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炎舞  第二章 『開花』

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                一                   

 視界に映るのは濛々と舞い上がる煙。
 めらめらと踊る炎。
 音をたて燃え落ちる大木。
 そして、夥しい数の死骸。焼けただれた巨大な魔獣の骸と、散乱したヒトの身体。かつて共存を望んだ者達が起こした、あまりにも異常すぎる闘い。周囲の地獄絵図の中、凛然と佇む一人の男が、腹の底から声を搾り出す。
「―――許せ」
 それだけを静かに、呟いた。怨念深く、成仏できずに現世へ迷い出ぬよう―――死んでいった全ての者達へ、瞑目する。赤い景色の中、彼の銀色に輝く長い髪が、風にのって揺れた。
 人の気配を感じて男が振り返ると、白衣に緋袴を纏った美貌の女がこちらへ向かって駆けてくる。
「生き残った者は拝殿の方へ集まらせました。ご指示どおり、待機するよう命じております」
「……ご苦労だったな、陽炎。怪我はないか?」
 表情に愛しさの温度をともした男は、双眸を細めて囁き、彼女の腕をとる。彼女はゆるりとした瞬きとともに「大丈夫です」と、淑やかに答えた。
 陽炎の頬に付いた魔獣の血を袖で拭ってやりながら、辺りを見渡す。残った魔獣の「処理」は終わった。のこりは―――。
 ふと、紅蓮の炎に照らし出され、朧に幾つかの人影が認められる。
「玉響、…陽炎! 無事だったか…!」
「―――ほら、あたしの言うたとーりでしょ? 陽炎に怪我ぁあったら、玉響が黙っとらんよ」
「……お主は少し、心配し過ぎだ。神風」
 炎に映った人影が鮮明になり、三人の姿が現れた。
 やたらと体格のいい、着崩した頭領装束で二人の目の前に立つのは、虎光族の長、神風である。風の力を操る、豪腕の槍使い。対照的に、線の細い小柄な隣りの女性の名は、綿津見。訛りのある喋り方と、人を惹きこむ無邪気で透明な笑顔の持ち主は、龍神族の若き長。少し離れた所で、控えめな笑みで四人の姿を眺める男は戦武族の長、荒鉄。優男な面からは想像もつかないが、相手を防戦一方にさせてしまうほど奔放無頼な太刀筋を扱う。
「皆も無事のようだな」 
 低く、落ち着いた声で、黒衣に映える銀髪の男が言う。端整な容貌と凛とした風格―――頭領としての威厳が漂う彼は、朱鬼族の長、玉響。全部族の中でも圧倒的な力と知力、人望を併せ持つ男。その彼の傍らに、常に付き従う女性は玉響の伴侶である、陽炎。容姿内面ともに、慎ましやかさと華やかさを持つ麗しい朱鬼族の女性。
 五人の人間が、血と肉と炎の世界で佇む。悪夢のごとき光景が、正しく、眼前にあった。
 地獄と化した野原。矢と術の雨の下、仲間たちの、そして〝かつて〟仲間だったものの死骸と血の海の中で、心に決めた信念(おもい)は揺れることはなかった。たとえ、このような結末が待ち受けようとも―――。
「未来という、不確定な輝きを奪わせはせぬ。―――出て来い」
 ゆっくりと振り返り、玉響は口を開いた。五人の視線の先が一点に集まる。
 ぼこり……
 黒々とした地面がぐぐっ……と盛り上がっていた。見る間に、小山のようになる。盛り上がった土の山は激しく震え、何者かが土中より地上へ這い出てこようとしているように見えた。
 ぼごっ…!
 一層、不気味な音をたてて土が盛り上がり、それが爆ぜる。死骸だらけの土を割り、現れたのは最初はねじくれた巨木のように見えた。しかし、赤黒い〝それ〟は天を掴もうともがく、太い腕。ずるり、ずるりと地表へ這い出て来る。
「てめぇは初めてツラ合わせた時から気に食わなかったぜ」
 そう言った神風に〝応える〟ように、そいつは頭上の邪魔な死骸を手荒に、片手で跳ね飛ばす。そして、両手で上半身を引っ張り上げるようにして、赤黒き巨体が地の底から這い上がって来た。
 オオ…、オオオッ! オアアアアアッ!!
 獣の声に似た、おぞましい叫び。
「神明…!!」
 綿津見が呻きながら、そいつ名を口にした。
 額には二本の角。その下に爛々と光る目。大きく裂けた口に並ぶ、乱杭歯。対峙するものを畏怖させる、このイキモノこそ―――。
 この戦いを誘発させた、諸悪の根源。
「終わりだな、神明。己の死をもって償え」
 意識的に冷たい声で言い捨て、荒鉄はゆるりと、腰に差した刀の柄に手をかける。
「あんたのこと、少しでも助けたいと思うたあたしが阿呆やったわ。あんたはもう空人でも何でもない。ただのバケモンや。その首、死んでった仲間の墓標に晒したる」
「ったりめぇだ。今、この場で滅殺してやるぜ」
 龍神、虚光の長である二人の眼に炎が宿り、仁王立ちする神明を睨んだ。
 すると―――。
 カカッ…カカカッ…!
 不気味な声で、神明が笑った。やがてその声が止み、
「………殺ス」
 低く、くぐもった声で呟いた。
「…殺シテヤル。人間ハ、全テ、我ガ殺シテヤル。コノ世界ハ獣門ノ長、神明ノモノダ」
「………愚かな」
 陽炎が神明の浅ましい姿を見て、眉を顰めながら俯いた。
 訪れていた平和。先部族が築き上げていた秩序と共存への道。人と魔が連なってきた歴史―――。
 それら全てのものを神明は否定した。否定するだけではなく、破壊しようとしている。最も禍々しい存在、渇望する者として。
「貴様を長として認めた者などいない。己の父である天戎を殺し、獣門の名をも汚(けが)した。もはや貴様に生たる価値はない」
 玉響の低い声音が、一瞬で空気に冷たさと重さを感じさせる。音にならない彼の力の振動が、他の四人と共鳴し合っているのを神明は感じとっていた。それが〝何故〟か酷く、耳ざわりで―――。
 オオオオオッ!!
 雄たけびを上げ、神明は凄まじい速さで玉響達へと向かってきた。両腕を地につき、蜘蛛のごとく。
「陽炎、後ろへ」
「―――はい」
 玉響の言葉に、控えめに距離をとる陽炎。
「おいおい、どうしたよ神明。猪突猛進―――単純じゃねぇか、あぁ?」
 神明の突進に、神風が口の端を上げる。節くれだった五本の鉤爪が、ごっ、と空気を鳴らしたが、薙ぎ払ったのは空間だけであった。だが、その刹那―――。繰り出された神明の右腕が消え、空(くう)へと跳躍していた荒鉄へと、爪の突きを放つ。しかし、荒鉄が青色の双眸を細めた瞬間、彼の身体が波のように揺らめく。
 人の目で追えぬほどの一瞬のうちだった。不意に、神明は放ったはずの己の右腕に圧力を受けた。何が起こったのか考える前に「斬られた」ことが、流れ出る魔獣特有の紫の血で確認される。
「グッ…!?」
 神明が呻いたその時には、既に荒鉄の太刀の切っ先が眼前に迫っていた。
 咆哮を上げながら、左腕でその攻撃を弾く。防御しようとした荒鉄は、その刀身ごと剛力に吹っ飛ばされ、凄まじい勢いで後方へ飛んだ。
「荒鉄!」
 陽炎の叫び声が響く。地面に倒れ込み、噴煙を上げる荒鉄の身体。
「おおおっ!」
 神明の僅かな隙を捉えたのは神風だった。牙を剥きながら、彼の持つ大長槍が神明の腹部を貫いた。しかし、その手ごたえに神風は舌打ちをして、瞬時に後方へ飛び退る。魔獣が持つ並々ならぬ感覚のせいだろうか、その巨体は神風が胸を穿つと同時に、僅かに身体をうねり急所を外していた。
「…む、う……」
 ボヤける視界のまま、荒鉄は陽炎の腕の中で呟いた。
「大丈夫ですか? 荒鉄」
作品名:炎舞  第二章 『開花』 作家名:愁水