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家に憑くもの

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 ―― 『あれ』が鍵を持ってる。
 ―― どうして。どうして『あれ』が鍵を持っているの! どうして!
裕子はサッシに体を押し付け、寝室のドアを見つめた。ドアがゆっくりと開いて行く。
ドアが開いた入口には、真っ赤な顔の健次郎が、両手にナイロンロープを持って立っていた。
もう裕子に逃げ場は無かった。裕子にできるのは、ロープを手にした健次郎がゆっくりと近づいて来るのを、恐怖に凍りついたまま、眺めることだけだった。
「あなたは誰なの・・・どうして・・・」
恐怖に耐えかねた裕子が震える声を絞り出す。しかし、返事はない。
裕子の目の前に立った健次郎は、ゆっくりと裕子の首にロープを巻きつけた。凍りついた裕子は、抵抗することができなかった。そのとき、裕子は視界の隅に、何かが現れるのを感じた。
視点を定めた裕子の目には、さらに信じられないものが映っていた。開け放たれた寝室の入口に、もう一人の健次郎が立っていた。裕子の表情に生気が蘇る。
 ―― 夫が来てくれた!
昨日の翔太の言葉が耳に蘇る。
 ―― 「あいつは、自分が化けた相手が現れると、消えるんだよ」 ――
 ―― 助かった!これで『あれ』は消える!
「あなた、来てくれたのね!」
その裕子の声に、裕子の首にロープを巻いていた健次郎が、慌てたように寝室の入口を振り向く。寝室の入口に、もう一人の自分が立っているのをみて、驚愕の表情を浮かべる。健次郎は裕子の首に巻こうとしていたロープから手を離し、寝室の入口の自分に向かって、数歩歩いたところで、立ち竦んだ。
寝室の入口の健次郎の顔が、細かく震えだしたのだ。そのまま健次郎の顔は、筋肉がほどけて行くように、震えながら位置を変えて行く。口が開き始める。顔がめくれあがるように、大きく口が開いて行く。口が顔全体を占領して行く。毒々しい黒みがかった赤い色が、顔全体を覆って行く。
裕子の側に立つ健次郎の顔に、激しい怯えの表情が浮かぶ。裕子も健次郎同様、激しく動揺していた。しかしそれは、健次郎とはまったく異なる理由からだった。
新たに現れた夫の方こそ、佳織と翔太が言っていた『あれ』だった。
 ―― それでは、わたしを絞め殺そうとした夫は・・・・本物・・?
 ―― だから部屋の鍵を持っていた・・・
 ―― なぜ、夫がわたしを殺そうとするの・・・・?
寝室の入口に立った『あれ』は、掌を内側に向けた両手を前に突き出した。その、目の前の何かを両手で締め付けるような手つきのまま、部屋の中に足を踏み込んだ。部屋には大きなベッドが二つ、1メートルほどの感覚を置いて並べてある。裕子と健次郎のベッドだ。健次郎は、そのベッドの間の隙間に入りこみ、その突き当りまで行くと、そこにある小さなリビングボードに背中を押しあててしゃがみこんだ。一歩一歩近づく『あれ』を見ないようにするためなのか、頭を抱え込んで膝の間に顔を埋める。それは、昨日リビングで裕子と健次郎が電話で話しているときの、佳織の姿勢にそっくりだった。
「やめろ、こっちに来るな・・・やめろ・・・」
健次郎が弱々しく口の中で呟くのが聞こえる。裕子はその様子を、サッシに張り付いたまま、ただ凍りついたように見ていた。
『あれ』が頭を抱えてしゃがみこんだ健次郎の前に立つ。頭を抱え込んでしゃがみこんだ健次郎に、『あれ』が覆いかぶさって行く。裕子の神経が辛うじて耐えられたのは、そこまでだった。
その映像は、裕子の視界で180度反転すると、暗闇の中にフェードアウトして行った。裕子の神経は、最も安易な場所に逃げ込んだのだ。裕子は意識を失って、その場に崩れるように倒れこんでいた。

作品名:家に憑くもの 作家名:sirius2014