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ただ書く人
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高架下の参道

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 地下鉄というのは本来は地下を走る鉄道のことだろうが、頭上を走ることもある。彼の通勤路も地下鉄が頭上を走っており、彼は毎朝その高架下の道を駅まで向かって歩く。自宅から駅までは徒歩で約十分の道のりだ。
 その道は真っ直ぐで緩やかな坂になっており、出勤時の彼はその坂を上ることになる。その時に彼が前を向いて少し顎を上げれば、坂の頂からさらに上に伸びる階段、そしてその先の駅舎が見える。そこまでは歩いてみればあまり遠くないのだが、会社に向かう彼が高架下の道に到って駅舎を見上げた時には、それは遥か遠くにあり、まるで別の国の建造物のようにも感じられるのだった。
 夏ともなればなおさらだ。暑苦しいビジネススーツに身を包み、まだ出勤する人もまばらな時間だというのに空気が揺らぐアスファルトの道を、彼はその頂上まで歩かなければならない。

 今日も彼は高架下の道に出ると駅舎を見上げて自嘲するようなため息をもらし、同時になんとかやる気を呼び起こした。
 まるで参道のようだ。ふと彼は思った。駅舎は神社。階段の脇の電柱は鳥居。自分は真っ直ぐな参道を通ってお参りに行く参拝者。祭神は何だろうか。商売の神様か交通の神様か、あるいは山の神様かもしれない。拝んだ者は救われる。信じる者は救われる。イワシの頭もなんとやら。救われる者はいったい誰だ。さっさと救ってほしいものだ。彼はまた自嘲するようなため息をしてから歩き出した。
 この日は特に暑く、まだ歩き始めて二分ほどだったが、彼の両脇や背中には汗が滲み出ていた。手に持った茶色い革のかばんが重い。いつもと同じかばん、いつもと同じ物しか入っていないはずのかばんだったが、彼にはそれがずいぶんと重く感じた。取っ手が指に食い込み、腕を引っ張るような力が肩にかかる。真っ直ぐに歩くことすら困難に感じる。
 そういえば体も重い。自分は歩いているはずなのに、まったく進んでいないのではないか。体調がおかしいのか。家に帰るべきだろうか。彼は考えた。
 どうにもならないので、周囲を気にしつつ彼はかばんを地面に置いて、同時にその場に座り込んでしまった。そして、重すぎるかばんの中を確かめた。しかし、やはりかばんにはいつものと同じ物しか入っていない。疑問に思いながらも、彼は最初からそれが目的であったかのようにハンドタオルを取り出して額を拭った。
 ふと人の気配を感じて、彼が額を拭いながら後方を見ると、ほぼ毎朝彼と同じくらいの時間に駅に向かう姿を見かける、彼より少し年下と思われる男が歩いていた。スーツなどは着ていないが、いつも同じ時間に駅に向かっているので会社員なのだろう、と彼は考えていた。その年下の男に道端でいつまでも座り込んでいるところを見られるのは恥ずかしい、と思った彼は、立ち上がってかばんを持ち歩き出そうとしたが、かばんがあまりに重く持ち上げることができなかった。
 いくらなんでもそんなに重いはずがない、と思いつつ彼が中腰の姿勢から両手で取っ手を持って引っ張ると、どうにかかばんは持ち上がった。が、それにしても重い。
 その時、先ほど後方にいた年下の男は、もう彼の横に並ぶ位置まで来ていて、まさしく彼を追い越そうとしているところだった。しかし、その年下の男はそこでぴたりと足を止めて「あの、あなたも」と彼に問いかけた。何のことを言っているのかわからず、愛想笑いを返した彼に、年下の男は言葉を続けた。「かばん、重くないですか」
年下の男はそう言うと、彼の横でかばんを下ろし、先ほどの彼と同じように座り込んでしまった。
 彼は何か奇妙に感じながら、朝にテレビで天気予報を見ていなかったことを後悔していた。今日は重力が強いのか。いや、引力だったかな。とにかくかばんが重いのは自分だけではないらしい。それから努めて冷静な表情を作ってかばんを両手で抱え込み、年下の男に応えた。「ええ、今日はかばんが重いですね」
そして彼は、まだ座り込んだままの年下の男に会釈をして再び歩き出した。
 駅はまだ遠く、むしろ先ほど見た時よりも遠く見えた。お参りも楽じゃない。暑い日も寒い日も、雨の日も雪の日も、かばんが重い日も軽い日も、気持ちが重い日も……軽い日はあまりないが、この参道を通ってお参りに行かなくてはならない。
 足元を見ると確かに歩いている。しかし駅は遠ざかっている。そうか、今日は重力が強いから駅が遠くなっているんだな。そして彼が見つめる足元に彼の額から流れた汗が落ちた。
 その後、座り込んでいたはずの年下の男が彼に追いついてその右側に並んだ。やはり若い者は歩くのも早い。年下の男は彼を、彼は年下の男をちらりと見やり、互いに言葉もなく同様に顔を下げて足元を見つめながら歩いた。こうしていないと先に進まず、こうしていないと駅が遠くなってしまうのだ。

 しばらく歩いていると今度は彼の左側に誰かが並んだ。彼が横目で確認したところ、そこにいたのは異星人だった。おそらく異星人のはずだ。テレビや漫画でよく見る異星人の姿をしている。濃いネズミ色の肌、小柄な彼の肩にようやく届く程度の身長、その身長からすると不釣合いに見える大きな頭、白目がなく真っ黒な瞳、そして細い顎。異星人であることは間違いないだろう。
 その異星人の姿を見て、これは裸なのではないだろうか、と彼は思ったが、異星人はネクタイをしているので裸ではないのかもしれない。もしかして今日重力が強いのは異星人の仕業だろうか。異星人なのだから重力を強くすることくらいできるだろう。彼はそう重い、異星人を睨むように見つめたが、そうしてよく見ると、異星人も大量の汗をかいて足元を見つめていた。そして手には黒い小さなトートバッグを重そうに持っていた。この異星人もお参りなのだろうか。
「今日は重力が強いですな」彼の視線を感じたのか、異星人が彼に話しかけた。
その言葉を聞いて、日本語が上手な異星人だと思いつつ、彼は愛想笑いを作って応えた。「ええ、かばんが重くてかないませんね」
異星人もお参りに行くのだから、あの駅には余程すごい神様が祭られているに違いない。

 彼と年下の男、異星人の三人が並んで駅に向かって歩いていると、今度は三人を颯爽と追い抜く者があった。それは自転車に乗った中年女性で、腹の部分に虎がプリントされた白いシャツを着ていた。中年女性は彼らの前で自転車を停め、振り向きざまに彼らに大きな声をかけた。「ほらほら、大丈夫かい若者たち。駅が遠くなっているよ」
いかん。これは罠だ。彼は気づいたが、異星人は顔を上げて中年女性に応えてしまった。「ええ。本当ですかいな」
 その途端に駅は遠くなった。
「ハハッ、ほら、遠くなったでしょう。ハハハハハハ」と言ってから中年女性は再び自転車をこぎだし、笑い声を上げたまま右に曲がって消えていった。
嵌められたことに気づいた異星人は「勘弁してくださいな、おばちゃん」と左手を挙げて抗議をしたが、その声は届かなかっただろう。異星人は「すみません」と彼とその右隣にいる年下の男に謝ったが、彼らはどちらも言葉を発せずただ小さく会釈をしたのみだった。怒っているのではない。彼にも年下の男にも異星人を責める気はなく、ただ早くお参りをしなければならない、としか思っていなかった。
作品名:高架下の参道 作家名:ただ書く人