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Hallelujah

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―神の存在否定における一種の考察―

 まるで忘れられることを望むようにひっそりと建てられた、彼の場所に位置する朽ちた教会。深緑の蔦が張り巡らされた外壁は所々欠けて古めかしく、元の白を基調とした美しいレンガ造りの面影が微かに残るばかり。蔦のせいで真上に在る錆びた金の十字架が半分隠れてしまっている。
 森の中の、普段は誰も近づかないような教会を前にして、少女はゆっくりと瞬きをした。程よい風が少女の美しい黒髪と制服のスカートを揺らす。そのまま教会の扉に近づき、十字架の真下に位置する扉に白い手を掛け押すと、ぎい、と鈍い音がした。
「先生」
 奥に向かって、つややかな唇に音をのせて呼んでみる。扉の内側にしなやかな肢体を進み入れて、指先を扉に残しつつそろりと離した。こつりと踵を鳴らす。背中の先で扉が静かに閉まる。
 薄暗い教会の中、照明など無く、両側の内壁、天井に近いところに造られた硝子窓が唯一の光源で、そこから洩れる、柔らかな光が祝福するように、高い位置にある説教の台を照らしていた。木製の長椅子が縦に何列も並んで居るのを確認するように、右手の指先を椅子の背に触れながら、ほんの少し高めのヒールで床を鳴らす。
「先生」
 少女が、呼ぶ。最後の椅子に触れ、少女は教会の前方に立ち止まる。手の平をほんの少し返し、ゆっくりと身体の横に滑らす。愛らしい鳥の音と葉擦れの音とがただ外から聞こえるだけの静かな狭い空間に、左目を向けて、此処の現在の主である人を、探す。
「先生」
「…はい、いますよ」
 きい、と扉の開く音の後、返ってきた声の方に反応して前を振り向くと、説教台の右隅、教会の奥に続く扉から、白髪の青年が何かを持って出てきていた。綺麗に着こなしている黒の神父服が、その白髪と対比して美しい。首から下がっている十字架が、微かに揺れるのを見る。
 返事をした後、少女の久方振りの訪問に、おや、と声を上げながら驚きつつ、少女に笑みを浮かべた。
「こんにちは、二条さん」
「相変わらず胡散臭い笑顔だわ、先生」
 神父の反応に、少女は目を細めてしっとりと笑う。同時に、儚げな白い首が傾げられ、緑の黒髪が一束、さらりと落ちた。
 神父はそれにただ笑って応えた。そうして、両の手の、ティーセットをのせたトレイを少し持ち上げながら、
「ちょうどお茶が入りましたが、如何ですか」
「いただくわ」
 そうですか、と笑み、トレイを傍らに在った小さなテーブルの上に乗せた。細く骨ばった指がティーポットを扱う。少女はすぐ後ろの長椅子に腰を下ろした。
「久しぶりですね、二条さん」
 とぽとぽとカップに注がれる紅茶が香る。笑んでいる神父の顔にのる眼鏡の右レンズが白く曇るのを見ながら、少女はそれに応じる。
「ええ。一ヶ月振り」
「一ヶ月」
 神父が暖かなティーカップをソーサーに乗せ、少女に渡す。「わたしの居ない一ヶ月の間、何をしていたの、先生」と、受け取った少女の白い指が、カップの取っ手に絡まった。少し持ち上げたカップを唇にそっとつけ、少女が紅茶を飲んでいる間に、神父が自分の分の紅茶をカップに注ぎ始める。
「特に何もありませんよ。変わり映えのしない日常です。貴方は」
 なに、と淡い桃色の唇からカップを離し、少女は神父の端正な顔を覗き込むようにする。神父の、光に透けて透明な、長いまつげが揺れている。カップをのせたソーサーを左手で持ちつつ、すぐ傍らの古ぼけたオルガンの椅子に座り右足を組んだ。
「貴女も、いつもと変わらない日々でしたか」
「そうね。つまらない療養生活だったわ」
 そうですか、紅茶は如何ですか、と神父が少女の方を向く。淡い茶の色が優しい。美味しいけれど、と不本意そうに呟く少女に、神父は満足そうに茶色の目を細める。
 赤い、透明な液体を見つめながら、少女がそっと瞬きを繰り返す。
「顔色が良いですね」
 そう言う神父を横目で見つつ、少女は紅茶を飲む。唇を離した縁から、液体が一粒零れた。
「先生は、反対に良くないわね」
 何故、と問う少女がほんの少し、嬉しそうに唇を引く。
「一ヶ月は、長かった? 先生」
 神父はうっすらと微笑んで、素直に肯く。
「信じられないくらい、長く感じました」
「それは何故?」
「貴女のその、青すぎる右目に、会えなかったからです」
 神父が優雅に紅茶を飲む。少女はその白く円やかな手で右目を覆った。
「この、右目」
 もう、本当に何も見えないのよ、と少女が言う。朽ちた教会はいつもと変わらず静かで、神父の入れた紅茶はいつもと変わらず美味しく、神父はいつもと変わらず笑みを絶やさない。
「先生も物好きね。こんな役立たずの、青いだけの右目がいい、なんて」
「美しいものは、そこに在るだけでひとつの奇跡です」
 少女がカップをテーブルに置き、立ち上がって神父のごく傍に寄る。
「先生、わたしの思っていること、わかる?」
 神父が少女を見上げる。
「喜んでいることはわかります」
「うん、それは当たりなんだけど」
 少女はそう言いながら、右手で神父の白髪にそろりと触れた。
「先生に、ふれたいと思ったの」
「もうさわっていますけど」
 困ったように苦笑しながらも、神父は少女の手を払いのけなかった。神父は少女の青い右の盲目をじっと見ながら、自分の髪に触れる心地良い、白い手、白すぎる滑らかな指の感触を楽しむ。さわさわと髪を梳いている感覚に従う。しばし沈黙が下りて、鳥の音が静かに響いた。
「貴女には、もう、会えないのかと思いました。捨てられたのかと」
 晴れやかな目の、表情とは裏腹なことを神父が告げる。けれど、それが本心であると、少女は気づいている。小指が神父の耳を掠めた。
「神に感謝します」
「よく言うわ。祈る神もいないくせに」
 指に髪を絡めながら、残念そうに囁く少女に、神父は、はい、と笑みを絶やさず答える。
「神父でありながら、無神論者のくせに」
「はい」
 少女は左手を取り出し、右手を名残惜しげに髪からつと離したあと、首に両腕を回した。今日こそ言わせて貰うけれど、との前置きに、神父は「はい」と嬉しげにするばかり。
「いつも似非くさい笑みを顔に貼り付けて」
「はい」
「人が寄って来るのが気に入らない」
「はい」
「それなのに人間が嫌いで」
「はい」
「すぐ卑屈な思考に走る」
「はい」
「そのくせ欲張りで」
「はい」
「頑固で」
「はい」
「嘘吐き」
「はい」
「どうしてどうして寂しがりで」
 足を崩しながらまだ充分あたたかいカップを後ろのオルガンにのせて、自由となった両手を少女の細い腰に回し自分の方に引き寄せた神父に、少女は。
「本当、どうしようも無い人ね、先生」
 平静を装いつつも、密かに戸惑う。今度は両の指を髪の中に入れて長い前髪を上げれば、露になった美しい顔の、間近に迫る神父の瞳に心臓が小さく乱れる。
「先生、貴方にこそ、神は必要なんだわ」
「神など、居ないのですよ」
 さっき神に感謝すると言ったその口で。
「矛盾してる。その口、塞いでやりたい」
「それは少し困るのですが」
 そんなことを言いながら、大して困るふうもなく、相変わらず笑んだまま。
「信仰に神が内包されているのであって、神そのものは無、なのですよ。それに」
作品名:Hallelujah 作家名:藤中ふみ