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Twinkle Tremble Tinseltown 4

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from dusk




 その見かけに違わず、フロリーはどうにもがさつな性格だった。あるときスモークサーモンのマリネを作っている最中、切れ味の悪い包丁に襲い掛かられ人差し指の皮は一刀両断。指を咥えて甘えた唸り声を上げれば、だらしなくソファに身を預けていたスリムは一瞬だがアメフトの中継から意識をそらした。
「いやんなる!」
 第二関節から溢れる血が、唾液に混じって嘆きと共に口から零れそうになる。その様をじっと、あの新緑色の瞳で見つめられると、それだけでフロリーは二の腕の産毛がちりちりと焦げるのを感じた。
 だが官能も一瞬だけ。すぐさまテレビに向き直ったスリムは、夕飯を待ちきれず開けていたバドワイザーの缶を取り上げた。中の液体からすっかり気が抜けていると知り、ふんと一つ鼻を鳴らす。
「あの赤んぼ殺しに診てもらえよ」
 すげない言葉に返す嫌味も見つけられず、既に血の止まっている指をしゃぶりながらキッチンに戻るのがお決まりのパターン。自業自得だとは分かっているのだが、彼女はそれでもあからさまに拗ねた顔で唇を尖らせるのだった。


 スリムと呼ばれる男にフロリーが出会ったのは数年前のこと。悪名高い『ナイジェル・ランチ』のちょうどライトが当たらない位置に陣取っていた彼へ、ブラジャーを投げつけたのがその始まり。特に狙っていたわけではない。ただ、少し悔しかったのは確かだった。こんなにも豊満な肉体が眼の前でくねっているのに、見向きもせずバーボンを煽っていられるなんて。ホモか不感症か、それとも他のことに集中しているか。飛び込んできた黒い布切れを見下ろす目つきから、第三候補だとすぐに気がついた。途切れた集中力を繋ぎなおしながら持ち上げられた顔を見たとき、フロリーは危うくポールに擦り付ける腰の動きを止めてしまいそうになった。獲物を狙う獣、で表現してしまうことができたならどれほど楽だっただろう。スリムはぎらつく目をじっと舞台に注ぎ、それからにやりと笑みを浮かべた。閃いた光の得体のなさ、その形に変化した理由がさっぱり読み取れない唇の歪み。自分を見て笑っているのではないと、瞬時に気付いた。逃げたほうがいいのかもしれないとも。それなのに彼女はその夜自らのベッドに彼を招き入れたし、気付けば部屋に来ることを許している。


 確かに、ボーイフレンドとしてキープしておく分には悪い男ではない。品はないものの冗談は言えるし、世界で一番おいしいフレンチトーストを作ることができる。気分次第では職場で絡む酔っ払いを殴ってくれもした。退役後も頭がジャーヘッドなままの男に加減や良識なんて言葉は最初から求めていないので気にならない。そもそも彼に増して奪ったり傷つけたりすることしか知らない男など世の中に山といるのだ。またこれは一番重要なことだが、フロリーは少々手荒く扱われた方が燃える性質であると、自らの性向を正確に把握していたのである。



 今日も今日とて相手にパンティを履く暇すら与えず、スリムは自らが乱暴に叩いたドアから反響が返ってこないうちにドアを開く。何とか布を引き上げるところまでは成功したが違和感は拭えない。全てを無視して、フロリーは逞しい身体に飛び込んでいた。梵字のタトゥが刻まれた太い腕は、弾む肉体を簡単に受け止める。パーカーに包まれた上半身が僅かに逸らされた瞬間、ばりばりと小さな音が二人の間に滑り込む。はっとして、足元に眼をやった。ワークブーツが、玄関先に飾ってあった松ぼっくりを踏み潰している。
「あーあ。もう」
「ああ?」
 身体を離し、今日初めてまともに見た顔には、興奮の欠片も見当たらなかった。ぽんと脛を蹴飛ばされて、ようやく障害物に気付いたらしい。持ち上げられた靴底の下からすばやく攫った木の実を、フロリーは男の鼻先にぶら下げて見せた。白い絵の具が塗られたそれは見事にひしゃげ、かさが好き勝手な方向に広がっている。
「何だそりゃ」
「もうすぐクリスマスでしょ。オーナメント」
「今何月だと思ってんだ。この前ハロウィンだって騒いでたばかりだろ」
「とっくに終わったわよ。もう世界はジングルベル」
 ふんふんと鼻歌で奏でて見せれば、それを掻き消すように噴出された鼻息。女を小馬鹿にしてみせるとき、彼の丸い顔は猫のようくしゃっと真ん中に寄って、不思議と愛嬌があった。
「どうして女ってのはそう、お祭り騒ぎが好きなんだか」
「せっかく可愛くできたのに」
言っては見るものの、無念さは全くといって良いほど感じない。部屋の外に向かって投げつければ、早すぎた聖夜の余興は小便臭い階段の上を数段飛ばしで跳ね、見えなくなった。
「クリスマスツリー買ってよ」
「どんなの」
 抱えていた袋を押し付け、部屋の主よりも先にソファへ腰を落とす。彼のアパートを訪れたことはないが、家主がケーブルテレビに加入していないことは、ここに来るたびテレビのチャンネルを回したがることからすぐに察せた。キッチンに引っ込み、フロリーは熱狂的な解説者にも負けない声を張り上げた。
「白いプラスチックの奴で、紫のライトがついてるの」
「ホモくせえな」
「見たことないからよ」
 袋の中から出てきたシリアルは先日買ってきてくれと頼んだもの。真新しいオートブランの香ばしい匂いを嗅いで見たくなったが、我慢して封を切らないまま棚に押し込む。
「クリスタが、って友だちなんだけど。去年彼氏に買ってもらったの。すごくお洒落なんだから」
「へえ」
クラッカーとクアーズの缶を持っていこうと冷蔵庫のドアを閉めたところで気付き、慌ててバドワイザーと取り替える。幸いスリムの意識は駆け出したクォーターバックに向いていた。
「買ってくれる?」
「ああ」
 生返事だったが、覚えてさえいれば彼が買って来てくれることをフロリーは知っていた。一体何の仕事をしているかは定かでなかったが、ともかくスリムは最低限の金を持っている。少なくとも女から生活費を毟るような真似をしでかさない程度には。これは友好な関係を築くうえで非常に重要なことだった。殴られたり怒鳴られたりは我慢できても、金を取られては生活ができない。職場から前借ができなくなった途端捨てられたのならまだ良いほうで、ひどいときは部屋の前で待ち伏せされ、消費者金融へ引っ立てていかれたことも幾度かある。財産に手をつけないということは、自由を保障するということだ。スリムは彼女を縛ろうとしなかった。他の男の前で乳房を晒そうが、訳の分からないものを欲しがろうが、馬鹿にすれども否定はしない。今までの男に比べれば、神か仏かとは言わないまでも、非常に良い待遇であることは間違いなかった。


 彼の隣に腰掛け、持ち込んだクラッカーを齧る。耳元で響く、プルタブを押しのけたガスの音が心地よい。はっきり言ってアメフトになど興味はなかったし、スリムは説明の一つもしてくれなかったが、この時間をフロリーはとても大切にしていた。セックスは楽しい。だがこうして何をするでもなく二人でいるときに感じるこそばゆさは、ある意味オーガズムを凌駕していた。自分の身体が彼一人だけのものになったような気がする。