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てっしゅう
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「夢の続き」 第五章 敗戦

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第五章 敗戦


温泉から出て昼ごはんを済ませた三人は、再び佳代の家に戻っていった。東京に帰る準備をして、佳代から話を聞くことにした。

「おじいちゃんが死んで、おばあちゃんは東京に帰ったの?」
「直ぐじゃないよ。東京は空襲で焼け野原になっていたから、深川の自宅を作り直してから戻っていったわ」
「お金が掛かっただろうね」
「そうよね。新しく家を建て直したんだから。なんでも、お義父さまから結婚したときにある程度の遺産分けをしてもらっていたらしいわ。真一郎さんのご実家はお金持ちだったからね」
「じゃあ、お金のなかった人は家が焼けてしまってどうしたの?」
「私には良く解らないけど、東京が立ち直るまで身内のところに身を寄せていたと思うけど。ここにもたくさんの人が都会からやってきて、米や野菜を分けて欲しいと頼まれましたよ」
「戦争からたくさんの人が戻ってきて食べるものが不足したんだよね?」
「そうね、私たちは商いをしていた訳じゃないから、差し上げるにも限界はあったの。何人目かからはお断りしないといけなくなったから辛かったわよ」
「断られた人はどうしたの?」
「他の家を訪ねたようだけど、どこも同じだったからね。盗みに入ったりされなかっただけ、まだましだったかしらこの辺りでは」
「じゃあ、我慢できなくなって盗んだりした人がいたの?」
「都会に近いところではそんな事もあったと聞いているわ」
「食うことに困ると悪いことと知っていても仕方なかったんだろうね」
「生きてゆくためには何でもしたのよね・・・」
「たとえばどんなことをしたの?」
「ええ、聞いた話よ。家に残っていた家宝を持ち出して物々交換したりとか、若い母親なんかだと農家の男の人に身体を差し出したりしたらしいわ。同じ日本人として恥ずかしいことよね、戦争であんなに辛い目に合わされたのに、助け合えないだなんて・・・」
「そうなの、悲しいね。生死の緊張が解かれて本来の欲望が戻ってきたんだね。僕はたとえ飢え死にしてでも構わないから洋子には絶対にそんな事をして欲しくないよ」
「子供は別よ・・・洋子さんだって自分の可愛い子供を飢え死ににはさせたくないから、あなたを裏切る事だって出来るのよ。残酷なことを言うけど」

佳代が言った言葉が深く貴史の胸に突き刺さった。

戦争中はある意味で一つの目的に向かって国民全員が力を合わせていたから、不謹慎なことも起こらなかったし、我慢も限界まで出来ていた。憲兵の監視も厳しかったこともあって、個人の自由は許されなかった。食べるものも、楽しみも全て国民みんなが同じようにしていた。

「贅沢は敵」と言われて慎み深く、質素に生きてきた。それでも、命の尊さを守り助け合っていた状況を考えると、終戦になって開放された心の中に忍び込んできたものは自由という名のわがままと、好き勝手に出来ると言う欲望だった。

焼け野原になった都心部では略奪や居座りなどが横行していた。取り締まる警官が少なかった地域は無法地帯になっていた。アメリカ兵が歓楽地帯をわがままに占領し日本人の女子に不謹慎な振る舞いをしていた。その光景は戦地から帰ってきた日本兵がかつて東南アジアで自分たちがやっていたような光景にも見えた。決して自ら求めてやっていたのではなく、そうしないと生きてゆけない女たちがいたからだろう。貴史は佳代の話にもし洋子がその時代を生きていたとしたらどうなっていたのか考えさせられて、切なくなってしまった。

「佳代さん、俺たちは本当に今の幸せに感謝しないといけないよね。おじいちゃんやおばあちゃんのお兄さんの死を考えるだけじゃなく多くの日本人の生きてきた苦しみをきちんと考証して今に活かさないとこれからも再び同じようなことが起きてしまうかも知れないって、思えるよ」
「偉いわ!そんな風に考えられるなんて。私も少しは役に立ったのね」
「はい、本当にありがとうございました。帰っておばあちゃんに佳代さんとのこと全部話しますから、きっと電話があると思いますよ」
「楽しみにしているわ。千鶴子さんとお話しするのって久しぶりだから」
「そうだ!今回のお礼に今度は佳代さんが東京にいらして下さいよ。俺と洋子が案内しますから」
「そう、嬉しいわ。じゃあ、美枝と相談して一緒に伺おうかしら・・・そう千鶴子さんにも話しておいて下さるかしら」
「解りました。きっと大喜びしますよ」

岡谷駅まで美枝の車で送ってもらった貴史と洋子は、あずさ号の窓から二人が見えなくなるまで手を振ってさようならをした。
「洋子、楽しかったなあ。お前と二人でいることがこんなに嬉しいって、初めて感じたよ」
「貴史・・・私も。あなたのこと好きで良かった」


ナチスドイツが降伏した後、昭和20年7月17日から8月2日にかけて、ベルリン郊外ポツダムにおいて、アメリカトルーマン、イギリスチャーチル、ソ連スターリンの三国首脳が集まって抗戦を続ける日本と第二次世界大戦後の処理について話し合いがなされた。

アメリカ、イギリス、中華民国の共同宣言として発表されたものが「ポツダム宣言」であった。宣言の中身は、13項に渡って示され、大筋としてはドイツとドイツ軍が破壊されたことと同様日本と日本軍も破壊される状況にある、日本の軍国主義者を排除する、カイロ宣言の履行(日本の領土は本州、北海道、四国、九州と連合国が認めた近隣諸小島)日本軍の武装解除と帰国して平和で生産的活動を保障する、戦争犯罪人の処罰と宗教言論の自由を認める、戦争と行使するための再軍備を認めない、自由な意思による立法府が出来るまで占領監視する、全日本軍の無条件降伏と以上の行動における日本政府の保障があること。

これらが受け入れられない場合には直ちに迅速なる破壊があるのみ、と言うものであった。

政府関係者と軍人の会議で最後まで国体護持が約束されないのなら全国民が死すとも日本の大儀を貫くという軍人の意見が多数を占めたが、8月14日の御前会議の席で、陛下の英断が下された。これには先の広島、長崎への原爆投下の影響も反映されていた。東条英機を初め殆どの出席者は天皇への戦争責任を追及されることがないように連合国に国体護持を照会したが、返事はなかった。

「自分の身がどのようになろうとも国民をこれ以上苦しめるわけにはいかない」との発言により、天皇はポツダム宣言を受諾し、終戦の詔勅を発した。翌8月15日正午「玉音放送」により発表された。陸海軍への停戦命令は16日になされた。


東京に向かうあずさ号の車内で貴史は洋子に百瀬家の出来事を話し始めた。貴史に寄りかかってあまり口を開かない洋子が気になったのかも知れない。

「俺たちはもう他人じゃないな」
「うん、嬉しい」
「お前が望んでいたことだったもんな」
「積極的な女だって思われているでしょうね」
「まあ、そうだな」
「いや?」
「そうじゃないけど、俺だけにしてくれよな」
「当たり前じゃない!何言ってるの」
「解っているよ。大きな声出すなよ」
「貴史が意地悪言うからこうなるのよ」
「意地悪なんかじゃないぞ。お願いだよ」
「だったら私もお願いするわよ。貴史が他の人に積極的にならないでって」