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充溢 第一部 第二十九話

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第29話・1/2


 ネリッサは屋敷に戻ると皆にもみくちゃにされた。
 私はそう言うのが好きでないので遠くから眺めた。

 安心が流れ込んでくると、別の不安が隆起してくる。悪い癖だ。
 少し前にマクシミリアン経由で聞かされた、論文に載った薬の副作用についてだ。
 滋養強壮と長寿に釣られて、馬鹿な小金持ちが後先考えずに手を付けたらしい。マウスで上手く行った事が、人間でも同じようになるだろうと臆断する愚かさの結果、幾人かの人が犠牲になったそうだ。これでよいデータが取れるのなら……と不謹慎な気持ちに囚われる。
 それについての研究に取りかかるつもりはなかった。恐らく、自分の見つけた拮抗成分でこれは消えるだろうけれど。


 彼女がミランダに酷い事をされている。遠巻きに見ているだけでも疲れが出てきてしまった。奥の部屋に引っ込む。
「約束通り、昔話をしてやろう」
 ポーシャが私の後を付けてきて、そっと囁くので、萌葱色の部屋に二人逃れる。

「儂は遠い昔錬金術師だった――ある日突然、そのレシピが頭の中に入っていたんだよ。
 1+1=2をいつの間にか覚えていたかのように、それは昔から頭にあるようだった――それが何の薬であるかもな」
 いきなり嘘っぽい話で困った。
 そんなことあるだろうか? 酷いので、こちらも馬鹿にした調子で答えると、そのうち体験するかも知れないぞと煽られた。
 そんな話よりも、薬の話に興味が向く。首を長くして待っているとだけ答えて先を聞く。やっぱり自分は錬金術師だ。
 魔女は、その薬をすぐに試したという。やはり、信じられない話だ。まともな錬金術師だったら、作り出した薬品を自分で飲んでみるなんて事はしない。それで命を失った者、数知れずなのだから。
「だから言っただろ。全てが確信の中にあったんだよ」
 彼女は、長生きする事になったらどうなるかも知っていた。だから、暇を持てあました挙げ句、ファウストを唆してこの街を作らせたという。
「じゃぁ、ポーシャってこの街より古いんだ」
 予防線を引いて、笑い飛ばしてやる。
「レディに古いとか言うな――誰に似てきたって言うんだ……」
 その薬を、ファウストにも分けてあげたのかと言うと、それは否定された。
 何だろう。この違和感。作られた話と現実にあった話とが、もう一度同じ乳鉢に放り込まれて、すりつぶされているようだ。
「伝説だよ――神様がどうのとか、英雄がどうのって言うのと同じだよ」
 ファウストの存在とて伝説だ。こんなお伽噺、作り話だと分かっている。それを信じてしまっていたのは、彼女の存在にある。それにしても、嘘くさい真実と、それらしい伝説のギャップが激しすぎやしないか。
「前にも言っただろ。自分の事だけは不思議じゃないとな」
 『ふぅん』としか反応できなかった。今まで様々な事実を小出しにしてきたのだから、すぐには信用できない。
 それ以上に彼女の言葉を信じられないのは、本当に錬金術師なら、暗号ノートを見て、その個性に気付いていた筈だ。知っていて隠していたのか、単純に知らなかったのか――この際どうでも良いのだけれど。
「反応が薄いな」
「一応信じる振りをしておきます」
「そうか、それは有難い」
 少しだけ怒った顔を見せておく。満足はしていませんよと。
 言葉が途切れ、二人は頬を弛めたまま微笑を続ける。


「今回は珍しいぐらい長居しているな……」
 ポーシャが視線を送ってくる。
 彼女の長居は、この街にと言う意味だろう。そして、その理由をわざわざ聞くのだ。ずるい。
「私ですか?」
 反抗的に聞き返してみる。
「お前の母親を救ってやれなかったからな。
 好きなだけ付き合ってやるよ」
 そんな大風呂敷広げて、大丈夫だろうか?
「構うものか」
 いい顔をしたポーシャがそこにいる。
作品名:充溢 第一部 第二十九話 作家名: