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紺碧塔物語

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第五章/教師、その意味


■ □ ■ □ ■

 ヒサルク・アイガンバン教師は好漢だ。一目見ただけで大抵の人間はそう感じるだろうし、話してみればその直感は正しかったとすぐに理解できる。機知に富み、政治経済から芸術論、他愛ない三流スポーツ誌のゴシップ記事に至るまで、あらゆる話題に事欠かない。金髪に青い瞳、典型的な西部人種の白肌は、黒く野暮ったい教師用の制服を着ていても尚彼を好漢に見せることに一役買っている。パーティ用の燕尾服でも着ていればより好漢に見えたに違いない。
 生徒からの人気も高い。評価は平等で、生徒の失敗を理不尽に叱責するようなことはせず、怒るときは必ず道理を含めてから怒る。誰からの話にでも耳を傾け、意見を求められれば熟考の末に持論と対論を併せて答えてくる。
 まったく、完璧だ。非の打ち所がない。
 だからこそイドはこの底の抜けた青空のような顔の男が大嫌いだった。
 まったく完璧だ。まったく不完全な自分と反りが合うはずもない。
 役者のように端正な顔をいかにも悲痛な形に変えて、ヒサルクは先程から滔々とくだらない会話を続けていた。くだらない、と思ってしまうのは、明らかに自分に引け目があるからだったが。教師用に割り当てられた個室はいつでも未解決の書類で溢れかえり、足の踏み場もないような有様になっている──この売れない役者のような顔をした教師の部屋ならば、きっと神経質に整理整頓されているのだろうが。
 思いながら、男の言葉をぼんやりと聞き流す作業に戻る。
「──ですから、公開試技のルールを多少変えるべきなんですよ。生徒全員の総当たり戦? 馬鹿げてる。今はもう騎士同士で争い事をしているような場合じゃないんです。《猫の呼ぶ声》が発行されたことはご存知でしょう?」
「ええ。当然あなたにも届いているでしょうし──末席の私にまで届きましたから」
「でしたら、あなたはもっと迅速に行動すべきですよ。ここ排斥王都ヤンブルにおいて、今はまさに勇者達が集結を始めているわけですから──そんな中、生徒達を晒し者にするような、時代錯誤な真似は止めさせるべきだと声を挙げなければ」
「仇討ちを止めろと訴えて笑いものになれと?」
「あなたが声を挙げれば私も動く。ただ、私から率先して動くことはできないんです」
 ──減点されるのが怖いものね。
 胸中で皮肉り、イドは薄い墨を飲んだような心地になった。
 苦く、喉越しの悪い重みだけがへばりついて離れない。
「一応試技の監督官を任されている。私がルール変更なんて言い出したら、それこそ試技の開催時期が遅れることにもなりかねない。生徒達のモチベーションに関わります」
「仰る通りですね」
「でしょう? だから、イド先生、あなたが言うべきなんです。そうすれば私が同調して、せめてもっと別の形で試験を実施できないかが提案できる」
「そうして私達の生徒に恥をかけと?」
 ぎしりと──。
 好漢の顔に亀裂が走った。
 相変わらず苦味ばしった唾を飲み込みながら、イドは淡々と手元の紙片に視線を落とす。表題は『学園食堂における生徒間私闘とその発端となった差別的言動について』──自分の手に回ってきたということは、一時間前にはこの男も同じ書類を読んだということだ。
「──案件の当事者は私のクラスのイオニスとホウメイ。それに貴方のクラスのワトキンス、クレッグ、ホールディ。まあ何が起きたのか、書類通りに受け取るなら、確かに公開試技のルール変更を申請した方が良いかもしれませんね。それこそ私闘になってしまう」
「……あの三人には厳重注意しましたよ」
「その言い訳をしに来たわけでもないでしょう。あの子達はまだ子供ですが、私達教師はもう大人なんです。腹の探り合いなんてしていられる程暇ではない。はっきり言いましょう、ヒサルク先生──たとえどんな実力差があったとしても、あの子達は諦めません。隙を探し、間隙を縫い、急所を突く。二年間、そのための方法はしっかりと叩き込んできたつもりです」
「……それが騎士としての正道ではないと知りつつ、ですか。貴女の後継者を作ろうとでも?」
「後継者は作るものではありません。なるものです」
「言葉遊びは止めにしましょう、イド先生」
 そっちから始めたことだろうに──とは言わなかった。実りがないのは自覚している。
 嘆息し、手先の動きで発言を促す。それにつられたわけでもないのだろうが、ヒサルクは明らかに怒気を堪えた様子で言葉を発してきた。
「確かに……今回の事件は、私の監督不行届でした。それは謝罪します。公的な謝罪をする準備もある。しかし教師間の私怨で生徒を危険に晒そうと言うのなら、私はそれを看過できない──」
「あなたに恨みなどありませんよ、ヒサルク先生」
 言って──この話をお終い、とでもいうように書類を机の上に叩き付ける。挑みかかっている、と断言できない程度の強さで身を乗り出し、イドは鋭い指先を刃の突端のようにヒサルクへと突きつけた。
「勘違いなさっているようですが、私はこの案件について何の意見も持ちません。ホウメイの立場については同情はしますが、それだけです。乗り越えるのは彼女自身でしょう。また、彼女の立場に差別的意見を言ってしまった生徒達についても、叱責するつもりはありません。彼らはつまり自制心と良識と理性に欠けていた。それだけの話です」
「一時の、若さ故の暴走ということもある! 理性に欠けるなどと──」
「欠けていることがつまり若さなのです。ともあれ、公開試技のルールについて、私の方から変更申請をすることはありません。他に話題がなければ、退室をお願いしてもよろしいでしょうか? これから筆記試験の問題作成をしなければならないので」
「……平均点が上がりすぎないよう、お願いしますよ。失礼しました」
 捨て台詞だった。しかも全く惨めだ。
 ともあれ、好漢を気取った間抜けのぼんぼんが退室すると、教師室は途端に静けさを取り戻した。予測していた方の厄介事が解決できたことで、ようやく本業の教師職に戻ることができる。まったく政治闘争などくだらない──好きで関わっているわけでもなければ尚更だった。騎士団内での位階がどうの、選民がどうのと、口さがない連中の言うことにいちいち振り回されている。
(コーヒーを飲む時間もないなんて)
 やるべき問題は山積していた。それこそ試験問題の作成から部活動の予算配分、他教室からの苦情処理、清掃の行き届いていない女子トイレについてなど。はっきりと面倒事だが、だからこそ誰かがやらなければならない。試験問題など、どうせ形式だけのものだというのに──間違っても生徒には言えないが──こんなものに時間をかけている余力などないというのがイドの本音だった。
 内心で愚痴っても仕事が減るわけでもない。溜息と共にガラスペンをとり、インクをつけて藁半紙に適当な──しかしいかにも意地の悪そうな──問題を書き連ねていく。
 仕事に没頭して五分ほどしたところで、部屋の扉がノックされた。どうぞ、と告げると同時にノブが回され、目付きの悪い凶相の少年──これが自分の生徒なのだから驚きだが──イオニスが入室して来る。
「──失礼します。公開試技の件で、相談があって来ました」
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司