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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅠLove is forever

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 惣菜屋とはいっても、弁当屋も兼ねているので、結構忙しい。莉彩の他には店番はおらず、週のうち、月曜が休みで、水曜と金曜は午後からの出勤の他はすべて莉彩が一人で任されていた。予め届けられた冷凍物を温めたり、揚げたりして弁当箱に詰め、勘定を済ませる。すべてを一人でこなさなければならないため、息をつく暇もなかった。
 それでも、仕事帰りの会社員や学生ができたての弁当や惣菜を嬉しそうに持ち帰る姿を見るにつけ、心を込めてさえいれば、たとえどんな仕事でもやり甲斐はあるのだと思うようになった。
 莉彩は子どもが生まれてから一度だけ、母には手紙を出した。生まれたばかりの子どもの写真と元気でやっているから、心配しないで下さいという内容の短いものだったが、母からはすぐに返事が来た。
 赤ン坊の衣類や、紙おむつ、粉ミルクなどといった大量の荷物と共に、
―元気でやっているそうなので、本当に安心しました。莉彩がこんなに近くにいたことに、改めて愕いています。子どもも生まれたそうなので、一度、顔を見せにきてはどう? お父さんも意地を張っていますが、本当は莉彩に逢いたいのよ。孫の顔を見れば、頑なだった気持ちも少しはやわらぐのではないかしら。
 と書かれていた。
 母の心遣いが嬉しくて、莉彩は届けられた荷物を胸に抱いて泣いた。が、今更、どんな顔をして両親の前に出られるだろう?
 莉彩は短い礼の手紙だけを出し、自分がここにいることは父には内緒にして欲しいと頼んだ。
 惣菜屋の仕事は朝早く、晩が遅い。莉彩は働くために、子どもを仕事先から近い保育園に預けていた。午後からの勤務と仕事が休みの日だけは子どもと二人で過ごす他は、大抵離れている。その分、子どもにはできるだけ愛情を注ぐように心がけていた。
 つい一週間前のことだった。
 丁度、月曜で、その日は一日中アパートにいた莉彩は、午前中は近くのスーパーに子ども連れで買い物に出かけた。一時間ほどして帰ってきた時、部屋の前で所在なげに佇むのは何と父の英一朗だった。
―お父さん?
 莉彩が思わず声を張り上げると、父は怒ったような照れたような顔で莉彩を見、更に、莉彩に手を引かれている息子聖泰(せいや)を見た。
―元気か?
 ややあって、父はぶっきらぼうともいえる口調で訊ね、莉彩が頷くと、おもむろに大きな紙包みを渡した。大人の手でも両手で抱えねばならないほど、大きなものだ。
―子どもの歓びそうなものなんて、よく判らなかったからな。
 それだけ言うと、また、くるりと背を向けて去ってゆこうとする。
―お父さん、待って。
 莉彩が呼び止めると、父は立ち止まった。
―折角来たんだから、上がっていって。
 父はそれには何も応えず、背を向けたまま言った。
―一度、近い中に帰ってこい。
 それだけ残して、父は階段を降りていった。
 莉彩の住むアパートは名前だけは〝グリーン・ハイツ〟などと洒落ているが、現実は築三十年の鉄筋コンクリートの二階建てだ。家賃が安いのと陽当たりが良いのだけが取り柄の、オンボロアパートなのだ。が、女一人で子どもを育てながら暮らしてゆくのには、十分すぎるほどの住まいだと思っている。
 父が帰った後も、莉彩はしばらく茫然と立ち尽くしていた。
―お母さん。
 聖泰が服の裾を引っ張らなかったら、それから一時間でもずっとその場に立っていたかもしれない。
 とりあえず部屋に入って聖泰と二人で包みを開けると、中から現れたのは三輪車だった。
 鮮やかなブルーの三輪車をひとめ見て、聖泰は歓声を上げた。
 その日以来、聖泰は家にいるときは大抵、アパートの前の小道を三輪車に乗ってご機嫌である。
 父の気持ちが痛いほど莉彩に伝わってきた。何事にも厳格な父は、いまだに娘がシングルマザーになった事実を受け容れられないでいるに違いない。それでもなお、孫のためにプレゼントを持って訪ねてくるのには相当の勇気が要っただろう。
 恐らくは母がこっそりと父に莉彩の住所を知らせたのであろうことは判った。
 ならば、父の心に応えるためにも、勇気を出して実家を訪ねてみよう。莉彩はそう思い始めていた。
 莉彩が勤める惣菜屋から実家までは歩いてもせいぜいが三、四十分程度だ。すぐに行こうと思えば行けないことはないのだけれど、やはり、現実に行くとなると、相応の覚悟が要る。だが、わざわざ自分から訪ねてきてくれた父の想いを慮り、やはり近い中には聖泰を連れて訪ねてみようと考えている莉彩であった。
 明後日は月曜日で定休だから、良いチャンスかもしれない
 その日は土曜で、莉彩はいつものように一日惣菜屋で働いた後、八時に店を閉め、保育園に子どもを迎えにいった。ここの保育園は公立ではなく私立の認可を受けた園である。保育料に関しては多少割高の感はあるが、何より、午後九時までは子どもを預かってくれるので、働いている母親にとってはありがたかった。
 聖泰を先生から受け取った後、二人で手を繋ぎながらY駅まで歩くのはいつものことである。Y駅からI駅までふた駅、電車で通勤するのもまた日常と変わらぬひとコマであった。
「ねえ、お母さん」
 聖泰があどけない声を上げた。
「なあに?」
 莉彩が何げなく応えると、聖泰は思いがけぬことを口にした。
「ボクのお父さんは、どんな人だったの?」
 莉彩は、息子には父親に関して殆どを語っていない。ただ遠いところにいる人で、事情があって一緒には暮らせないのだと話していた。
 三歳になったばかりの幼児がどこまで理解しているかは判らない。しかし、聖泰は利発な子だ。言葉を喋るのも早く、理解力もこの歳にしてはある方だ。それに、下手に隠し立てしたり嘘をつくのは、かえって良くないだろう。
 莉彩は息子にも判るように、言葉を選んで話した。
「あなたのお父さんはね、素晴らしい人よ。自分のことよりも他の人のことを考えてあげられる立派な人だった。お母さんは、そんなお父さんを尊敬していたの」
「ふうん? ボクも大きくなったら、お父さみたいな立派な人になれるかな。ね、お母さん。ボクはもうずっと、お父さんに逢えないの」
「それは―」
 莉彩は言葉に窮した。
 聖泰の名前を付ける時、莉彩は真っ先にあのひとを思い出した。その在位中から徳宗は万世を遍く照らす聖(ソン)君(グン)と尊崇を受ける偉大な国王であった。この子はその聖君と呼ばれる男の血を紛れもなく受け継ぐ子なのだ。
 生まれたばかりの子どもを見ながら、莉彩は懐かしい面影を眼裏に甦らせていた。
 〝聖泰〟という名は、まさしく父である徳宗にちなんで付けた名だ。〝聖君〟を父に持つ、泰平の世をもたらした偉大な朝鮮国王徳宗の子であるという証。
 逢いたくないはずがない。いや、誰よりも逢いたい。でも、それは叶わぬ希望(のぞみ)だ。
 聖泰を徳宗に逢わせてやりたい。息子が一度も見たことのない父を恋しがっていることもよく承知している。
 だが、それはいかにしても、果たしてやれない望みなのだ。徳宗の進む道の障害にはなりたくない―、莉彩はそう願って彼への愛を諦め、現代に戻ってきた。