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サルバドール
サルバドール
novelistID. 32508
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おばあちゃんの雛人形

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圭一郎からの着信で履歴が埋まっている。朝からずっとかかってきているけれど、全く取っていない。喧嘩をしていて距離をとっているということもあるけれど、本当のところは誰とも話したくないだけ。誰かと電話で話すような心の余裕は、今の私にはない。

今朝、大阪の実家から電話があった。認知症を患っている祖母が危篤状態にあるという。会社に事情を話して欠勤する旨を伝え、すぐに東京駅へ向かった。新幹線で2時間半かけて新大阪駅まで行き、そこからタクシーを拾った。ちょうど今、祖母が入院している府内の病院へ向かっている。道が混んでいないので、20分ほどで着くだろう。

電話がずっと鳴ってますけど出なくていいんですか、とタクシーの運転手に言われ、私は窓に向けていた視線を前方に移した。バックミラーに若い男の顔が映り込んでいる。切れ長で鼻梁が通っていて唇が薄い。タクシーの運転手にしておくにはもったいない顔だ。それに見たところ、私よりも若い。バックミラー越しに彼と目が合って、私は思わず、顔を背けた。恥ずかしかったからじゃない。若い男に見つめられることに耐えられなかった。年増女だと蔑まれているような気がして嫌だったのだ。

女性誌の編集に携わるようになってから、もう15年が経つ。あと3年もすれば、2回目の成人式を迎えなくてはならなくなる。周りの友人たちはとうに結婚していて、子供にどこの学校を受験させればいいかなんてことを言っているのに、私は未だに”恋愛少女”の域から脱していない。私は、私よりも先に結婚してしまった友人たちよりも、良い恋愛をしてきたという自負がある。これといった努力なんてしなくてよかった。何もしなくても、男の方から私に近寄ってきた。そのいずれもが素敵な男たちで、私は彼らと人も羨むような恋をした。圭一郎もその一人だ。私の恋愛遍歴は、彼らによって彩られたと言えるだろう。楽しかった。すごく貴重な経験だった。だけど、幸せだったわけじゃない。良い恋愛だったことには違いないけれど、満たされはしなかった。いくら唇を重ねても、身体を重ねても、心の片隅では罪悪感を感じていた。

この歳になっても独り身でいる私を、世間は好奇の眼差しで見る。母親からはたびたび電話がかかってきて、「あんたも早く良い人見つけて結婚しなさい」なんてことを言われる。今は仕事が大事で結婚なんかする気はないと強がってみせているけど、それはあくまでポーズ。結婚に対して、全く憧れがないわけじゃない。むしろ、結婚願望は人並みにあって、何度か結婚を考えた時期もあるし、圭一郎ともそういう話をしたけれど、いつもあと一歩というところで私の決意は鈍った。


結婚したいと思えるような男じゃないから? 違う。

結婚という制度そのものに疑問を感じているから? それも違う。

ただ、幸せになりたいという発想が自分にないからだと思う。そういう風になってしまったのは、多分、あの日のせい。

あの日は3月3日のひな祭りだった。実家の応接間に立派なひな人形が飾られていた。それは有名な人形職人が作った特注品で、戦争で亡くなった祖父が出征前に祖母に贈ったものだった。とても大事なものだとは分かっていたけれど、私はそれに手を出してしまった。ひな壇の一番上の人形を、家族の目を盗んで自室に持ち運んだ。それで人形遊びをしていると、階下から母親の声が上がった。部屋を出ようとして足を踏み出した時に、私は床に置いていたそれを踏んづけた。ポキっというような乾いた音がしたので、足を上げてみると、首の折れた人形が転がっていた。私はそれを自室の机に一旦隠し、夜になってから、元の場所にそっと戻した。翌日、母親から人形のことを問いただされたけれど、私は当時飼っていた猫のせいにして逃げた。チロがやったんだよ、と言って。それを聞いた祖母はとても悲しそうな顔をしていた。

人形を壊したことを言い出せないまま大人になり、いくつもの恋愛を経験してきたけれど、一線を超えてあともう少しというところへくるたびに、あの時の祖母の顔が頭の中に浮かんだ。あの悲しそうな顔は私にとって足枷だった。祖父と祖母を繋ぐ唯一の品を、言わば、彼らの愛の結晶を、私は壊してしまった。その事実から逃げて大人になった自分に、幸せになる資格なんかない。そんな風に勝手に思い込んで、私は幸せを遠ざけてきた。圭一郎との関係がこじれたのも、そうしたことが原因だった。

1ヶ月前、圭一郎は私に結婚を申し込んだ。もちろん、YESとは答えられなかった。でも、NOとも言えなかった。返事を濁してばかりで煮え切らない私に、彼は迫った。俺のことが好きじゃないのか、と。「好きだけど……」とは言えたけれど、「結婚はできない」ということまでは言えなかった。それを言ってしまうと、彼を傷つけてしまうような気がしたからだ。

私は彼との不毛なやりとりに耐えられなくなって、彼からの連絡をすべて断った。彼には悪いと思ったけれど、私には考える時間が必要だった。彼から離れて自分を見つめ直す時間が欲しかった。でも、それは結局、言い訳で、本当のところは、祖母の”呪縛”から逃れたかっただけかもしれない。連絡をとらなくなってから1カ月、考えに考えて、私は結論を出した。彼とはもう会わないようにしよう。このまま別れた方がお互いのためになるかもしれない。そんなことを考えていた矢先に、大阪の実家から電話がかかってきたのだった。

「お客さん、着きましたよ」

車が減速して路肩に止まった。車窓越しに白亜の巨大な建物が見えている。運転手に礼を言い、メーターに表示された金額を払ってから、車外へ出た。そのまま道なりに歩いて正門側に回り、外来者入口から院内へ入った。平日の昼下がりだけれど、大きい病院ということもあって、待合室は多くの人々で混み合っていた。診療を待つ人、薬を待つ人、検査の結果を待つ人などで多数を占めていたけれど、中にはパジャマ姿で院内を徘徊するだけの老人もいた。受付に行き、祖母の病室はどこかと訊ねると、3階の看護婦詰め所で訊くようにと言われた。3階の詰め所では、看護婦が忙しなく働いていて、とても声を掛けられるような雰囲気ではなかった。何もできずに突っ立っていると、年若の看護婦がファイルを抱えて戻ってきて、面会ですか?と私に訊ねた。祖母の病室に行きたい旨を告げると、看護婦は神妙な顔になり、ご案内しますと言って踵を返した。私は看護婦の後に従って、薬液の匂いの立ち込める回廊を歩いた。カバンの中で携帯がブルブルと震えていたが、気にせずに前へ進んだ。

祖母の病室の前まで行き、看護婦がノックすると、しばらく間を置いてからドアが静かに開いた。応対したのは母だった。母は私を見るや、「恵子……」と蚊の泣くような声で私の名を呟いた。その目には涙が溜まっていた。母に伴われて、私は病室へ入った。