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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「ぶどう園のある街」 第一話

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第一話

学校の授業が終わって今日はアルバイトもなかったので早く家に帰って夕飯の手伝いをしようと美也子は電車に乗った。
自宅からJRと私鉄線を乗り継いで1時間ほどの距離に美也子が通う大学があった。新しく開設された児童心理学部が希望で通学に時間がかかることを我慢して受験した。平成元年、もうすぐ19歳の青春真っ只中の美也子を絶望が襲った・・・

「ただいま!」
お帰り!といつものように母親の返事がなかった。
「お母さん!いないの?」
玄関を上がって台所にも姿が見えない。リビングにもいない。美也子は探した。

「お母さん!お母さん!どうしたの!」
トイレに続く廊下の床に母親の静江は倒れていた。

すぐに救急車がやってきて病院に搬送された。診察の結果、脳梗塞と医師から伝えられた。
父親と一緒に医師からの説明を聞いて二人とも愕然としていた。
「しばらくは入院して頂いて治療に専念していただきますが、元のように回復する事は望めないでしょう。後はご自宅でリハビリをなさってください」
冷たく取れるような医師の言葉に母親の世話を自分がしなければという強い思いが美也子に湧き出ていた。
父親と自宅に帰りこれからのことを相談した。病院から帰ってきたら世話を自分がすると美也子は決めていた。大学も入学したばかりだが辞めることにすると父親に話した。

「お父さんが世話しなければいけないことなんだろうけど・・・仕事をやめたら生活が出来なくなってしまうからな。悪いとは思うけどお前が頑張ってくれるんだったら本当に嬉しいよ」
「いいのよ、自分の母親なのよ・・・当たり前のこと」
そう返事したが、本当のところどうしたらいいのか、何をしたらいいのか全く解らない状態であった。翌日学校に行って福祉関係の本を読み専門の教授に相談を持ちかけた。1人で悩まずに介護関係の施設に相談に行くのがいいと教えられた。美也子はその通りにした。

季節が夏になって母親の静江は退院してきた。自宅に備えられた医療用ベッドに寝かせて上半身だけを起こして意識のまだはっきりしない無表情な顔に向って声を掛けた。

「お母さん、お帰り。長かったけどやっと自分の場所に帰って来れたね。今日から私がずっと傍にいるから安心してね」
その声にわずかな反応を見せるが「ありがとう」とか「世話になるね」といった返事はなかった。病院で聞いてきたとおりに食事を作らなければならないことは慣れないこともあって大変であった。父親の食事も作らないといけなかったから夕食が済むと毎日へとへとになっていた。
深夜に父が寝る時間まで世話を交代してもらって美也子は仮眠した。化粧もせず、髪も洗ったまま、服装も構わないでいた。いつしか友達も気を使ってか遊びに来なくなり、電話も掛かってこなくなり、もちろん彼が出来るなどと言う事は無縁の世界に入り込んでいた。

親戚は叔父や伯母たちが初めは顔を出してくれていたが、殆ど会話出来ない状態の母を見てだんだん寄り付かなくなってしまった。
一年が過ぎ二年が過ぎても大きな変化は見られなかった。幸い病気にかかったり、ものが食べれなくなったりする事がなかったから健康状態はそれなりに保っていた。往診に来る医師からも、状態はいいですよ、といつも言われていた。
入浴や半日介護のサービスを依頼して美也子は買い物に出かけられるようになっていた。父親がくれる小遣いは介護の分も含まれているのだろう、十分に洋服やアクセサリーを買える金額ではあったが、今は興味すらなくしていた。母との思い出の品物や写真を見ながらボーっとしている時間が唯一気持ちを休める手段になっていた。

美也子の住んでいるところは少し高台になっていて回りにはぶどう園がたくさんあった。この時期たくさんのぶどうが実をつけ始めて、ぶどう狩りに訪れる家族連れの声が休日には良く聞こえる。毎年の事だが元気な頃の専業主婦をしていた母は収穫の手伝いを頼まれて土日祝日には農家の前でお客さんに秤でぶどうを売る手伝いをしていた。そんな事が記憶に残っているのだろうか、時折ぶどう園から聞こえる声に反応を見せる事もあった。

「お母さん、今日はたくさんの家族連れがぶどう狩りに来ているよ。みんな楽しそう・・・採れたては本当に甘くて美味しいものね。後で買ってくるから少し一緒に食べましょうね」
母がうなずいてくれたように美也子は感じた。
「お母さん!・・・解ったの?」
わずかだが顔を縦に動かそうとしているようだった。

あふれ出る涙が止まらない・・・母はきっと自分の言う事を解っていたのに違いない。はっきりとそう感じられる事が嬉しかった。

「ねえ、お父さん、お母さんね私達の話している事がわかっていたのよ!今日そのことに気づかされた」
「本当か!勘違いじゃないのか?」
「ううん、私の声掛けに反応したんだもの。絶対に間違いないって・・・」
「そうか、俺ももっと話しかけてみるよ今日から」
「そうするといいわ。お母さん喜ぶよ・・・もう直ぐね、二年間なんてあっという間に感じられる。諦めないで来て良かった・・・」

美也子は父親の顔を見てそう呟いた。