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この雨が止む頃に

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LAST HOUSE ON DEAD END STREET/『あの素晴らしい【 】をもう一度』


■ □ ■ □ ■

 家に入った瞬間、クラッカーが鳴った。

 ぱんっ、とあまりにも軽すぎる音。
 砕けてちぎれ、弾けて割れる。
 肉片が飛散し、血液が弾けた。赤く染まった視界に痛みを感じる──頬を撫でると、僅かに黄色い細かな頭蓋骨の欠片が突き刺さっていた。
 背中越しに、美雪の息を飲む音が聞こえる。
「…………」
 壁に叩きつけられた死体が、ずるり、と間の抜けた音を引き連れて床に落ちていく。首から上を圧壊された姿は、もとが人間だとは信じられないほどに作り物じみていた。
 頭が状況を理解できない──理解して言葉に変換することができない。脳の回転が減速していく。酔っ払ったように視界が定まらない。悲鳴を上げるべきだと、冷静な自分が囁いている。だがそんな常識的な判断すら下せずに、拓也は自分でも驚くほど冷えた目で死体を見下ろしていた。
 右手に握られた拳銃。指は引き金にかけられてもいない。撃鉄すら上げられていない。
 女性にしては長身の死体。
 血を盛大に垂れ流し、
 頭を潰されて、
 脳味噌と血と肉と頭蓋骨をまき散らして、
 床に倒れている赤城春奈の死体。
 ひゅう──と、下手くそな口笛のような呼気が漏れた。
 美雪が、掠れて声にならない叫びを解放した。
「……ぁ……」
 家の奥──廊下の突き当たりに、知之が立っている。激しい前傾姿勢は、これから走り出そうとする陸上選手の構えに似ていた。上半身には何も着ていない──白く大きな翼が一対、背中に堂々と生えている。
「……ぁ──」
 意識が発熱した。
 足下がぐらぐらと揺れている。
 どうしようもなく、揺れ続けている。
 何もない空間を一度見上げ、そしてまた視線の位置をもとに戻した。知之と目が合う。
 自然と、笑い合った。
「ぁ──ぁ、あぁ!」
 言葉にならない叫び──なま暖かい鮮血に半身を染めたまま、拓也は駆け出した。穏やかな色調の壁が後ろに飛び退いていく。廊下を駆け抜け、固めた拳を振り上げる。
「ぁあぁっ!」
 振り上げ、振り抜いた。天使化した知之の顔面に拳を叩き込む。容赦も遠慮もなく、全力を込めて殴り続ける。骨の砕ける音が聞こえて、手の甲に鋭い痛みが走った。知之の鼻の骨を叩き折った際に、拳の皮膚がめくれて赤い肉が露わになっていた。外気に触れるだけでも針で刺すような痛みが神経を刺激する。
 だが、痛いのはただそれだけだった。
 痛いからどうだとも思わない。
 痛いからやめようとも思わない。
 肉が裂けて骨が見えても、拓也は腕を振り上げた。筋肉が突っ張る。酸素の供給が追いつかない。思考など放棄していた。考えても考えても答えが見つからない。何故殺されたのか。何故殺せなかったのか。
 そんなことはもう、どうでもよかった。
 ただ、竹井知之を殺したい。
 心の底からそう思った。
「……拓、也」
 一瞬。
 拓也の動きが、止まった。
 知之が唇の端を歪めて笑う。
 背中の翼が、大きく羽ばたいた。
「拓さんっ!」
 美雪が痛切な悲鳴を上げる。だがそれに応えることもできず、拓也は一瞬で握り潰された左腕を抱えてうずくまった。激痛をそれと認識できないほどの痛み──脳が麻痺し、体が大入力を受け止められずに暴走する。脊髄に液体窒素を流し込まれたように寒く、体の奥で溶鉱炉が燃えているような熱さ。叫ぶことも泣くこともできない。感情のねじが一本吹き飛んだ。
「……拓也」
 今度こそはっきりと拓也の名前を呼んで、知之はそっと両腕を伸ばした。小さな手が左肩に触れる。
 たいして力を込めたような気配もない。
 鈍い音が響き、肩の骨は粉々に砕けた。
「──!」
 今度こそはっきりと絶叫する。
 倒れ込み、両足をばたつかせた。偶然知之の腹に突き刺さった蹴り足が、やけに軽い反動を残して小柄な体を吹き飛ばす。壁に打ち付けられ、羽根が折れた。
「ぅ、うぅ……」
 廊下に爪を突き立て、体を引っぱる。あちこちから骨の飛び出した左腕はもう使い物にならない。叫び続ける激痛に表情を歪め、拓也は壁に手を突いて立ち上がる。改めて見渡すと、家の中はまるで台風が通り過ぎた後のような荒れようだった。居間のテーブルは半分に割られ、ガラスというガラスは砕け、テレビは逆さになって床に突き刺さり、飼っていた猫は胴体の部分で二つに分断されている。
「と、もゆき」
 名前を。
 呼んでみる。
 向かい合う知之が、また微笑んだ。
 優しく静かな微笑み──初めて春奈に告白して受け入れられた日、それを拓也に報告しに来たときの微笑みだった。
「たけい、ともゆき」
 一音ずつを区切るような心持ちで名前を呼ぶ。
 どんな小さな言葉も届く。
 今ならどんな言葉だって知之にわかってもらえる。
 それが素直に信じられた。
「拓也」
 廊下に手の甲を押しつけ、前傾する。
 そのままの姿勢で、知之は滑るような声を響かせた。
「拓也。楽しかったよ。今度は楽しくないことまでやろう──バイバイ、またな」
「知之。楽しかったぜ。今度は楽しくないことまでやろう──バイバイ、じゃあな」
 ぺこり、と大仰に礼をして。
 互いにはにかむように笑い合い。
 そして、知之は走り出した。
 両腕が伸びる。
 羽根が舞い散る。
 拓也はそっと瞼を閉じた。
 暗闇が視界を覆い尽くし、
 そして、

 ぱんっ。

 乾ききった音が一つ、鳴った。

■ □ ■ □ ■

「……美雪。ロウソクの本数足りてるか?」
「うん。ちゃんと用意したよ。ケーキも無事だったし」
「そっか。ま、誕生日でクリスマスだもんな。ケーキがないと始まらないよな」
「私の家はずっとお寿司だったけどね」
「何だと? さては日本人か、貴様」
「拓さんだって日本人だよ……」
「そういう細かいこと気にしてたら大きくならないぞ。ところで美雪」
「なぁに? 拓さん」
「おまえ、人殺しになりたいか?」
「正直なこと言っていいの?」
「ああ。いいよ」
「人殺しにはなりたくないな」
「そっか。だってさ、知之……悪ぃな。もう一回だけ痛い思いしてくれよ」
「…………」
「そっか。うん。ごめんな……ごめんなさい、ありがとう。また会おうぜ。今度会ったときは、楽しいことも楽しくないことも全部やろう──

 ──バイバイ、またな、知之」

 ぱんっ。

■ □ ■ □ ■

 肩を借りて家路に着く。
 不思議と痛みは治まっていた。足取りも、いつも通りとまではいかないものの、それなりにしっかりしている。
 あれほど激しく吹き荒れた風も、今はすっかり凪いでいた。心地よく冷やされた夜風に撫でられ、気の抜けたため息をつく。ようやく電力が復旧を始めたのか、ところどころに薄い明かりが灯っていた。
 街路灯が照らす道路は冠水したままだった。美雪はわざと両足を暴れさせる。泥水が跳ねてズボンの裾を濡らす。拓也は苦笑いを浮かべるだけだった。
 見上げる世界に曇りはなく。
 世界の終わりが、また一歩近付いている。
「拓さん」
「あ? 何?」
「私、約束守れたかな」
「…………」
「私、こんな残酷な世界で、拓さんのことを守っていけるかな」
「……何とかなるよ」
「……うん」
「知之も春奈先輩も死んじゃったけどな。多分……何とかなるさ」
作品名:この雨が止む頃に 作家名:名寄椋司