小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

幼年記

INDEX|4ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 


幼い頃のある夜、ふと家の中を見回したら母親がいない。
父に聞いても姉に聞いても知らないと言う。
二人は特に意に介していない様子だけれども、私には一大事に感じられて、矢も盾もたまらずに外へ出た。

夏である、空は完全に黒くはならず青みが微かに残っていて、一つ一つの星の粒が、ぎらぎらと月ほどにも大きく感じられた。
地上に目を移すと、いくつも並んだ寮の棟の、踊り場の電灯が、やはり星と同じように並んでぎらぎら光っている。
その中で、ひときわ明るい光が揺らめいたと感じてその方をみたら、ある遠くの棟の最上階で室の扉が開いて、そこから溢れる漏れ灯の中へ入っていく母親の後姿が、はっきりと見えた。

それを見たら居ても立ってもいられない、とにかく夢中で走って行って、母親の入っていったと思しき室の玄関までたどり着いた。
そうして扉を開けたら、しばらくしんとしていたけれども、やがて暗い廊下を、坊主頭で、年の頃高校生くらいの兄さんが歩いて出てきて、
「おおてっちゃん、遊んでいくか」
と言った。
いきなり自分の名を言われて面食らったけれども、よく見ればどこかで見知った顔のように感じるし、母親のことも何も全て了解しているらしい風をしているので、少しホッとして
「遊んでいく」
と答えた。
すると兄さんはどこからかスポーツカーの模型を持ってきて、私に渡した。

玄関前の廊下に上がりこみ、しばらくその模型を転がして遊んでいると、その間にどこぞへ行っていた兄さんがまたやってきて、
「てっちゃんてっちゃん」
と呼んだ。
「この部屋を見てみろ」
そう言うと忍び足になり、玄関口から向って左側の扉をそろりと開けた。
それに従って兄さんの脇から部屋をのぞくと、中は真っ暗である。
箪笥や棚など背の高い家具が、両脇の壁際にびっしり並んでいるようだが、気配ばかりで影がない。
部屋の真中には布団が敷かれているらしい。
白い、ふわふわした輪郭が、闇に茫と膨らんでいる。
「ほら、猫が来ているんだよ」
兄さんが言った。
見るとその布団の脇に、もぞもぞ動いている塊がある。
「夜になると来るんだ」
塊の動くにつれて、坂に転がした空き缶のような、乾いた鈴の音が聞こえた。
目を凝らして見ていると、塊はやがてこちらへ向って近づくような様子を少し見せたあと、ぴたりと止まって動かなくなった。
止まる瞬間、闇の中に猫の両の目と鈴とが、逆三角形に並んでちらと光った。
それを見たら冷たいものが背中に走って、私は立て続けに唾を二、三度飲み込んだ。

その時不意に近くで笑い声が聞こえたから、部屋から顔を離してそちらを見ると、廊下の突き当りに明かりが溜まっていて、その明かりが笑い声に合わせて揺れるらしい。
廊下を伝って、その明かりの下へ行ったら居間があり、その居間の机に座って、母親が、そこの奥さんと喋っていたから、ああやっぱりここにいたんだなと思いながら、早く帰ろうと母親をせかして、一緒に帰ってきた。
作品名:幼年記 作家名:水無瀬