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3



 年末のある晩、松葉寮では遅めのクリスマスパーティー兼忘年会という名目で、馬鹿騒ぎ会が行われる。
 翌日からは帰省する寮生が出始めるため、ほぼ全員がまだ寮に残っている内に毎年行われるのだ。
 この日の夕食は、寮生が作るなり持ち寄るなりした物が主となる。
 そして当然というべきか、会そのものよりも渋沢の腕を振るった料理が一番楽しみであるという寮生は学年を問わず多い。
「キャプテン、この皿はもう向こうに持っていっても良いですか?」
「ああ、悪いな。頼む」
 目の前の鍋から漂う柔らかな香りを嗅ぎながら、笠井の問いかけに答える。
 チキンやポテトが大きく盛り付けられた皿を手にして食堂へ持って行く彼に、気を付けろよと声を掛けた。素直に返事をする笠井を見届けてから、鍋の中身の味を見る。
(今回もうまく出来たな)
 ふ、と息を吐き、食器棚から取り皿を出して枚数を確認する。が、全員分用意するには数枚足りなかった。
「……おかしいな」
 疑問に思いつつも、三上に鍋を見てくれるよう頼んでから新しい皿を用意するために倉庫へと向かう。


 明かりを点け、食器の入った箱を探す。
 これかと思った箱を開けるが、そこには数客の湯のみしか入っていなかった。
「違うか。……でも、この色は良いなぁ」
 思わず口に出して呟き、目の高さに持ち上げてしげしげと眺める。見れば見るほど好みの色合いであった。
「…と、ゆっくり見てる場合じゃなかった」
 箱に戻そうとしたところへ、背後の扉が開く音がした。驚き振り返った先に立っていた人物に目を見開く。
「どうも、渋沢さん」
「ふじ、しろ…?」
「はい、藤代です」
 邪気のない顔でそう微笑み、扉を閉める。
 心臓が強く脈打ち、呼吸が一瞬止まった。
 かち、となにか金属質な音がして、しかし意識の全てを目の前の藤代に向けていた渋沢の耳に、その音は入ってこなかった。
「……何、しに来たんだ?」
 平静を装って尋ねると、元恋人はくいと首を傾げ「手伝い?」と子どもの様に笑った。
「大丈夫だから……向こうに行ってろ。おれも直ぐ戻る」
 出来る限り自然に顔を背け、手にしていた湯飲みをきちんと箱に戻そうとする。指先が、震える。
「あの、」
「――っ!」
 声を掛けられた瞬間、手が滑って箱を取り落としてしまった。鋭い音と鈍い音が重なって響く。まだ蓋を閉めてはいなかったのだ。
 一瞬状況が掴めずに呆然としてしまうが、直ぐに自分のしてしまったことに気が付いてしゃがみこむ。
「あ、ちょっと待、」
「――い、っ」
 焦っていたためだろうか。考え無しに素手で割れた破片に触れてしまい、指先に鋭い痛みが走った。血の赤がじわりと滲む。
「…だから言ったのに」
 その声が耳に入ると同時に、手元で影が揺れた。
 手首が掴まれ、怪我をした自分の指先が薄赤い肉に挟まれる。
「な、」
 瞬間、火が点いた様に耳が熱くなった。
 ぬるりとした、生暖かい感触が傷口の周りを覆う。そして、得体の知れない何かが背筋を這い上がる感覚。
 反射的に手を退こうとするも、強い力で阻まれる。
 透き通った水音と、濁った吐息の音。自分と彼の、どちらから発生した音なのかは判らない。
 視界で何かが煌く。その光を辿った先に、彼の黒い瞳があった。
 見覚えがある。見慣れている気がする。
 獲物を狙う肉食獣の如く、その瞳は光を限界まで溜め込み、獰猛なぎらつきを見せている。そして瞳の奥でちらつく異色の光。――狙うという表現は、正しく無かったかもしれない。
「…渋沢さんの血って」
 糸を引かせながら舌を離し、彼は酷く柔和な笑みを浮かべた。それはまるで天使の様で。
「凄く美味しいんですね」
 知らなかった、そう恍惚と言葉を紡いだ唇はいやに赤く、背徳的に濡れ光っている。

 声も出せず身動きもとれない渋沢は、正に捕らわれた獲物そのものであった。
 喉から漏れているものが、熱い吐息であることだけを除いては。