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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第五章 『懺悔ホストクラブ祈り屋』

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いつもなら学校の放課後で一、二時間、時間をつぶしていくハッカだったが、H(ホーム)R(ルーム)が終わるやいなやその日はすぐに学校を後にした。いや、正確にはあの日からだ。
 児童たちで賑わう昇降口を抜けて、最寄りの停留所から路面電車(ライトレール)に乗った。例によって例のごとくであるならば、ハッカはビジネス街で降りるはずだが、彼はそのまま降り過ごしてしまった。そうして行き着いたのはファウンデーションと暁刀浦とをつなぐ続く関所(ゲート)前だった。
 降りたハッカは警備員にパスを提示して五〇〇メートルある橋をわたる。
暁刀浦にはもともと漁港があった。しかしファウンデーションの建設にともない今ではまったくその機能を失ってしまっている。所詮は地元の漁業組合と世界的大企業では最初から勝負になっていない。
 近未来型都市として成功したファウンデーションとは打って変わり、暁刀浦の街は典型的な地方都市の現状のそのものだ。まず人口の減少、中小企業の弱体化にともなう雇用の低下。加えてベッドタウン化。それらすべてがファウンデーションによるマイナスの経済効果だった。
 そんな寂れた漁港と臨海工業地帯を横目で眺めていると、ハッカは商店街のアーケードへ入りそのまま繁華街中心の盛り場へ向かった。
 入口に建てられた大きなアーチの看板には〝夢(ゆめ)路(じ)町(まち)〟と掲げられている。
 いくらファウンデーションに活気を吸収されているとはいえ、人が住む場所にこの手の歓楽街は欠かせない。しかし配管だけにとどまらず電線や電話線といったライフラインのほとんどが地下に整備されているファウンデーションと違い、ここは電線が蜘蛛の巣状に縦横無尽に張り巡らされている。同様に街そのものも非常に雑多だった。怪しげなブラック企業の事務所が居座る雑居ビルや、居酒屋という日本中であり触れた光景があれば、石造りや木造建築のショットバーやパブもある。この地域には昔外国人のコミューンがあったためだ。
 そうして街の中心へと辿り着いた二人の前にあったのは、旧びた木造の洋館だった。前と後ろに尖(せん)塔(とう)があり、前に十字架、後ろに風見鶏が飾られている。それぞれの店が狭い土地に肩を寄せ合いながら建っているのに対して、この洋館だけは建物そのものが大きいのに加え、囲われた柵のまわりに狭いが庭までついている。
 ぎぃぃぃ。
 天使と死神が長剣と大鎌で作ったアーチの門を開ける。アーチは青銅で〝MEMENT MORI〟と象られている。
 教会だ。
 英国風の切(きり)妻(つま)屋(や)根(ね)に十字架。そして門のメメント・モリという言葉は中世ヨーロッパの修道院ではあいさつとして用いられていた。欧米などの町や村の中心にはまずイの一番に教会が建設される。この界隈が外国人コミューンから端を発しているなら歓楽街のド真ん中に教会があってもなるほど決しておかしくはない。
 樫の木で作られた重い観音開き。
 扉の先にあるのは礼拝堂だ。しかしそこに広がっていたのは昔の外国映画を思わせるような古色蒼然としたイングリッシュ・パブだった。
 床も壁もバーカウンターも、すべて木製。旧い木材独特の赤銅色が渋みを醸し出している。教会特有の整然と並ぶ長椅子の代わりに丸テーブルが不規則に置かれ、奥にはセッションステージまで備え付けられている。
 外観(みため)は教会、内装(なかみ)はジャズバー。
 どうも噛み合わない。致命的な齟齬がある。
何かがおかしい。中身がおかしい。
「ん、麦ちゃんおかえりー」
 と声をかけてきたのはバックヤードから現れた少年だった。
少年──功(く)刀(ぬぎ)永(なが)久(ひさ)は下に黒いスラックスによく手入れされた革靴を履いて、上にはしわ一つない小豆色のシャツに腕を通し、その上から黒いベストと襟元に赤いリボンタイを巻いている。
人懐っこい笑みを浮かべながら永久はハッカの鞄を受け取ってやる。
「ん……ただいま」
 ハッカはそれ以上何も言わずに、バックヤードのモップを手に取り礼拝堂(ホール)の床を磨こうとした時だった。
「あ、麦ちゃんその前に」振り向くと、永久が人差し指を上へ向けていた。「先に牧師(センセイ)のとこに行ってきてくれないかな」
「……え」
「呼んでたんだよ。だから執務室に行ってきて」
 そう言って、やはり永久は笑った。
「う、ん」
 永久とは対照的にハッカの態度は堅い。
ノブに手をかけようとしたところで、一瞬躊躇する。
す~~、は~~。
 深呼吸を一回して左胸に手を当てる。その時だった。
「麦村か」
 木戸越し聞こえてきたのは、アルトの効いた艶のある低い声だった。
「鍵は開いている、入っていいぞ」
「……はい」
 中を開けるとそこは珈琲の芳醇な薫りで満ちていた。オーク材のデスクには手挽きミルが置いてある。
「お前も飲むか? 虎子の特製ブレンド。永久ほどじゃないがそこそこ美味いって評判なんだよ」
 イタリア製の黒革のゆったりとした椅子に腰かけているのは、黒髪御下げの女性だった。しかし女性とはいっても長く組まれた脚は男物のスラックスが包んでいる。ドレスシャツも茶のベストも紳士用だ。手にはさも優雅さを醸すかのように珈琲カップが添えられている。
「はぁ、じゃあいただきます」
 珈琲じゃなくて手前味噌だろ。などと心裡でぼやきながら、ハッカはカップに口をつけた。
「…………っ!?」
 むちゃくちゃ苦い。それに尾を引く変な後味がする。
「言い忘れたがここには砂糖とミルクはないよ。欲しけりゃ下に戻って永久に貰いな」
「いりません」
「そうか、なら遠慮せず飲め」
「はい」
 結局、ハッカは黙って口にちびちび流し込んだ。
「……、……」
「何見てるんだ、お前」
「なんでもありません」
 わずかに上目遣いで盗み見ていたのがバレてハッカは咄嗟に顔を伏した。
「ところで麦村、ここでの生活にはもう慣れたか」
「あ、うん、はい……まぁ、ぼちぼち、です?」
「ふっ、〝ぼちぼち〟ねぇ? そいつは結構」
 ふくみ笑いを珈琲の一口で飲み降す。彼女はこの教会の牧師をしている、名を唐(から)鍔(つば)虎(とら)子(こ)という齢二九の壮年女性だ。カトリック教会と違い、プロテスタント各宗派では女性の司祭は概ね認められている。
唐鍔牧師には宝塚の男役特有の芝居っぽさはないが、妙な外連味が目立っている。それはどこか旧い任侠映画の男伊達の世界観に近いものなのだろう。「顔で笑って心で泣いて……」どこからか往年の名優、菅原文太の声が聞こえてくるようであった。
「ぼくはいつまで……」
「あん?」
 ぽつりと呟くハッカに唐鍔牧師がやや目付きの悪い視線を送る。
「ぼくはいつまでここにいれば……いいんですか」
「まあ、しばらくってとこかな」
 唐鍔牧師は椅子からやおら立ち上がり、後ろの窓の前へ移動した。窓からは夕陽が臨めた。

† † †

「くそっ、またなのか!」
少年が三柱鳥居の中へ消えて一〇分ほど経とうとしていた。
「またわたしは目の前でみすみすっ……! 見捨てたのか、救えなかったのかっ!?」