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充溢 第一部 第十二話

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第12話・6/7


「スィーナー、どうしたんだ」
 アントーニオが叱りつける。
「呼び捨てはやめて」
 短く切り捨てる。
「ああ、悪かった。それで、何が悪かったんだ?」
「あのポーシャが帰りたがるのよ? 分かる?」
 無理解な男が情けない。
「いつだったかの夕食の時も、似たようなものだったじゃないか?」
「全然違うでしょ。分からないの?」
 まくし立ててみせても、男はきょとんとしている。

 言い合っていると、背後からポーシャがやってきた。
「スィーナー、葉っぱは捨てていくがいいな?」
 選択させるつもりなどないくせに……「ええ、結構ですわ」
 ネリッサが出てくる。もはや先ほどまでの顔ではない。老人も付いてきた。
「鐘楼を離れたら、ネリッサは一人屋敷に急ぐ。私たち三人は、後を追いかけるぞ」
 "私"付きでポーシャは囁きかける――理由など今は聞くべきでないな。
 アントーニオを急かしてその場を離れる。遠くまで見送る老人を見て、泣き出したい気持ちになる。
 ポーシャ? 貴方も泣いているの?


 夫婦の姿が見えなくなった頃、ポーシャが叫ぶ。
「ネリッサ、急げ!」
 斥候を思わせるギャロップで掛けていく。遠く消えゆくシルエットは騎士のようだ。
 三人は徒歩で下りていく。閉門の心配はないが、日は傾きつつあった。


 丘を吹く風に、黒いものが混じる。うねる草原は迫り来る嵐の匂いがした。
 駱駝色の道の起伏は、遠く、永遠と続くように見え、鐘楼の門からこそこそと逃げ出す自分は、侏儒になってしまったかのように情けなくなった。
「さて、教えて貰いましょうか?」
「まだだ、屋敷で話をしよう」
 沈黙の道に戻る。ポーシャは見た目以上に健脚だ。

 重苦しいので、もう一度問いかける。
「急ぐんでしょ?」
「お前達には何もできまい。私一人でもどうにもならない」
 爆発しそうな感情を押し止まらせているような目だ。
「だからって」
「もういい、少し黙ろうか」
 苦しい会話はそこで途切れた。自分もあまり話したくなくなった。聞けば恐ろしい事になりそうだ。
作品名:充溢 第一部 第十二話 作家名: