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家に憑くもの

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「どうしたの、いきなり人の後ろに立って。」
裕子は不審の色を隠さずに、詰問調で健次郎に話し掛けた。裕子は、健次郎が咥えている爪楊枝に、ふと違和感を覚えた。
 ―― なにかいつもと違う。
 ―― 何が違うんだろう。
裕子は夫が咥えている爪楊枝をじっと見つめた。違和感の原因がわかった。爪楊枝がいつもより短かった。どうして短いのかと、さらに注意深く見つめると、その爪楊枝には、頭の部分が無かった。頭の部分が折り取られ、ぎざぎざの断面が見えていた。
裕子よりも20センチ以上背の高い健次郎は、無言で裕子を見下ろしている。その表情は、今まで裕子が見たことがないものだった。裕子は気味が悪くなり、再び声を掛けた。
「どうしたの、返事くらいしなさいよ。」
今まで妻楊枝に気を取られて上ばかり見ていた裕子が、目を下に下ろすと、健次郎は両手でナイロンロープを持っていた。
 ―― ああ、さっき鞄をかき回していたのは、これを探していたのね。
裕子がそう思ったとき、いきなり健次郎の両手が動いた。健次郎は両手で持っていたナイロンロープを、素早く裕子の首に回した。そのまま両手でロープを引き絞る。裕子は突然の出来事に半ば茫然としながらも、本能的にロープを緩めようとする。しかし、健次郎の締め上げる腕の方が圧倒的に強い。たちまち裕子は呼吸ができず、血流を停められた頭が猛烈に痛みだし、目の前が暗くなって来る。
 ―― このままでは・・・・殺される!!
裕子は自分が置かれた状況に戦慄した。無意識にキッチンカウンターの上を動かした手に、湯呑が触れる。裕子は湯呑を掴むと、その湯呑の中の熱湯で淹れたお茶を、健次郎の顔にぶちまけた。考えたわけではなく、ほとんど自己防衛本能的な、動きだった。
絶叫した健次郎は、ロープから手を離し、顔を押さえて倒れ込んだ。裕子はまだ薄ぼんやりとしか見えない視界の中で、よろめきながら廊下に出た。崩れ落ちそうになる膝を励ましながら、壁を伝って玄関に向かって歩く。
夫に一体何が起こったのか、あれは、本当に夫なのか、佳織や翔太が言っていたものが、夫に化けているのではないか。
そんな思いが頭の中を駆け巡った。
やっとの思いで玄関まであと数メートルとなったとき、玄関脇の和室に通じるドアから、健次郎が飛び出して行く手を塞いだ。リビングにつながった和室を駆け抜けて、裕子を追い越したのだ。熱湯を浴びた健次郎の顔は、火傷で真っ赤になっていた。
その真っ赤な顔で裕子の前に立ちはだかった健次郎は、裕子を見てにやりと笑った。今までに見たことのない笑いだった。
立ち止まった裕子は、後ずさった。すると、健次郎は足を踏み出した。裕子が一歩下がると、健次郎が一歩踏み出す。裕子は数歩後ずさったところで、2階への階段に飛びついた。
子供の部屋は鍵を取り付けていない。健次郎が、子供部屋は鍵を掛けられないようにした方が良い、と主張したからだった。しかし、夫婦の寝室なら鍵がかかる。
 ―― そうだ、寝室に逃げ込もう。
裕子は、健次郎が追って来るのではないかと、何度も後ろを振り返りながら、懸命に階段を上がった。

作品名:家に憑くもの 作家名:sirius2014