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絵画レビュー

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ドラクロワ「地獄のダンテとヴェルギリウス」


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 人間関係というものは責任の関係である。相手に対して期待をして、相手が期待通りの行動をする。ペンを貸せば返してくれる。挨拶すれば挨拶が返ってくる。このように、人は相互作用する相手に対して何らかの期待ないし信頼をして、相手がその期待・信頼に応える、そうやって社会は円滑に回る。
 絵画にしてもそうである。人は絵画に何かを求める。それは感動だったり興奮だったりするかもしれない。そして絵画が期待通りに感動や興奮を返せば、絵画は責任を果たしたことになる。ところが、ドラクロワの作品は、どうも、この、期待に対して応えるという責任の関係を破壊しようとしているように思えてならない。
 ドラクロワが古典派の時代にいち早くロマン派の画風を持ち込んだことはもちろんわかっている。だが、それにしてもこの絵は余りにも情動であふれすぎていないか。船に集まる亡霊たちの生々しいほどに伝わってくる怨念。ダンテの過剰なまでの戸惑い。初見でまず、その情動の生々しさが自分の期待を超えていることが分かる。それに慣らそうと自分の期待の程度を上げる。この絵に適応しようとする。だが、さらに良く観れば観るほど、自分の期待している限度以上の荒々しい感情がこの絵には渦巻いていることが分かる。
 そして、逆に見れば、この絵は私たちに、この絵の過剰な情動を受け入れろと要求しているのだ。だが私たちはその要求に応えることができない。人が受け入れることのできる以上の情動をこの絵は表しているからだ。つまり、この絵は私たちの期待を裏切って、私たちの期待以上の荒々しい情動を伝え、一方で、この絵の期待する通りには私たちはその情動を受け入れることができない。期待とそれに応える、という責任の関係が、私たちとこの絵の双方において破綻している。そのような、責任の関係の破綻、絶えざる裏切りと絶えざる剰余、それがこの絵と私たちをめぐる関係を支配している。
 ところで、そのような責任の関係の破壊こそが、まさに美術がなすべきことなのではないだろうか。絶えざる更新と裏切りと剰余、それによって美術との温和なコミュニケーションなどというものを不可能にし、観賞者と美術との関係を永遠のディスコミュニケーションにしておくこと。これこそが、絶えず新しいものを生み出す源泉となりうる美術作品の条件ではないだろうか。

作品名:絵画レビュー 作家名:Beamte