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毒虫のさみだれ

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PHASE 3 : MONDO CANE


■ □ ■ □ ■

「──なんだよこの惨状は」
 襖を開け放つなり──祖父、椋司(むくじ)は呆れ返ったような声で言った。
 そういや表にストリップやってる痴女がいたぜ──と告げてきた祖父の発言はあまりに唐突で、突拍子のないものだった。もっとも、彼はいつだって唐突に現れ、唐突な話題を振ってくる人間だったようにも思う。今日も何の予告もなくふらりとこの下宿屋に立ち寄り、挨拶もそこそこに缶ビールを空け始めていた。襖を開けたその位置から一歩も足を踏み入れず、廊下に立ち尽くしたままアルコールを消費し続けている。
 唐突な祖父はいつ見てもネクタイを外しただけの背広姿で、短く刈り込んだ白髪に色付きの眼鏡をかけている。既に七十を越えているはずなのだが、精悍な顔立ちには老いと衰えを一切感じさせない活力が満ちていた。上背が高いせいで、その格好と相まって、妙な迫力を醸し出している──見る人が見れば立派なヤクザだと思うだろう。事実椋司は人に自慢できない稼業で生計を立てているので、ヤクザと言えばヤクザなのだが。
「お爺ちゃん──」
 ちょうど部屋の真ん中に座り込んだ格好で、五月雨は突然の来訪者を胡乱な視線で睨め上げた。
「──痴女なんて、この辺にいるわけないですよ」
「いたんだよこれが。眼福だったぜえ、おい。隣のよ、二階にいる若い娘さんがな、こう、カーテンも締めねえまま生着替えしてんだ」
「それは──」
 ──大家の娘だ。
 この下宿屋に一室を借りていた祖父だが、極度の放浪癖の持ち主であるため滅多に寄りつかなかったらしい──大家とも顔を合わせる機会はほとんどなかったと言っていた。その娘ともなれば、存在を知っていたかどうかすら危うい。
「はあん、あの大家に色情狂みてえな娘がいたとはなあ。まあいいや──それよりよ、さぁちゃん、この惨状は一体何なんだよ。爆撃でもされたのか?」
「惨状と言われても──」
 ──まあ、惨状かもしれない。
 内心で素直に認め、どう答えたものかどうか頭を悩ませる。
 まさしく、それは惨状だった。
 認めるしかない──晩生内五月雨の暮らす八畳間は、惨状としか言い様のない状態に陥っている。
 床はまるでそれが当然であるかのように見えない。散乱するのは脱ぎ散らかした衣服──洗濯したまま畳むのを億劫がった挙げ句に放置したものも混じっているはずだった。一時期意味もなく買い漁った食玩は、部屋の隅で小山を形成していた。読み始めたのはいいものの、さして面白くもないために投げ出してしまった本が、それらの綴じ蓋のように足下を埋め尽くしている。
 窓から差し込む陽光が眩しければ眩しいほど、五月雨は否応なくこの惨状を目の当たりにしなければならなかった。記憶力には自信のある方だが、それでもいつ掃除をしたのか忘れてしまっている──少なくともこの三ヶ月間、掃除らしい掃除はしていなかった。棚はグロテスクな色彩が踊るDVDのパッケージに埋もれ、テレビとDVDプレイヤーだけが神棚のような清潔さを保ち安置されている。
 本棚を買おう、と決意してから既に半年が経過している。収納ボックスを買おうと思ってからは一年という時間が過ぎ去っていた。どちらも未だに五月雨の部屋を飾ってはいない。むしろ、そういった収納器具の代わりに混沌を溜め込んでいるような錯覚すら覚えてしまう。自分では溜め込んでいるつもりなどないのだから、勝手に集まってきていると言った方が正しい。理不尽に悩むが、それでも整理整頓に励もうという発想は湧いて来ないところが、晩生内五月雨という少女の全人格を表していた。
「……まあ、いつも通りです」
「いつも通りって言われて安心できる状況か、これは」
「お爺ちゃんの生活が苦しくなるわけではありません」
「俺の心が苦しくなってくるよ、馬鹿孫が。ったく──まあ、あれだよ、元気してたか? 風邪とかひいてねえか?」
「元気ですよ。風邪もひいてません。伝染(うつ)るような場所に行きませんから」
「そりゃあ重畳なことだな」
 ビールを水のように喉奥へと注ぎ込み、椋司はふと窓の外へと視線をずらす。差し込む陽光は強く、今がまだ昼過ぎであると声高に主張しているようだった。退屈な日常は今日も変わることなく、淡々と時計の針は進み続ける──下宿屋の玄関前で地球の平和がどうの、宇宙からの侵略者がどうのと騒いでいる連中を無視し続けることもまた、事務的な日常の一場面でしかない。
 元気だなあああいう奴らは──と窓の外で騒ぐ集団を見もせずに呟いて、改めて椋司はこちらへと視線を寄越した。酒に酔っているわけでもないのだろうが、目付きが自然剣呑なものになっている。雑多ながらくたの山を掻き分けて部屋に踏み入ると、何の遠慮もなく五月雨の前に座り込んだ。尻の下で何かが割れるような音がしたが、気のせいだということにしておく──気にしても仕方のないことでもあった。
「──さあちゃんが元気なのは良いことだ。世間様は危ねえ奴らばっかりだからな。殺人だの暴行だの、そんなのばっかりだよ。この辺でも昨日だか今日の朝だかにあっただろう──頭のおかしなおっさんが、通行人に突然襲いかかったとか何とか」
「……巻き込まれなくて幸いでした。この下宿、防犯とか危機管理とか、無縁ですから」
「その割には変な奴らばっかり住み着いてるけどなあ。まあいいわな、そんなことは。エイリアンが攻めてこようがお化けに呪われようが──頭のおかしなおっさんに絡まれようが、俺らには何の関係もねえよ。そうだろう?」
「そう──ですね」
「さあちゃんが『何かした』んじゃねえんだな?」
 突き刺さるような言葉が──投げかけられる。
 鋭い視線を放つ椋司と、ぼんやりした表情のまま受け流す五月雨と。
 互いに腹の底を見せぬまま、化かし合いのような会話を続ける。
「……親と引き離したのは、やっぱり気に喰わなかったか?」
「まさか──それこそまさかですよ。お爺ちゃんがこうしてたまに会いに来てくれますし……あの人達も、私とは離れて暮らしている方が良いみたいですから。私も──私は、一人の方が、気が休まって楽ですし」
「そうだなあ。さあちゃんとまともに『話』をすんのは、普通の人間にゃあしんどいんだよ。まあ、世間話程度なら良いんだけどな。踏み込み過ぎると──さあちゃんの言葉は、『毒』になる」
「『毒』……とは、また、大袈裟な物言いですね」
「そうでもねえさ。何せさあちゃんは俺の孫で──」
 ──俺の『毒』を受け継いだ、世界でたった一人の人間なんだから。
 白髪を乱雑に掻きむしって、椋司は小さく嘆息した。
「俺ァまあ、この商売やって長えからよ。それなりに名も知れてるし、名の知れた奴とも面識があるよ。口先八丁の業界だからな、そりゃあみんな弁が立つさ。でも──どんな奴でも、嘘は巧えが毒は吐けねえ。この『毒』ばっかりは俺の独壇場だよ。だから商売成り立ってるんだけどな」
「……いきなり来て、いきなり自慢ですか?」
「自慢じゃねえよ自虐だよ。俺はよ、詐欺師まがいのブローカーで、そりゃあ人に言えねえことも沢山してきたよ。けど──『毒』を吐く相手は、選んできたつもりだよ」
 ──借金で首が回らなくなった奴とかな──。
作品名:毒虫のさみだれ 作家名:名寄椋司