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とこよ・うつしよ・ゆめうつつ

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桜の花びらが風に舞う。
 何とはなしに目で追うと、空は、春特有の柔らかい水色だった。
(……なぜ、みずいろ、と言うんだろう……)
 陽気が辺りに蔓延って、温まった空気が流れ込む。
(……みずは、透明なのに……)
 とりとめのない、無為な思考が通り過ぎては消え、通り過ぎては消えた。
 ふと、花の手触りを確かめたくて、薄紅の群れに手を伸ばす。

 捕らえたのは、桜ではなく蝶々だった。
 蝶は金の燐分を散らして息絶えていた。
 僕は、桜の木の下にそれを埋めてやった。


* *    


「そんな―――夢を見たよ」
 葉月はひどいね、と声が言う。
 返答に困っているともう一度、葉月はひどい、と。
「何で」
 だって葉月は、蝶を殺した。
「……何で怒ってるの」
 怒ってないよ。呆れてるだけ。
 それは、からかうような口調だけど、不機嫌があからさまな声だった。
(うそつき、だ)
 それきり、お互いに沈黙する。
 すぐに耐えられなくなり、僕はこの沈黙が終わる魔法の言葉を探した。
 そして策もなく、予想以上におどおどとした声が喉から滑り落ちる。
「瑞希、」
 その先はなんと言おうと思ったのか。
 よくわからないままに言葉は遮られた。

 じゃあ今度、木の下を掘ってごらん。それで許してあげる。


* *    


 気づけばまた、あの夢の風景に僕はいた。
 右も、左も、前も、後ろも。すべて、満開の桜で覆われている。
 あの水色の空も、いつか桜で埋まってしまうのかもしれない。
(そうしたら、僕も、あの蝶と同じになるのかな)
 土を掘りながら、自身が花びらに埋められるさまを夢想する。
 傍目には美しいけれど、それは、ただ苦しいだけだ。
(あの蝶はどこに行ったんだろう)
 埋めたときは浅くしか掘っていないのに。もう桜に食われたのだろうか。
 掘り返した穴は、大人の拳一つ半ほどの深さになっていた。
 惰性のごとくまた土をかき出すと、指先につるりとした感触が当たる。
 それは、あの蝶と同じ色彩を持つ、二枚の貝殻だった。
(きれい)
 その綺麗な薄桃色を両手に一つずつ持ち、眺める。
 これが、瑞希は欲しかったのだろうか。
「違うよ、それじゃない」
 瑞希の声が耳元でささやく。
 僕は貝殻をポケットにしまい、また穴を掘り始めた。

 赤ん坊が丸ごと入るほどの深さで、琥珀色の飴が出てきた。
 瑞希は相変わらず「違う、それじゃない」と言った。
 体育座りの子供ほどの深さで、赤いリボンに括られた古本が出てきた。
 瑞希は相変わらず「違う、それじゃない」と言った。
 子供の胸ほどの深さで、二つに割れた白い皿が出てきた。
 瑞希は相変わらず「違う、それじゃない」と言った。
 

 気づけば夜になっていた。 
 花びらは舞うのを止め、ひどく静かだった。
「そう、それだよ」
 穴は、僕一人分ほどの大きさになっている。僕はこれを、どうやって掘ったのだろう。穴の底で惰性のごとく土をかき出すと、真っ白な僕が出てきた。
 僕の形をしたそれは、蒼白な顔で、息をしていなかった。
 ああ。
 あの蝶は、僕だったのだ。


* *    


 起きて、起きてと声が言う。
 僕はゆるりと目を開け、呼びかけに応えた。
「―――瑞希」
 起きて、起きて。
 遠くで瑞希が言っている。
 僕の言葉が届かない。
「どこ―――瑞希」
 瑞希の姿を探すが、周りには誰もいない。生命の気配も感じられない。ただいつもの暗闇だけが僕の視界を満たす。
 ……ああ、そもそも僕は、ここで瑞希の姿を見たことがないのだった。
 唐突に疑問が、何かが塞き止めていた問いが頭に浮かぶ。
 そういえば、君は、瑞希とは、誰なのだろう。
 とても大切なひととしか、僕はわからない。
 君が男なのか女なのか、家族なのか恋人なのか親友なのか。それさえ、わからない。
 起きて葉月と、耳元で瑞希の声が聞こえた。 
 まだ間に合うから、起きて。

(だって葉月は、蝶を殺した)

 脳裏に、いつかの瑞希の言葉が蘇る。あの蝶が僕自身ならば、僕の罪は、僕が忘れた、あの時言おうとした言葉は―――

(ごめん、瑞希。もう二度と――しないよ)

 この言葉は、起きて、直接君に伝えよう。
 僕は一度、この優しい暗闇に融けてしまうことを望んだけれど。
 すべてから――君からも、逃げてしまったけれど。
 もしも叶うなら、僕は、また君に会いたい。

 遠くで響く呼び声に、僕は震える手を伸ばした。