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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 終章

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「すごい、本当に傷が塞がってるよ。あんなにぐっさり貫かれてたのに」
 そう言って、永久はハッカの生っ白い腹をさすった。そこに儚に穿たれていたはずの穴はなく、代わりに大きな傷痕(ケロイド)だけが残っていた。
「ちょ、やめっ、くすぐったいよ」
「ああ、ごめん」
「もういいでしょ、しまっていいでしょ?」
「うん、いいよ。これだったら問題ないですよね、ねぇ牧師(センセイ)?」
 しゃがんだ永久が見返った先には、帽子で顔を隠しながら仁王立ちする唐鍔牧師がいる。
「ふん、怪我人でもない人間をサボらせる道理はない。さっさと学校でもどこでも行ってこい」
「言われなくてもそのつもりです。それより二人の方はどうなのさ、そっちだってケッコー怪我したって聞いたよ?」
「あん、それなら心配ご無用さ。俺の伽藍堂(ガーランド)や牧師(センセイ)の量子凝縮能力は物質や空間を操ってんだぜ? 体組織の再構築なんてチョロイチョロイ。ですよね牧師(センセイ)?」
「……まぁ、な」
 振られた唐鍔牧師はむすっとした仏頂面で、どこか上の空だった。
「ねぇ、どうしたの社長? いつも変だけど今日は特に変だよ」
 顔を近づけ永久に小声で尋ねる。
「それはね、牧師(センセイ)昨夜はずっと寝てないんだよ」
 と永久も小声で返した時だった。
「永久!」
 唐突に怒鳴り声を上げる唐鍔牧師。
「はい!」
「わたしは今から寝る、今日の礼拝の準備はお前にまかせた。以上、業務連絡終わり!」
 そう言うと唐鍔牧師はエレベーターで牧師館の最上階の自室へ上がっていった。
「何あれ?」
「君らのことが心配で一睡もできなかったんだよ」
「えっ、でも傷のことなら昨日の時点でタイジョブだって──」
「牧師(センセイ)もあれで繊細で神経質な人でね、傷は治ってるのに痕がそのままなのが納得できないのさ」
「それは……」
 すべてを拒絶し自らの殻へと閉じこもる《後天性奇形大脳皮質(カルテジアン)》。究極の現実逃避能力であるあの結界の中でおこなわれることは謂わば夢(ゆめ)幻(まぼろし)。儚が夢から醒め、現実を受け入れたことで《後天性奇形大脳皮質(カルテジアン)》が消え去ったと同時に、ハッカの腹の傷も消えた。
 ただ、今も傷痕だけが消えない理由はただ一つ、ハッカが儚という痛みを受け入れてしまったから。しかし心配するまわりの人間をよそに、当の本人はまるで気にしていなかった。むしろまわりに気遣われるのが心苦しかった。
「麦ちゃん……、だったら俺のとっておき、見せてあげようか?」
 再びしゃがみ、真正面から顔をのぞきこんで微笑む永久に、ハッカは首を傾げる。
「じゃん♪」
 永久はいつも前髪で隠れていた貌の右側を見せた。
「──!?」
 ハッカは戦慄した。そこには眼球がなかったからだ。右眼の周辺が白い傷痕(ケロイド)で塗りつぶされ、眉も目蓋も〝眼〟を構成する何もかもがなくなっていた。
「はい、終わり」
 掻き分けていた前髪を降す。と、その左半面の貌は満面の笑顔で彩られていた。
「どう、お揃いだろ?」
「う……、ん」
 ハッカは言葉を詰まらせた。
「何さ、もしかして引いちゃった?」
 そう訊かれて、ハッカはブンブンと頭を横へ振った。
「そんなこと……! そんなことないよ!」
「そ、ならよかった。まっ、理由は麦ちゃんと似たようなものだからさ。俺もね、昔受け入れちゃったんだよ」
「永久クン……」
「そんな辛気臭い顔しないでよ。ほら、笑った笑った!」
 見かねた永久は、ハッカのTシャツをまくりワキワキと十指で腹をくすぐってきた。
「ちょ、永久クンっ──ひゃんっ!?」
 ちーん。
 不意に、エレベーターの昇降音が聞こえてきて、格子戸から儚が現れた。
「「「──あ」」」
 三人が三人、異口同音としまったく同じ反応を見せる。そして空気が固まった。
「あっはははは、いやー傷は大丈夫そうだね。よかったよかった」
 一番に動いたのは永久。ハッカのシャツを急いでただし、ついでに手櫛までかけてやる。
「いやー、麦ちゃんの髪はサラサラで柔らかいなー、あれだね、木炭の燃えカスみたいだよー…………」
 永久の横を、俯いて顔を隠した儚が足早に通り過ぎて往く。
「木炭の燃えカスみたいだよー……、だよー……、よー……はぁ」
 がっくりと肩を落とす永久。
「まぁ、まだ二日目だから仕方ないか。これからだよね、ねっ、麦ちゃん」
 そう、永久が傍らの少年を見下ろした時だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 震えていた。小さな少年は小さく丸まって小刻みに震えていた。
「麦ちゃん」
 永久はハッカをそっと抱き寄せた。
「うん……ダイジョブ、ありがとう永久クン」
 そう言いながら、けれどハッカは永久の黒のベストを強くつかんでいた。

それからハッカは学校へ行った。永久は酷く心配していた。
「大丈夫? 本当に大丈夫? バイクで送っていこうか。それても今日は休もうか。え? 行くの? じゃあ何かあったらすぐに電話するんだよ。ああ、もう君はもう充分がんばった別に逃げたっていいんだ。少なくとも、俺は責めたりなんかしないよ」
 そう優しく励ました。

        † † †

 きーん、こーん、かーん、こーん。
 そうして陽は西に傾き出し、その日最後に鳴る学校のチャイムが、今鳴り終わった。
 まだ学校の強制下校は続いたまま、だから学校には誰もいない──ということになっている。けれど教室には一人残る儚の姿があった。補習をやらされているわけではない。ベンジンで机に書かれた落書きを落とそうと一心に磨いていた。しかし年季の入った油性マジックはなかなか落ちず、次第に頭が朦朧としてくる。
「あうぅぅ……」
 もうかれこれ一時間近く机を磨いており、その他にも上履や体操着を洗っていたら、いつの間にか視界に朱色の紗幕が垂れ込む時間になっていた。
 もう帰ろう、あの人たちがいる所へ。
 儚の中から、真神の心は抜け落ちて、儚は本当に孤独(ひとり)になってしまった。祈り屋の人たちを家族のように思えるかは、わからない。でももう、ハッカにも頼れない。だから一人でがんばらないといけない。がんばって一人で強くならなくちゃいけない。そんな思いが、儚をイジメと向き合わせた。
 まだこの程度のことしかできないけれど、見てみぬフリだけはもうしない。
 ただそれでも、ちょっと──、
「疲れた、かな」
 生徒昇降口の前で、ぺたんと座り込んだ。動きを止めると、アドレナリンが切れてどっと疲労感が増す。それでも不思議な、脱力する心地よい疲れだった。
 もう、儚の中に以前のような不安や焦りはない。いや、少しはある。でも先の見えない明日に恐怖する気持ちは、あまりなかった。幸せの絶頂とは言い難い灰色の〝今〟を生きる力を、儚はつかみかけていた。
 けれど少し、気を張り過ぎた。
 微睡みが意識を食(は)み、儚はその場で眠ってしまった。
「────────っ」
 すると一〇分ほどで眼が醒める。憶えのある気配(ニオイ)が、鼻腔をくすぐったから。膝に埋めていた頭をやおら上げる。すると視線の先で小動物のようなものが見えると、それは驚いて下駄箱裏へと隠れてしまう。
『莫迦者がっ! 何故隠れる!』