今も、徳宗を嫌いになれない。いっそのこと、嫌いになってしまえたら、気は楽だろうのにとすら思う。だが、好きという気持ちがあるからといって、手籠めのように身体を蹂躙されるのは嫌だ。
 何より、莉彩の気持ち云々よりも、朝廷、つまり大臣を初めとする廷臣たちの動向が懸念される。それでなくとも、勝手に後宮から脱走した莉彩の処罰を求める声が彼等の中から上がろうとしている。更には莉彩が国王以外の男と通じて生んだとされる子どもも宮殿から追放するべきだとする主張さえある。
 すべての事情を考え合わせた時、応えは自ずと出てくるはずだ。
 徳宗が朝廷から莉彩と聖泰の身の処遇について糾弾され、窮地に追い込まれる前に、火種である莉彩母子が身を退けば良い。
「私には―終生、殿下のお側にいて、お仕えすることはできません」
 震える声で応えた莉彩に、大妃は小さく頷いた。
「そうか。そなたの気持ちは判った」
 王室の存続を願う大妃の気持ちは理解できるとしても、この女が徳宗の利になることを考えるとは、あまりにも意外すぎた。
「大妃さまから殿下の御事をお心にかけるお言葉をお聞きするとは存じませんでした」
 莉彩が皮肉ではなく本心から言うと、大妃は声を立てて笑った。
「怖れ気もなく、実に面白きことを申すな、淑容。殿下がそなたに夢中なのも少しは判ったような気がするぞ。勿体ないことだ、そなたであらば、殿下の良き伴侶となり、この国を、引いては王室を支える国母ともなれようものを。そなたと殿下が心から想い合っているのは、よく存じておるつもりであったが、これは私と臨尚宮の読みが共に外れたな」