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茶房 クロッカス その4

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「私ね、この前再会した時にも言ったように、主人とは離婚した。だけど娘が十歳になる頃までは本当に幸せだったのよ。主人は優しくて家庭的で、私のことも娘のことも、とっても大切にしてくれたわ。じゃあなぜ離婚したんだ? って思ってるんでしょう? 私にも信じられないけど、人って変わるものなのね……」
「あれは娘が小学校三年生の時だったわ。その日帰って来た主人は何だかとても不機嫌で、一体どうしたんだろうと思ってたの。でも私は夕飯の支度やなんかで忙しかったから、そのことについては何も聞かなかったの。そして夜、一緒にベッドに横になってから、口を開いた彼が話してくれたのは、考えてもみないことだった」
「彼は社内でもとても優秀で、将来を目されてるような人だったの。言わば出世街道まっしぐら……みたいな人だったのよ。そんな彼が転落するなんて、誰も思ってもみなかったと思うわ。でも、実際に彼は降格になったの。それも、もう全く出世とは無縁の窓際の席へ……」
「一体何をやったんだ? って思うでしょ? 私もそう思って彼に聞いたわ」
 優子は、当時のことをゆっくりと、苦いものを噛みしめるように語っていった。

「あなた、どういうこと? あなたがそんな目に合うなんて、私には信じられない」
「僕だって、君以上に信じられないさ! だって僕は何もしてないんだぜ」
「えぇっ?! 何もしてないのにって……、どういうことよ」
「僕は罠に嵌められたんだよ。それも高々十八歳やそこらの小娘に……」
「……えぇっー?!」

「――少し前の、出勤途中の電車の中でのことなんだ。僕はいつものように車内で、その日の段取りなど考えながら立っていたんだ。すると、すぐそばにいた女の子がいきなり、キャーって悲鳴を上げた」
「僕はびっくりしてその子を見た。そしたら何と、その子は怒りに満ちた目で僕の方を見て睨んでるんだ。咄嗟に顔を左右に巡らせて、その子が睨んでる相手を探したよ。ところが、僕の目に映る人々はなぜか皆、僕を見てるんだ。『えっ? 何? なんで皆が僕を見てるんだ? それも、ケダモノでも見るような目で……』そう思ったよ」
「でもすぐに分かった。目の前には、僕を睨む悲鳴を上げた女の子。そして周囲の人の僕を見る目。これだけの状況が揃えば答えは一つしかないよな。僕だって馬鹿じゃないから、それくらいは分かるさ。けど僕は何もやってないんだぜ。そう気が付いてから焦ったよ。身体中から異様な汗が吹き出すような感じがしたよ」
「僕は当然否定したよ! その子に対してだけじゃない。周囲のみんなに向かって叫んだよ。『僕じゃありません!! 僕は何もしてない!』って……」
「でもいくら言っても、誰も信じてはくれなかった。そんなものなのかなぁ〜、世の中の人って……。僕は、絶望感というものをあの時ほど強く感じたことはないよ……」
「――その後はお決まりのコースさ。電車が止まって駅員がやってきて、僕とその子を駅舎に連れて行き、尋問のような取り調べを受けた。そしてそこでも同じだった。いくら言っても、僕の言うことは端っから誰も信じちゃくれない。なのに、その子の言ってることは疑おうともしない。その子には連れがいたんだが、その仲間たちは駅舎の外で、ことの成り行きを見守るようにして友達を待っていた」
「僕は仕事のことも気になっていたから、正当性を訴えるのを諦めて彼女に謝ることにした。そうしないと、いつまで経っても開放してもらえそうになかったから、仕方なかったんだ。でも、それが間違いだったことはあとで分ったよ」
「僕は、その場で指定された書面にサインして、もう二度としないと誓って許してもらえた。それですべては終わりだと思って安心してたんだ。ところが……」