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約束~リラの花の咲く頃に~・邂逅編Ⅰ

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ライラック
 花言葉―友情、想い出
  (紫)―初恋、初恋の感激、愛の芽生え (白)―無邪気、若さ、美しい契り、青春の歓び、若き日の想い出
(野生種)―謙遜
   五月三十日(紫)、六月十二日(恋人の日)、六月二十六日(白)の誕生花
   リラはフランス名。和名は〝ムラサキはしどい〟。冷涼な気候を好む。花期は四月から六月。色は紫、白、淡紫、ピンク、紅色

  アメジスト
 直感を現実的な行動へと導き、視野をひろげてくれる働きがある。恋愛に効果あり。


【邂逅~めぐり逢い~】

 莉彩(りさ)は所在なげに周囲を見回すと、そっと小さな溜息を落とす。先刻からもうこれで幾度めになるか判らない無意味な動作―腕時計を覗き込んでは時間を確認するという―を繰り返した。
 それでも、まだ慎吾は来ない。莉彩は今、小さな橋のたもとに立っている。名前さえ知らないささやかな流れの上に掛かる、これまた小さな小さな橋。ここは莉彩の住んでいるY町でも外れで、人通りも多くない。というよりは、はっきり言うと、昼間でも人影のあまり見当たらない寂れた場所だ。
 そんなところでも、たまに犬を散歩させている老夫婦だとか、幼い子どもを連れた若い主婦などが通り過ぎる。別にその人たちが莉彩を特に気に留めているわけではないのは判っているのに、何故か、自分が白い眼で見られているような気がして居たたまれない。
 人は自分が考えているほど、自分のことを見てはいないし、気に掛けてもいないものだ。そのことを判っているつもりなのに、自分の傍を通り過ぎてゆく人が
―あの子、彼氏に待ちぼうけを食らわされてるんじゃない?
 などと、意味深に語っているような気がしてならない。
 流石に腕時計を見るのは止め、今度は丁寧に結い上げた髪に触れてみる。莉彩は腰まで届くロングヘアで、普段は解き流していることが多いのだけれど、今日は後頭部で一つにまとめ、シニヨンにしている。あまりごてごてと飾りをつけるのは好きではないので、少し大ぶりの簪を一つ。
 これは、莉彩の父が韓国旅行の土産に買ってきてくれたものだ。ゴールドの簪の先に、アメジストがあしらわれている。色は淡い紫、幾つかの小さな玉が集まって可憐な花を象っている。
―パパ、これって一体、何の花なの?
 莉彩が訊ねると、父は笑いながら言った。
―よく見てごらん。ライラックの花の形をしているだろう?
 父はごく平凡な商社マンで、日本では結構名の知れたアパレルメーカーの営業部長をしている。韓国に行ったのは、社員旅行のようなもので、件(くだん)の簪を見つけたのは町の露店の店先であったという。あまり高いものではなかったのだが、何故か、その簪を見た瞬間、いざなわれるように手に取っていたそうだ。
―旦那さんはなかなかお眼が高いねぇ。
 露天商の老人は皺に埋もれた細い眼をしばたたきながら、そんなことを言った。
 父はその時、老人が愛想を言っているだけだと思った。父の勤務する会社には韓国に支社も持っている。若い頃は韓国支社の駐在員を務めていたこともあるという父は、韓国語も流暢に話せたので、現地の言葉で言ってやったそうだ。
―ホウ、すると、何か特別な謂われでも?
 小柄な老人は眉も顎の下にたくわえた口髭もたっぷりとしていて、まるで山奥に棲む隠者のようだった。
―さよう、あまり大きな声では言えないが、この簪は何でもはるか昔、さる高貴なるお方の御髪(おぐし)を飾っていたといいますよ。
 店主の老人によると、この簪は朝鮮王朝時代、何代めかの王の寵姫が愛用した品だとか。
 むろん、現実志向の父は、そんな荒唐無稽な話を本気にはしなかった。が、たとえ口から出まかせにしても、興味はそそられた。
 値段も手頃だったため、その場で金を払って引き取ったのだ。
―それにしても、王の妃の持ち物だったほどの値打ち物なら、宝物館かどこかに収まっているべきものでしょう? そのような由緒ある品が言っては失礼だが、こんな露店の店先に転がっているはずがない。あなたのお話が本当なら、この簪は今、あなたが私に提示した値段の百倍どころか値段もつけられないほどの価値があるはずですよ。
 品物を受け取りながら父が店主に言うと、老人は意味ありげな笑みを浮かべた。
―そう、ありえない話だ。ですがね、旦那、歴史ってものは、ただ語り継がれているだけのものがすべてとは限らないでしょう。歴史の波間に沈んでいった名も無き人だって、ごまんといたはずだ。そして、それは私らのような庶民だけではなく、雲の上のやんごとなき方々にしても同じじゃありませんか? 陰謀や政争の犠牲となって歴史の闇に葬られたお方だって一人や二人じゃないでしょうよ。この簪は、そういったお方が身につけていらっしゃったものだと聞きましたよ。
 その日、父はそのまま店主に見送られ、滞在先のホテルに戻った。が、夜になって一人で考えみても、そのような因縁のあるいわくつきの簪を持っているのは止めた方が良いと思い直し、翌日、再度、その露天商を訪ねた。
 だが―、何とも奇妙なことに、父が訪ねていった時、既にその露天商はいずこへともなく姿を消していた。いや、確かに昨日はそこに謎めいた老人が店を出していて、いかにも女性が歓びそうな細々としたアクセサリーを商っていたはずなのに、翌日、その界隈で幾ら聞き回ってみても、そのような老人はついぞ見かけたこともないと誰もが口を揃えて言った。
 では、自分はいっときの夢を見たのか。あの老人は、異国で束の間の白昼夢が見せた幻だったのだろうか。そうも思ってみたが、我が手の残された簪を見るにつけ、あの出来事が現(うつつ)であったことは疑いようもない。
 父は結局、その簪を旅行鞄に詰め込んで帰国した。
 父に簪を見せられた時、莉彩はひとめで心惹かれた。何故かは判らない。でも、じいっと見つめていると、心の奥が妖しくざわめき、鎮まっていた感情が俄に激しく根底から揺さぶられるような感じがしてならなかった。
 去り際の父に、かの露天商の声が追いかけてきたという。
―旦那、その簪には不思議な力があるそうですよ。
 思わず振り向いてしまった父に、店主は声を張り上げた。
―離れ離れになった恋人たちを引き寄せるという不思議な力を秘めているそうだ。もし、年頃のお嬢さんがいたら、差し上げてみては、いかがです? それとも、どうでも忘れられない昔の恋人がいれば、旦那ご自身でお持ちになってみるのも良いかもしれませんよ?
 あまりにも馬鹿馬鹿しい話に、父は今度こそ眉をつり上げ、踵を返した。
 離れ離れになった恋人たちを引き合わせるだなんて、これほどロマンティックなことがあるだろうか! 莉彩は父と違って、恋愛小説が大好きな母の血を受け継いでいる。不思議な露天商の話は、いたく莉彩の心を揺さぶった。
 父は陰謀や政争の犠牲になったというお妃の持っていたといういわくのある簪を大切な娘に与えたくはなかったようだが、莉彩は父に無理を言って簪を譲って貰った。