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短編『夜の糸ぐるま』 7~9

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短編『夜の糸ぐるま』(8)
「6年と言う月日」
 
 「若いのに熱心だな。これは面白い」といって、
 最初に東さんの面倒をみてくれたのは、
 当時、碓氷製糸農業協同組合の
 組合長をしていた、茂木雅雄さん(75歳)です。
 まだ群馬ではなんの実績も、技術もない新人の東さんを
 よろこんで引き受けてくれました。
 もちろん、採算が合わないことも、
 覚悟の上だったと聞いています」

 あゆみが、座繰り糸作家を目指し始めたころの、
思い出話をはじめました。
貞園が注いでくれた熱燗を一口だけ含んでから、
貞園の盃へなみなみと注ぎ返しています。女同士が、
目でほほ笑み合いながらの歓談がはじまりました。



 「趣味で、座繰り糸の織物を作っている人たちは、
 何人かいます。
 でも、本気で仕事としてそれで食べていけるなんて、
 当時は誰も考えていません。
 だから私たちも、最初のうちは、碓氷製糸場で働くことになりました。
 朝8時から夕方5時までは、器械製糸の仕事につきます。
 その後に、寮の自室に帰ってから、パンパンに張った足を休める暇もなく、
 ふたりして、座繰り器を回す日々がはじまりました。
 座繰り器を使って小枠にひき上げた生糸は、その日のうちに
 枠から外す揚げ返しの作業が必要になります。
 そのために夜更けに真っ暗な工場へ走って戻り、
 糸の仕上げ作業をしました。
 寝る間も惜しんで、そんな座繰り糸の修業を続けました。
 大変でしたが、充実していました」



 康平が、お店の戸締りを始めました。
狭い路地に小さなお店がひしめく呑竜仲店では戸口が開いている限り、
営業中とみて無遠慮な常連客たちがひょっこりと顔を出していきます。
今日はこれくらいで、もういいだろう。そう言いながら康平が戸口に
疲れ切った看板を立てかけています。

 カウンターでは女ふたりが、
肩を寄せ合い、日本酒を差しつ差されつしています。


『だってさ。今帰ったって主さんが居ない、
冷たいお蒲団が待っているだけだよ。寂しいったらありゃしない・・・』
と、貞園は、康平の背中を見送りながら、独り言を、
いまさらのように愚痴っています。


 「先が見えないという、不安はたしかにありました。
 でもそれ以上に、絹を仕事にできるという充実感のほうが上でした。
 半年くらい経ってから、目に見えて出来あがる
 生糸の質が良くなりました。
 『これならば売り物になる』という上司の判断で、
 昼間の勤務時にも、仕事として座繰り器を回すことが認められました。
 私たち二人が、プロの座繰り糸のひき手として認められたのです。
 碓氷製糸工場内の一室に、2台の上州座繰り器が、
 並んで設置をされました。
 歯車が奏でる「カラ、カラ、カラ」という小気味よい音は、
 不思議に、製糸工場に働く職員たちの心まで、
 なぜか和ませたようです。
 けれどもそれは、わたしたち2人にとって、
 生産効率とのせめぎ合いの始まりを意味しました。
 実演を、見せるだけでは商売になりません。
 良いものを確実に作りあげて、採算ベースに乗せる必要がありました。
 私たちの、座繰り糸作家としての本当のスタートラインは、
 実は、この時から始まったんです」



 あゆみの目は、すでに6年前の自分を見つめています。
いまでこそ、絹の産地や生糸関係の有名施設などでは、実演が再現され、
イベントの目玉として、こうした様子が常設展示などをされています。
しかしこの当時はまだ、珍しさだけが先行をして、
話題として取り上げられても、座繰り糸は、ただの『古き良き時代の、
過去の伝統とその遺物』として紹介をされました。

 座繰り糸作家として現在活躍中の東さんも、あゆみも、こうして
『もしかしたら』という世界へ、ささやかな希望と夢だけを頼りに、
まったく前人のいない道を歩き始めました。


 「頼りなくて、不安で、
 毎日カラカラと糸をつむぎながら、
 東さんとふたりで、励まし合って暮らしていた頃に、
 ぽつんと生まれてきたのが、
 私の最初の作品、夜の糸ぐるまなの。
 一途な思いだけで書きこんでいたら、
 いつのまにか哀しい恋の話になってしまいました。
 ふたりとも、工場の後押しを受けながら、
 紬糸の作家になるはずだったのだけど、
 それが壊れてしまったのは・・・・
 別れてしまった、あの亭主との出会いでした。
 全国各地の呑み屋街を流して歩く、流れの演歌歌手だもの、
 世間知らずの小娘を、手玉に取るのなんか、あっと言う間で、
 朝飯前の出来事だったのよ。
 あ・・・・いま言った、世間知らずの小娘と言うには、
 私のことよ。
 解っている?。貞園ちゃん」

 「解っているわよ。
 あたしにだって有ったもの。小娘と呼ばれた時代なら」