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スカイグレイ
スカイグレイ
novelistID. 8368
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唇と少女病

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 だから、と唇は続けました。
「できる限り、死なないでほしいね。何かになりたい、という希望はなくても、生きていたいという願望くらいは私にもある」
「がんばるわ」
 これが私の精一杯の答えでした。
 本当は、頑張っても何をしても、駄目な時は駄目なのです。少女病の感染経路は不明です。以前は空気感染ではないかと言われていましたが、外界と一切の接触を断っていても、かかってしまった子はいます。かと思えば、私のようにいくら外を出歩いてもかからない場合もあります。全く、運としか言いようがありません。
私は、生きていること自体が奇跡なのだといろいろな人に言われました。けれど、それらの言葉は必ずしも善意から発せられたものではないのでした。少女病で死んでしまった桃ちゃんのお葬式に出た時に、ご両親から投げかけられた、「命は大切にしなさいよ。あなたは生きているだけで奇跡なんだから」という台詞には、嫉妬と羨望と、ほんのひとかけらの憎しみが籠もっていました。なぜ死んだのが私ではなくて、自分たちの娘だったのか。その双眸は、そんなやりきれない思いで溢れていました。
 生きていてごめんなさい、と口に出しこそしませんでしたが、私はその時初めて、生きていることを恥じました。桃ちゃんは可愛くて優しくて、頭が良くて、お菓子作りが上手な本当に良い子だったのです。なぜ私ではなく桃ちゃんだったのかと、いるかどうかも定かではない神様を詰りたくて仕方ありませんでした。家に帰って涙が涸れるまで泣いて、唇に慰められたのを憶えています。けれど、友達の死は、いつしか日常のありふれた出来事になってしまったのでした。
 ざざざ、と風が木の葉を揺らしました。どれくらいの間、公園のベンチに座っていたのでしょう。空には雲が出てきました。気温も下がって、少し肌寒いくらいです。
「帰りましょうか」
「そうだね」
 私は立ち上がり、唇は定位置の、私の左肩あたりまで浮き上がりました。どこかでカラスが啼いています。カラスは少女病の心配なんてしなくても良いのだろうな、と思うと少し羨ましくなるのでした。
 家に着くと、久しぶりにおとうさんとおかあさんが帰宅していました。玄関に黒い革靴と黒いパンプスがあったのです。私の両親は少女病の研究をしています。大抵は病院に泊まり込んでいて、滅多に家には帰って来ません。ですから、私の方から会いに行くことが多いのです。おとうさんとおかあさんは、リビングで何やら真剣に話し込んでいたようでした。
「ただいま」
 と、声を掛けると、二人は同時に振り向きました。おかあさんが、真っ赤に泣き腫らした目をしていたので、私は驚きました。おとうさんの顔は蒼白です。
「どうしたの?」
 と私が尋ねると、どういうわけかおかあさんは、わっと泣き出しました。その様子を見ながら、おとうさんが口を開きました。
「杏、僕たちの研究には、君の力が必要なんだ」
「どういうこと?」
「この街に住む三分の二の女の子たちが少女病で亡くなった。これ以上患者を増やすわけにはいかない。だから、まだ病気にかかっていない杏の身体がどうなっているのかを調べて」
「もうやめて!」
 おかあさんがおとうさんを遮って絶叫しました。
「なんで杏が犠牲にならなきゃいけないの! 私たちの娘なのよ! 健康な被験者なら他にもたくさんいるじゃない! どうして杏なのよ……!」
「静かにしなさい」
おとうさんは、おかあさんを一瞥して言いました。
「さんざん話し合っただろう? 他に依頼できないから杏なんじゃないか。今更議論を蒸し返さないでくれないか」
「でも!」
 バシッ、と音が響き、私は思わず目を瞑ってしまいました。恐る恐る目を開けると、頬に手を当てたおかあさんが床にぺたんと座り込んでいました。
「同意してくれないのなら、僕たちは袂を分かたなければならない。同じ研究者として、それはとても残念なことだ」
 おとうさんは息を荒くして、しかしそれでも静かな調子は崩しませんでした。
「杏!」 
今度はおかあさんが私の方を見ました。
「あなたを被験者になんてさせないわ。おとうさんの言うことなんて聞かなくていいのよ。あなたは私が守るから、何も心配しないで」
 おかあさんは手を伸ばして、私の指先を握りました。おかあさんの手は燃えるように熱くなっていました。
「杏、判断は君に任せる。たとえ君が僕に協力しないと言ったとしても、君は僕の娘だ。それは一生変わらない」
 おとうさんは、私の目を見て言いました。
「杏……」
 おかあさんの、私の指先を握る手に力が籠もりました。
「私、協力するわ」
 私は、おとうさんの目を見返して言いました。
「杏!」
 おかあさんは、すがるような目で私を見ています。私は、そっと、おかあさんの手を指先から外しました。
「本当にいいのか、杏? 入院生活を強いられることになる。薬もたくさん飲まされるし、検査もされる。そこまでして、少女病の治療に貢献してくれるのかい?」
「ええ、いいわ」
「もしかしたら死ぬかもしれない」
「構いやしないわ」
「そうか。協力ありがとう」
 おとうさんは、私に向かって優雅に一礼しました。
 リビングを後にする私の後を追ってきたのは、すすり泣きながら私の名前を呼ぶおかあさんの声でした。
 自室に入ってドアを閉め、バッグを放ってワンピースを脱ぎ捨てます。ベッドに勢いよく倒れ込むと、自分の匂いがして落ち着くのでした。
「死なないでほしいと、さっき言ったばかりじゃないか」
 唇は咎めるように言いました。
「しかたないわ。私、おかあさんよりもおとうさんの方が好きだもの」
 私は毛布を引き寄せて、身体に巻きつけました。
「だからって、どうして杏が実験体にならなくちゃいけないんだ」
「おかあさんと同じようなこと言わないでよ。私の友達が死ななくて済むならそれでいいのよ」
 私は寝返りを打って、唇から目を逸らしました。
「嘘をつくなんて、杏らしくない」
 唇がため息交じりに言いました。
「本当は友達のことなんてどうでもいいと思っているくせに」
「そんなこと思ってない!」
 私は毛布を頭の上まで引き上げました。
「いいや思ってるね」
 唇の声は厚い布地一枚を通して浸透するように、私の耳に入ってきます。
「杏、どうして引き受けた。入院したら、杏の身体は杏のものではなくなってしまうんだよ」
「それでもいいわ」
「なぜ」
「うるさいわね!」
 私は毛布を跳ね除けて起き上がりました。
「わからないの。この先のこと、将来のことがもうなにもわからないの。考えることをやめてしまいたいのよ!」
 唇は、居心地悪そうに漂っていましたが、私の目の前に来て言いました。
「正直私はね、杏の身体が弄り回されることが我慢ならないんだよ。小さな頃から見ていた私の杏。杏のおとうさんやおかあさんよりも、私はずっと長い時間杏と一緒にいた。大事な杏、誰にも傷つけさせない、誰にも穢させない。でも、杏の決めたことに私は逆らえない。杏が死ぬときは私も一緒だ」
 それを聞いて私は、目の奥が熱くなったのを感じました。頬を下に向けて滑り落ちてゆくのが涙だと気付いたのは、雫が膝の上に落ちた時でした。
「心強いわ」
作品名:唇と少女病 作家名:スカイグレイ