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城塞都市/翅都

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 しかも大爺は子供だからといってバカにしたりこき使ったりもせず、お給料もちゃんと払ってくれるし、ご飯もおかあさんと暮らしていた頃よりもたくさん、三食きちんと出るから、暮らしの不自由だってなかった。お店の姐さんたちも兄さんたちもみんないいひとで、皆してわたしを可愛がってくれるから、わたしはおかあさんが居なくなってしまった悲しみなんか、ほんとうにすぐに忘れてしまった。 
「はい、大爺もお元気でしたか?」
「元気は元気だが、最近ちっとばかり忙しくてな……ん?なんかいい匂いしないか?」
「あ、丁度ツィファン姐さんがクッキーを焼いて……少し待っててください。今持ってきますから」
 今朝、アイシャ姐さんに綺麗なポニーテールにしてもらったわたしの長い栗色の髪をひとつ撫でて、裏口から続く細い廊下をずかずかと進む。酒場にあがりこんで鞄を下ろしながら大きく伸びをする大爺は、この娼館……「六曜館」の経営者ではあるけれども、毎日ここに詰めているわけではない。
 大爺は普段、この花街より南の、ダウンタウンの中心地に程近いジャンクマーケットにある雑貨屋さんの店主をしていて、この娼館の大爺であるということは、「他の人にはヒミツの顔」なのだそうだ。なのでここの経営は普段、店長であるウォン大哥が一切を取り仕切っていて、大爺は大体月の終わり頃になるとふらりとやって来て二日ほど泊り込み、日々の売り上げが記されている帳簿のチェックなんかをした後で次の月の大体の経営方針を決め、またふらりと帰っていく、と言うのが常だった。
「店長は?」
「ウォン大哥ならついさっき出かけたところです。シャーロット姐さんがお客に殴られて怪我をしたから、その付き添いで病院に」
 床に投げ出された大爺の鞄を抱えあげて、お茶とクッキーをとりにわたしが台所へ行こうとするのを呼び止めて、大爺が聞いた。
 わたしが立ち止まって肩越しに振り返り、大爺の質問に精一杯正確に答えられるよう、考え考え言葉を返すと、大爺の整った造作の眉間にぐっと皺が寄る。
「あぁ?殴られただと?なんだそりゃ、ケンカか?」
「うぅん、そうじゃなくて、そういう趣味のお客だったみたい」
 興奮したお客の一人が、相方の姐さんを殴って大騒ぎになったのは昨夜のことだ。その騒ぎを思い出しながらわたしがいうと、大爺はがくんと肩を落としながら太い息を吐いた。
「なるほどな。ったく、人が留守のときに限って面倒なのが来やがる……ウチはそういう宿じゃねぇって、きちんとご理解いただいた上で、丁重にお帰りを願っただろうな?」
「多分……ウォン大哥と用心棒のローガン兄さんが、ソイツに砂噛ませて路地裏引きずりまわして港の方に行くのまでは見てたんだけど、アイシャ姐さんが「こどもがそんなの見るんじゃない」って怒るから、それからどうなったのかは知らないです」
「そりゃ当たり前だわ。つーか「砂噛ませる」なんて、女の子がそんな汚い言葉使うんじゃありません」
 ウォン大哥とローガン兄さんが言ったセリフをそのまま大爺に言ってみたら、大爺は苦笑いの顔でククク、と鳩みたいに喉を鳴らした。
 怒られてしまった、とちょっとわたしがしょんぼりしていると、大爺は「そんなヘコまないでお茶くれよ」とやっぱり笑いながら、さっき掃除をしたときのままテーブルの上に上げられている椅子を下ろして床に置き、そこにガコンと乱暴に腰を下ろす。
「しかしそんな騒ぎがあったとはなぁ……先月も確か似たようなことがあっただろ。ありゃ誰だったかな。ローズマリーだったか?なんにしろヤダねぇ、物騒で」
 大爺がぼやいている間に、わたしは気を取り直して大爺の鞄をカウンターに置いて台所に行き、皆が自由に食べられるようにと、ツィファン姐さんが空き瓶に詰めて棚に置いておく手作りクッキーをお皿に並べた。それから台所の竃の熾にかけっぱなしの鉄瓶から、大爺が好きな茶葉を入れたポットとカップに熱いお湯を注ぎ、ポットと暖めたカップとクッキーとを普段お客さんにするのと同じように銀色のトレーに載せて、慎重に大爺のところにまで持っていく。
「おんなじことを、ウォン大哥も言ってました。でも今回は先月殴られたマリー姐さんよりも傷が酷いって、すごく怒って……あのお客さん、死んじゃったかもしれないねって、アヤカ姐さんが」
「んー……でもウォンからはなんも連絡ねーし。ローガンが一緒だったなら、まさか殺しはしてねーだろ」
 大爺の前のテーブルにクッキーのお皿を置いて、ポットからカップにお茶を注ぎながらわたしが言うと、大爺はまた欠伸をしながらフフンと鼻を鳴らして、「まぁ腕の一本はとられてるだろうけどなぁ」と言った。
 ひとを故意に傷つける人間は、自分が傷つけるのと同じだけ、時にはそれ以上の報いを受けて当然なのだという。
 大爺の言うことは、なんとなく解るような気はするけれど、でもじっと考えているとなんだかとても難しいことのような気がしてしまって、わたしはいつも途方にくれてしまう。
「大爺、聞いてもいいですか?」
「おう」
 なのでこのときも、わたしはポットを抱えて途方にくれたまま、大爺に聞いたのだった。

「なんで人を殴って気持ち良いって思う人が居るの?」
「……んー。そりゃ難しい質問だなぁ……」

 先月お客に殴られたマリー姐さんも、昨日お客に殴られたシャーロット姐さんも、殴られて嬉しいなんて言う趣味は持っていない。
 でも、殴った方のお客さんはふたりとも、とても楽しそうだった。目をギラギラさせながら逃げる姐さんを追いかけて、お店中を走り回っていたそのお客達は、ウォン大哥やローガン兄さんに取り押さえられた後でも、暫く物凄い勢いで暴れて色んなものを壊したりしたので、とても怖かった。
 わたしが言うと、大爺はお茶のカップを取り上げながら凄く困った顔をして、唇をへの字に曲げながら顎を撫でた。
「大抵はまぁ、勘違いから来る危ない妄想なんだけどな、そういうのは。でも中には真性ってヤツもいるからなぁ……」
「真性?」
「本当に心の底から人を痛めつけるのが好きってヤツも居るんだ、世の中には」
 大爺は呟くようにそう言って、ずず、とお茶を啜った。
 それからカウンターの前に並べられている三本足のスツールを足でわたしの方に蹴り寄せて、座れと目顔で促すので、わたしも素直にそこに腰を下ろす。
 窓の外にちらりと視線をやると、雨がまだ激しく降っていた。
 やっぱり、今日は夜までやみそうになかった。
「どうしてそんな風に思うんでしょうか」
「痛みは生きてる証拠、みたいに思えるんだって話は聞いたことあるけどナァ……ほら、レベッカもさ。なんかイタズラして姐さんたちにゲンコされると、痛いだろ?」
 大爺は皿の上の茶色いクッキーを一つ摘み上げ、指先でソレを弄びながら首をかしげてそう言った。
「痛いってことはさ。生きてるってことだからな。他人が痛がってるのを見て、生きてるのを実感できるとかなんとか、危ないことをマジメに思ってるヤツも居るんだよ。まぁ、ほんの一部の人間だけどな、そういうのは」
 どうせなら自分を痛めつけときゃいいのになぁと、視線で同意を求められて、わたしは素直に一つ頷く。
作品名:城塞都市/翅都 作家名:ミカナギ