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ドビュッシーの恋人 no.5

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日曜日のセーヌ川



先週の日曜日はクリスティーヌとルーヴル美術館に行った。もちろん、彼女に似ている絵を探しに行くために。
けれどそれらしい絵は見つからなかったし、日曜日のルーヴル美術館は混雑していて、ゆっくり見れる雰囲気ではなかった。二万六千点以上あると言われる展示品の中から、たった一つの絵を見つけ出すのは至難の業だ。
ただ、それが口実に過ぎないことも、ミランはわかっている。今となってはこの絵画探しが、クリスティーヌに会う理由づけになっているのだ。

すでに二人は、毎週日曜日に会う関係にまでなっていた。
美術館に絵を探しに行くこともあれば、クリスティーヌの好きなオーケストラを鑑賞しに行くこともある。芸術性に満ちている休日を、二人はのんびりと過ごした。それはとても心地よくて、如何にもパリらしい華やかな時間だった。

「今日はオルセー美術館に行ってみる?」

クリスティーヌの提案で、今週も美術館へ行った。
もう何度も、二人で足しげく美術館に通い詰めたが、結局目的の絵は見つからない。

(僕の思い違いだったのだろうか)

さすがにもう、ミランも自信をなくしていた。
そもそも彼女に似た絵を見たという話から、自分でもどうかしているとミランは思う。
もしかしたら、その記憶はミランが創り上げた幻だったのかもしれない。それくらいに彼はクリスティーヌのことが好きになっていたのだろう。
彼女に恋をしてからの半年間は、本当にあっという間で。こんなにも人を好きになるなんて、ミラン自身も信じられなかった。

美術館を出て、カフェで軽く食事をした後、セーヌ川沿いの歩道を二人で歩いた。
観光客を乗せたクルーズ船から、誰かが手を振っている。クリスティーヌはその船に手を振り返すのが好きだ。名前も知らない異国の誰かと微笑みあえる瞬間だと思うから。
穏やかで優しい日曜日の時間が、セーヌ川とともに流れていた。両岸の木が揺れて、木漏れ日の光が水面に反射している。

「あの、ね」

不意に隣を歩くクリスティーヌが、ぽつりと。その話題を静かに切り出した。

「前に、ウィーンの留学試験の話をしたことがあったでしょう」
「うん。覚えてるよ」
「その試験結果が、つい最近返ってきてね」
「うん」
「……実は、ね」

そこまできて、ミランはなんとなく勘付いてしまった。クリスティーヌが神妙な様子で、とても言いづらそうに下を向いていたからだ。
遠くにエッフェル塔が見える。この街に住む者たちが愛してやまない、世界に誇るパリのシンボルが、小さな二人を見下ろしている。

「受かったんだね?」

クリスティーヌの代わりにミランが言葉にした。実際に口にすると、重みのある事実がぎゅっと胸に押し付けられる。
彼女はピアノを学ぶために、二年間ウィーンに行ってしまう。喜ばしいことのはずなのに、ミランは軽い喪失感に襲われて俯いた。

「ピアニストは私の夢だったから、行こうと思うの」
「……そうさ。君は行くべきだよ」

ミランは絞り出すように激励の言葉を並べてみるけれど、あまりにも弱々しく聞こえてしまう。そんな姿が情けない。彼は心の中で自分を叱咤し、精一杯明るく努めてクリスティーヌに向き合った。

「……クリスティーヌ。君の似顔絵を描いてもいいかな」

マロニエの木の下にあるベンチに腰掛けて、ミランは普段から持ち歩いているスケッチブックと鉛筆を取り出した。何か見つけたときはいつもデッサンで記録しているのだ。

「私を描いてくれるの?」
「まかせて」

自信満々に頷くと、クリスティーヌは嬉しそうに正面からミランを見つめた。似顔絵なんて何百人と描いてきたミランだが、恋しいクリスティーヌの絵を描くのはひどく緊張する。

まず、クリスティーヌの輪郭の線を引いた。それから瞳、整った鼻、形のいい唇……。一つもこぼれ落ちないように、ミランは丁寧にデッサンを続ける。
そうして画用紙の上に一人の女性が浮かび上がってきたころ、ようやく。ミランはあることに、気付いた。
それはとても重大で、大切なこと、だった。
はっとして、動かしていた手を止める。
すると、突然クリスティーヌが静かに立ち上がった。そのまま彼女は何も言わずに、夕陽の映るセーヌ川の沿岸を歩きだしてしまう。
ミランは慌てて道具を片付けて、クリスティーヌの後ろを追った。
何も言葉が、出てこなかった。



[to be continued...]