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市川は夜の七時

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悠は片手を挙げてウエイトレスを呼んで、三杯目のお代わり自由のコーヒーを淹れさせると、それを一口すすって言った。
「『思ってたのと違ったんだもん』だって」

「『中野くんってもっと楽しい人かと思ってた』だって。結局さ、あっちが勝手に思い込んで勝手に言ってきただけだったんだよ。俺悪くないもん」
喋りながら、悠は俺の和風ハンバーグ御膳に付いていた箸の袋を手にとってビリビリと細かく破き、それを備え付けの灰皿の上にばらまいた。全く行儀が悪い。


悠は一ヶ月くらい前から隣のクラスの女子と付き合っていたけど、昨日別れを切り出されたらしい。もともとその子のほうから告白してきて、悠にとっては初めての彼女だった。
この数週間は、放課後も彼女が俺たちのクラスに悠を迎えに来たり、部活のある日には下駄箱で待っていたりしていた。
俺や他の友達たちは、それを適度に冷やかしつつ二人を残して帰った。そうして悠がいるときもみんなでするのと同じようにマックやなんかにたまって、悠がいないと静かだ、ゆっくり話ができるな、なんて言って笑っていた。
その次の日に学校で悠に会って、みんなでそんな話をしていたと言うと、悠は本当にちょっと不貞腐れたように「何だよ。俺があいつと何しゃべったらいいのか困ってるときに」と言った。

悠はかっこいい。いや、どっちかと言うとかわいい。ぱっと見女の子にも見えるような中世的な顔立ちに、ちょっとクセのあるくしゃくしゃした髪を暗めの茶色に染めているのがよく似合っている。
ブレザーの下に着込んだベージュのカーディガンも、定番のチェックのマフラーも、いかにも「イケてる男子高校生」って感じだ。
この見た目だからその女子も期待しちゃったんだろうな。まさか悠が女の子と付き合ったことのない、男ばっかりでつるんでいるときが一番楽しいって思っちゃう子供みたいなやつだとは思わなかったんだろう。


大口を叩いてはいるけど、彼女に振られて、悠は少なからずショックを受けているようだった。
告白された当初もけっこう動揺していたけど、いざ付き合うことになったら、初めての彼女だろうと上手にやってやろうと思っていたようで、でも、その意気込み空しく早々に振られてしまった。それは傷ついても仕方ないなと思う。
だけど、実際悠と付き合ってもあんまり面白くないだろうなとは思う。だって、彼女の前の悠は傍目に見てもプライドが高くてかっこつけで、何というか、いけすかない感じだった。かわいそうだからそんなことは言わないでおいてあげるけど。


右手で頬杖をついて左手でコーヒーミルクをいじっている悠を見ていたらますます気の毒になってきて、俺は言ってあげた。
「いいじゃん。また俺と遊ぶ時間が増えてよかったよ」

悠は一瞬黙ったあと、今日初めてフフッと笑って、「あーあ。またつまんねー日々の始まりか」と憎まれ口を叩いた。
俺はそれを見ながら、悠はかわいいなと思った。
作品名:市川は夜の七時 作家名:浅野