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悪魔

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『悪魔』

 ミナは誰よりも純粋に、そして情熱的に音楽家として成功することを夢見ていた。けれど、彼女のように夢を見て、東京に集まる若者は掃いて捨てるほどいた。そんな中から這い上がれるほどの才能は持ち合わせていなかった。オーディションを受けては不合格になる繰り返しだった。不合格の知らせを受ける度にミナの心は傷ついた。
広い東京でミナは友人もいなくて孤独だった。孤独を癒すために、心のどこかで男の優しさを求めた。そんなときにサトルに出会った。それは三年前の夏、ミナが二十四歳のときである。
サトルはジゴロで演じることに長けていた。そのうえ、サトルは誰も文句をつけられないほど美しさかった。女が求める白馬のナイトを演じることなど造作もないことであった。ミナと出会ったときから、彼女の求めていた男を演じた。
美しい顔で愛を囁くミナはサトルを天使だと勘違いした。だが、美しい仮面の下には悪魔の顔が棲んでいるとは知らずに、あっという間に心を鷲掴みされてしまった。

サトルがミナと出会ったときには、既に愛人が四人いた。彼女たちは魔法をかけられたかのように、彼にかしずき、みついだ。多くは体を売って稼いだ。
ミナも他の女たちと同じように離れられなくなったとき、サトルはまるで悪魔のような本性を現した。暴力を振るったが、無闇に振るうといったものではない。自分の意思が通らなくなったときだけ振るうのだ。ただ、それは手加減というものを知らない力だった。優しさと暴力、それを見事に配分して、ミナを操った。ミナは音楽への夢を諦めさせられ、奴隷のように働かせられた。

サトルの作り上げた悪の王国は予期せぬ形で崩壊した。ミナばかりを可愛がっていると勘違いした女が、ミナを焼き殺そうとして、彼女のアパートに火を付けたのである。しかし、ミナはいなかった。逆に、その部屋にいたのはサトルだった。サトルは一命をとりとめたものの酷い火傷を顔に覆った。
サトルが入院している時に、女達はサトルのもとを去った。ミナも実家に戻った。サトルと出会って一年後の春のことである。

ミナの実家は伊豆の海辺であり、家から海が見える。
家に戻ってからというもの、ミナはほとんどを家でぼんやりと過ごしていた。
 
季節は春から夏へ、そしてその夏も終わり、秋になろうとしていた。
風が少し涼やかになっていった。そんなある日の午後、本を読みかけたまま、いつしかうたた寝をしてしまった。何度かチャイムがなった。ミナは目覚めた。
「誰?」とミナがドアを開けた。相手の顔を見て、ミナは言葉を失った。
「幽霊に会ったような顔をしているじゃないか」
男はにやりと笑った。まるで、蛇が笑ったような、何かしら相手に恐怖を与えるような笑い方である。そうでなくとも、醜い火傷の跡だけで、人を恐怖に到らしめるのに充分である。サトルだ。悪魔にふさわしい顔になって現れたのだ。
「どうした、ミナ、俺を忘れたのか?」
「帰ってよ……」とミナは震えた声で言った。
「つれないことを言うなよ」
「もう、あなたと何の関係もないのよ」
「関係ないか!」と男は大笑いした。狂ったような笑い方である。
「ちょっと上がらして貰うよ、君に見せたいものがある」
ミナはどうすることができなかった。昔の悪夢のような現実を身体が覚えていたのである。サトルの前では、体は奴隷だった!
「ミナ、どうした、こっちに来いよ」
ミナは声に導かれるまま従った。そうだ、誰が言っていた、「人生は単なる繰り返しだ」と。人の運命は予め定められていて、循環の輪から抜け出すことができないのだ。
居間では、男がビデオを映していた。おぞましいようなビデオである。裸になった男と女がまさに愛し合っている場面が映し出されている。
「どうだい、思い出したか?」
ミナは眩暈がして倒れた。

「ミナ、ミナ……」という声で現実に呼び出された。悲鳴を上げた。
「どうしたの? ミナ」
その声の主をじっくりと見た。ミナの母親である。
「誰かいる?」とミナが尋ねると、母親は首をふった。
「誰もいない」となおも聞くと、
今度は母親が「誰か来たの?」
「いいえ、そうじゃないけど……」
「変よ」
「確かに、どうかしている」とミナは平静を装った。

サトルの出現によって、ミナの恐怖の日々が始まった。サトルの持つビデオで、ミナを脅してきた。ミナはサトルの要求を拒むことができなかった。拒めば、そのビデオを家族や周りの人間に見せるといったである。サトルはミナにその肉体と金を要求した。一度きりという約束が、二度になり、二度が三度になった。サトルにとって約束など何の意味もなかった。
「お金はもう、充分、渡したでしょう。もう、苦しめないで」とミナは哀願した。
「苦しめる? 俺はそんな悪党じゃない。一緒に楽しもうと言っているんだ。どうして眼をそむける。この顔のせいか? ふん、さあ、前のように愛してくれ。……、ミナ、君の苦しんでいる横顔は実に美しい。そうだ、女は苦しみと喜びを同時に感じる動物だ。そのときが最も恍惚としていて輝いている」
ミナはサトルの手を逃れるためのあれこれと思案した。警察に通報する。家族に全てを話す。遠くに逃げる。どれも完璧ではない。完璧でなければ、サトルは倍にして仕返しをする。ふと、「サトルが消えればいい」と考えた。では、どうやって消えてもらうか。どんなに頼んでも無理だろう。すると、サトルが死ねばいいと思った。死ねば何もなかったように暮らせる。だが、そんなに都合よく死ぬか。あるいは誰かが殺してくれるか。だが、誰が、あの悪魔のような人間を殺せるのか……ミナは壁に突き当たってしまった。

冬が来た。
その日はいつもより寒かった。家にはミナしかいなかった。ピアノを弾いていた。既に日は暮れ薄暗くなっていた。もっともその日は降りやまぬ雪のせいで昼間から暗かったが。
 ふとピアノを弾く手を休めると、
「どうして止める?」と背後から声がした。
 ミナが振り向くと、窓を背にしてサトルがたっていた。サトルは笑っていた。雪はいつしか止んでいる。月明かりがサトルの影を床に長く引いていた。
「君の音楽はすばらしい。まるで天使の奏でる音楽のようだ」
「もう苦しめないでよ」と泣き叫んだ。
 サトルは近づきながら人指し指を振った。
「つまらないことを言ってはいけない。さあ、続けたまえ」
サトルの言葉に操られかのように、ミナはまた弾き始めた。
「いい。でも、もっと欲望がたぎるような音楽がいい。……ミナ、お前は俺が消えればいいと思っているだろう」
ミナは突然指を休めた。
「驚くことはない。お前の心など簡単に読める。さしずめ俺を悪魔とでも思っているだろう。お前は小さい頃、よく教会に通っていたそうだな。聖書に俺のような悪魔が出てきただろう。さあ、続けたまえ。この悪魔さえ魅了するような音楽を聴かせてくれ!」
 それは低くて地を這うような言葉だった。
「君の望みをかなえる方法を教えてやろうか」
サトルは笑った。なんとも薄気味悪い笑い声だった。
「簡単なことだ。この俺を殺せばいい」
ミナは震え、顔を伏せていた。
作品名:悪魔 作家名:楡井英夫