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充溢 第一部 第二十八話

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第28話・1/1


 学園地下の実験室。逃げ場もないし、仕掛けも出来ない。学長がまだ生きている以上、奴は何処にでも逃げられる。
 階段は薄暗く、白い壁は、灰色のグラデーションのようだ。階段を下りきった正面の扉。ノブに掛ける手に汗が見える。
 しくじったら、自分は死なないにしても、ネリッサは大丈夫だろうか? 自分は単に真実を知りたいが為に、こんな危険を冒しているのだ。


 躊躇は後退だ。後退は死だ。思い切りよく扉を開ける。
「ネリッサを返してもらおうか、マクシミリアン」
「望みのものを戴けるのならね」
 男は、ラッテンファンガー同様の自信を持っていた。しかし、こちらは前と違って明らかに力を感じる。以前のようなおどおどした様子は微塵もなく、見違えるほどの貫禄を備えていた。
 隣ではネリッサが高椅子に座らされている。チューブが刺さっていて、準備万端の有様だった。
「スィーナーの研究なら、好きなようにくれてやる。
 それにしてもお前は何者だ?」
 E委員会とでも――まるで、本当はそんな名前ではないような言い方で紛らわそうとする。Eとは何だ。委員会と言うからには、上部組織があるのか?
 この問いを待っていたかのように答える。人間それぞれには、必ず上部構造を持っている。自分達はそれに気付いているのだと。
 漠然としている。それぞれの上部構造と、委員会との関連を証言していない。うなぎを掴むのに、力を込めて握るようなものだと知りつつ、言葉が強まって行く。
「信じて戴かなくても結構です」
 信じるか信じないかの問題ではない――学長も似たような事を証言するばかりで、何も言わない。言わないのではなくて、知らないのだろうか。知らないのなら、何故、目的を持てるのだろう。
「目的は時間です。人間には時間が必要です。問題は、それがまちまちなのだと言う事です」
 時間の問題だと? 時間が解決してくれることは、物質が朽ちて風化して希釈されるぐらいだ。追撃すると、『開いた系ではそうならない』と答える。
 確かに、彼等はその時間を待ったお陰で、この薬を手に入れることが出来たのだ。それこそ、百年前の不治の病も、今や薬一つで治るのと同じく。
 儂は、それにかこつけて、『長年の放埒な統治のお陰で、大きな負担が未来の子供達にのし掛かる国もある』と言ってやった。『長年ため込まれた毒物は、いつか牙を剥き、大きな宝物庫は、後世扉を開くと空になっている』とも。
「魔女は悲観的ですね」
 男は笑う。爽やかなほどに。
 時間の経過は平等に訪れ、結果は平等ではない。何もしないで手に入れたものには、何かしか抵抗がある。神がそれを上手い具合に峻別してくれるなどとは信じないが――ああ、これも、人の幸福を妬む心か――男がそれを見抜く。
「この世代が苦しんでいるのだから、未来の人が楽な思いをするのが許せないと言う思いでしょうね」
 だから、自分が上手く"してやった"ことは正しいと言いたいのか。
 人の成果にただ乗りするのと、過去の人間の築いた礎の上に立ち、空をめがけて手を伸ばすのは違う事だ。
「その通り、その人の為にこそ、時間は与えられなければならない」
 では、その人とは誰だ。誘拐された子供達がそうだと言うのか。それをどうやって区別する。
 男は、その質問には答えられないという。何故なら、自分はそれを選ぶ人ではないから。
「そろそろ、よろしいでしょうか? ここまで譲歩しているし、ここまで色々と疑問にお答えしているのですよ」
「アンフェアな譲歩だな」
 誘拐犯に、そんなことを言っても無駄か。何をムキになっているのだ。自分は。
「フェアプレイの精神は、騙し合いが蔓延るから産まれたのです。ルールはそれが守れないから産まれる。
 臆病者の国には勇気を説く思想が生まれ、非道な国には道徳を説く思想が尊ばれます。
 世の中は平等ではない。しかし、よほど均質な世界の方が暮らしにくいでしょうね」
 肯定だ。しかし、全ての不平等を正当化する事にはならない。他の人間が愚かだからと言って、自分も愚かでよい理由にはならない筈だ。
 『人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう』とは、誰の言葉だろう。
「愚かさをどうやって定義できます?」
 上昇の意思だ。愚かとは、知識や頭脳がどの位置にあるのかではなく、何処へ向かおうとしているかを指し示す言葉だ。全ては、今より未来を生き、より大きく、より強く生きることだ。
「残念ながら、我々は平衡論的に考えますので」
 時間論と平衡論にすり替えるのはどういう事だろう。卵の白身を固めるか、黄身を固めるのか、そんな話で人の愚かさを巻き取れるというのだろうか? 上手い比喩ではあるけれど、納得は出来ない。
 平衡論――彼らは、"何時か"の話をしている。では、それは"何時"だ?
「それは、私に与えられた時間の中でお答えできるかどうか……」

 足を踏み入れる度に、ぬかるみに沈んでいくようだ。仕方がない。彼らの譲歩を信じることにする。レポートと薬を渡す。
「薬が効き出すのは?」
「半時間。n数は1だがな」
 マクシミリアンは、レポートを何枚かめくって、目的のページを見つけると、薬を天秤で測り取り、メスフラスコに放り込んだ。そこに蒸留水を注ぎこれを軽く振ってなじませた。
「お前も研究者なのか?」
「彼女ほどではありません。前任者がその母親に勝てなかったようにね」
 フラスコに水を足し、洗瓶でメニスカスに水面を合わせると栓を閉めた。
「何も殺す必要はなかっただろう」
「私の仕事ではありませんので」
 伏し目でフラスコから目を逸らさず、穏やかに受け答えする。
 栓を掌に押し当て、底を上にして斜めに構え、反対側の手でこれを振る。
「彼等がどのような意図でそうしているかは、私にも分かりません。私は私の作戦に都合のよいように、彼等の作戦を利用しただけです」

 希釈された薬は、管を通じてネリッサに注がれた――本物と確認できるまで三十分。男はレポートを黙って読んでいる。
 願っても、出逢うことはもうないだろう。聞き出せることは、なるべく聞き出さなくては。再び焦る。
 男は、自分の事以外については、誠実だった。
 一度目覚めたネリッサは、彼等にとっては貴重なサンプルだと言う。
 コーディリアの工作により、彼女は失敗作とされていたので、彼等の記録に残らなかった。しかし、この街から撤退したとは言え、彼等の監視の目は節穴ではなかった。二年前、遂にネリッサは彼等の目にとまることになった。
「君たちは、どうやって連携しているのかね」
 彼等はお互いに通じているにしては、不自然な動きをするし、無関係であるには、上手く繋がっているように見える。
「同じぜんまい仕掛けが二つあれば、同じ入力で同じ出力が得られるでしょう。でも、常に同じ故障を起こすとは限りません。そんなものです」
 自由にする事を故障に例えるとは、笑える例えだ。
「近い意味ですけどね。
 それとも、貴方ほどの人が、自由意思について軽口を叩こうとでも言うのですか?」
 意味の近さには同意だが、ラッテンファンガーと同じ話をする事になりそうだから、それ以上は踏み込まなかった。

作品名:充溢 第一部 第二十八話 作家名: