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(抜粋サンプル)魔法導師アレイスタ 欲望を狩る人

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 記憶は、眠りの中の夢に似ている。
 その瞬間にはとても鮮やかで確かなものなのに、目覚めた途端、あいまいにぼやけてしまう。それはまぶたの裏の残像の如く。移り変わる光景と記憶の輪郭が、緩やかに溶け合い、時とともに消え去る。
 けれどあまりに美しい彩りの記憶は、ひっそりと歴史の片隅に織り込まれていく。それはときに絵となり、あるいは口伝、あるいは詩歌として、人の胸に生きつづける。
「お師様、歌が聞こえますよ!」
「あぁ。どこかに吟遊詩人がいるのだろうな」
 気持ちよく駆ける騎竜の背で、男は目深に被ったフードを少し上げた。鞍に足をかけて彼の肩につかまっている少年が、うんと背を伸ばして遠くを覗く。師にもたれかかるとは無礼だが、男は気にしない。幼い彼の体重は、まだ背中に心地いい程度のものだった。
 太陽はちょうど中空に差しかかり、陽気は穏やかで、風は心地よかった。街道は広く整備されており、行き交う人々の顔にも活気が感じられる。緑は豊かで、鳥の声も高く、その中に溶け込むように甘い弦楽器の音色が重なって流れてくる。
 男の名は、アレイスタ。魔法導師である。一つ所に居を構えず、行く先々で呪いや妖しを祓い、時には医師の代わりとなってはその謝礼を糧としていた。
 かすかな歌声に落ち着かない少年が、とうとう鞍から飛び下りた。
「俺、見に行ってきます!」
 言うが早いか、少年は騎竜を抜いて駆け出す。
「あ、こら! ラス! ラスタス!」
 師匠の止めるのも聞かずに、ラスタスと呼ばれた少年は、跳ねるように軽く走っていってしまった。彼らの前を行く馬車や旅人には、蒼灰色の毛玉がつむじ風に乗っていったかのようだったろう。
「程度を覚えろと、あれほど言ったのに」
 溜息をついてこぼしても、口の端はあがっている。
「騎竜より速く走る人間がいるものか」
 少年が降りた分、騎竜の足取りが軽くなった。
「もう少し行ったら休憩にしようか、雷号」
 首を撫でて声をかけると、雷号は首を縦に振り、自然と速度を上げるのだった。


 昼時の酒場は、景気よく賑わっている。街道に面して点在する一軒家の宿は、昼間は食堂となり、旅人の空腹を満たす。気候のいい時期に加え、晴れやかな催しを前に、店の席では足りず前庭にもむしろを敷いて客をもてなしていた。
 その前庭に、まだ若い吟遊詩人が歌い、なお旅人を集めている。場所がないのか、屋根にたてかけた梯子に腰掛けて、叙事詩を歌っていた。その周りを老若男女が幾重かに囲み、聞き入っている。もちろんその中には、熱心な面持ちのラスタスの姿があった。
 弟子の姿を認めて、アレイスタは安心して雷号から降りる。すぐに、宿屋の下働きらしい若者が手綱を預かりに駆けつけた。
 乗騎の中でも、騎竜は高級な方だ。しかも魔法導師となれば、世間の扱いはいい。当然のように、前庭のパーゴラ下のテーブル席へと通された。丸太を割ったベンチもあり、詰めれば十人ほど腰掛けられる大テーブルだ。パーゴラに絡んで茂るつる薔薇がいい日陰を作り、通る風も甘い。なにより視界にラスタスの姿が入るのが、アレイスタには都合がよかった。
 庭の中では特等席らしく、かなり身なりの良い男女が座っている。アレイスタの隣には、やはり彼と同じ導師らしい男と、恰幅の良い男が。正面に並ぶいかにも富裕そうな中年夫婦と青年は面差しが似て、家族だとわかる。
 けれど今は誰もが、吟遊詩人の叙事詩に聞き入っていた。二、三人がアレイスタの着席に振り返ったが、フードを被っていることで、魔法導師である以上の関心を示す者はいなかった。
 アレイスタは、案内してくれた若者に料理を注文する前に、ふと気になって尋ねた。
「あの叙事詩は長いのかい?」
「いいえ、もうすぐ終わりです」
 それならと、定食を二人分と発泡酒を頼んだ。
 吟遊詩人の叙事詩は、今が山場だ。宿屋に用のない旅人も、街道で足を止めて聞き入っている。アレイスタも、先に運ばれてきた発泡酒で喉を潤して、耳を傾けた。
《――その一瞬、剣を立てた英雄ディードの顔面より鮮血が迸った。瀕死の妖魔侯爵はなんと──ディードの左眼を抉り出したのだ!》
 それは、初代藩王がこの国を治めた武勇伝だった。先住民に崇められていた妖魔を封じ、平定し国を拓いた。叙事詩は今まさに、その妖魔の断末魔を恐ろしげに語っている。弦楽器の旋律がいやがうえにも盛り上げ、観衆は息を呑んで聞き入っていた。
《――忘れるな、野心に滾る若き王よ。
 我は死なぬ。しばしこの地で眠りにつくのみ。しかしてこの息吹は少しも衰えはせず、お主の一族を祟り続けようぞ──》
 吟遊詩人の爪弾く旋律はなお禍々しく、聴衆を青褪めさせる。と、絶妙な間をおいて、吟遊詩人の喝破する声が挙がる。
《おのれ妖魔侯爵ザイダスよ! 我が栄光の名において帰依を命じる! それは王につき従いし魔法導師ダン・ジョナス=ギルの破邪の呪文であった》
 ジョッキを口に運びながら、アレイスタは密かに噴いた。いつの間に魔法導師が聖職者になったのか。神の祝福を受けた聖職者にしか破邪の呪文など使えない。しかし確かにダン・ジョナスの使った祟りの中和魔法の特質は、口で説明するには分かりにくい。市井の人々にとって物語の理解前では、行使された術の意義や性質の正確さなど問題ではないのだろうと苦笑する。思わず、同じ庭に集う魔法導師らの顔を見回すと、やはり苦笑を浮かべていた。聴衆は英雄を助けた魔法導師の伝説に胸打たれているようだし、これで魔法導師の株も上がるのであれば、叙事詩に腹を立てる者もいないだろう。
《――おぉ、恐ろしき因縁よ。こうして、ラドーの開祖の王ディードは隻眼となったものの、魔法導師ダン・ジョナス=ギルの献身により、それ以上の祟りは免れラドーは栄えた。古今東西、不具者の王族は疎まれようと、ディード王の隻眼こそは王の証。そして妖魔侯爵の下僕ゼン族の帰依の証となったのだ》
 劇終を告げる旋律が奏でられると、自然と拍手が沸き起こった。吟遊詩人は帽子をとり頭を下げる。そしてはしごを降りて観衆から木戸銭を集めて回りはじめた。アレイスタも、前に差し出された帽子に気前よく小銭を入れてやった。
「いい叙事詩だった。目の前に光景が現れるようだったよ」
 まるで昨日のことのように──。
 破格の賛辞に、吟遊詩人は喜び深くお辞儀をしてみせた。
 ざわめく輪の中からラスタスが頭を出して、風の匂いをかぐ。すぐアレイスタをみつけ、安心して駆け寄ってきた。余裕をもって座っていた他の客らが少しずつ詰めて、アレイスタの隣に少年の席を空けてくれる。アレイスタはフードを脱ぎ、丁重に頭を下げた。同じテーブルの客らは一様に、晒されたアレイスタの素顔に目をみはった。
 明るい陽光の元にさらされた面立ちは、人の目を惹きつけるには十分な端正さと若さがあった。束ねた黒髪は流麗な額縁のように額から頬を縁取り、夜空のごとき瞳は深い洞察と自信の光をたたえ見る者を魅了する。マントの襟口から首を包む導師服の光沢も、細かな細工の耳飾も額当ても、細い顎に添える鮮やかな石の指輪に飾られた長い指も、彼にいかにも神秘的な説得力を持たせている。